プロレスラー・政治家として有名なアントニオ猪木さん
アントニオ猪木さんのプロフィール
アントニオ猪木さんの経歴
1943年、神奈川県横浜市に生を受けたアントニオ猪木さん。父親はアントニオ猪木さんが5歳のときに亡くなり、実家の石炭問屋は、終戦後にエネルギー資源が石油に変わったことから倒産してしまったそうです。
幼少期は運動神経が鈍かったというアントニオ猪木さん。1960年、たまたま興行でサンパウロに訪れた力道山さんからスカウトされ、彼はプロレスラーの道を歩むことになります。力道山さんから「裸になれ」と声をかけられ、アントニオ猪木さんが上半身を見せると、背中周りの立派な筋肉を気に入られたのだそうです。日本プロレスに入団することが決まり、日本に帰国することに。
1964年、アントニオ猪木さんは武者修行をしにアメリカに旅立ちました。しかし、当時は正当な就労ピザが取得できず、アントニオ猪木さんは本名が入ったリングネームを避けていたそうです。ロサンゼルスにある日本人街をもじった『リトル・トーキョー・トム』等の名義でアメリカのリングに上がっていました。
そして、すでに日本プロレスを脱退していた豊登さんと共に、新しいプロレス団体『東京プロレス』を旗揚げしました。しかし、試合がテレビ放送されなかったことや豊登さんの横領で東京プロレスの業績はみるみる悪化し、旗揚げから僅か3カ月後には破産してしまいます。
アントニオ猪木さん単独でも、UNヘビー級の王座を獲得し、NWA世界ヘビー王座に挑戦しました。
同期のプロレスラーとして人気を分かつジャイアント馬場さん。次第にアントニオ猪木さんは対戦したいと思うようになりますが、当時は日本人同士の試合がタブーとされており、その要求は日本プロレスには受け入れられませんでした。加えて、日本プロレスの不透明な経理にも疑問を感じていたアントニオ猪木さん。両者の確執は1971年の追放処分で決定的なものとなります。
それでもストロング小林さんとの大物日本人対決、ビル・ロビンソンさんとの国際対決で人気は少しずつ上向いていきます。タイガー・ジェット・シンさん、スタン・ハンセンさん、ハルク・ボーガンさんといった外国人スターの育成にも成功すると、WWWFと提携して外国人スターを呼べるように。
こうしてアントニオ猪木さんは、プロレス黄金期の片翼を担う存在になっていきました。
こうした流れは、総合格闘技の礎として、現在も受け継がれていますよね。
1982年には、沖縄松林流空手の水谷征夫さんとともにフルコンタクト空手の団体『寛水流空手』を設立されました。
1990年、サダム・フセイン政権のイラクはクウェートに侵攻。このとき、イラクは日本を含む国際連合から非難や制裁措置を受けたため、イラクにいた日本人41人を事実上の人質として連行・国外移動禁止処分にしています。
結果的に平和の祭典が開催されると、全ての在留日本人が開放され、アントニオ猪木さんは政治家としても支持を集めています。
このうち捏造だった記事はあったものの、政治資金規正法違反は時効で処分を免れ、税金未納問題については国税から差し押さえ処分を受けています。この頃、スポーツ平和党所属の議員・江本孟紀さんと対立し、金銭にまつわる疑惑で不協和音が生まれました。
1995年の参議院選挙では一連の騒ぎの影響を受けて落選。選挙後、江本孟紀さんはスポーツ平和党から離党し、2004年にはスポーツ平和党も解散しています。
結果は、グラウンド・コブラツイストでアントニオ猪木さんがドン・フライさんに勝利しました。引退後もプロレス・格闘技団体に及ぼす影響力は強く、プロデューサーとして様々なイベントに関与されていますね。
その年のうち、北朝鮮の朝鮮戦争休戦60年の記念行事に出席。平壌では最高人民会議常任委員長・金永南さんとの会談が実現しています。その後、北朝鮮のスポーツ強化委員長である張成沢さんからの打診を受け、再び北朝鮮を訪問する意向を示しました。
アントニオ猪木さんを北朝鮮に招待した張成沢さんも粛清されることとなり、死刑判決を受けて即日執行される事態に。それ以降訪朝を繰り返し、スポーツ交流や日本人拉致問題の解決に向けて尽力しました。
安全保障関連法案の採決で、日本を元気にする会は慎重な審議を要求したいという表明をしたものの、賛成票を投じたことで物議をかもしました。
日本を元気にする会は2016年に解散。以降、アントニオ猪木さんは無所属クラブの所属となり、2019年には国民民主党の会派・新緑風会に入会されていにます。
アントニオ猪木さんが残した数々の名言
「元気ですかあぁー!?」「1・2・3・ダァー!」等々、アントニオ猪木さんを象徴する言葉は多くのミドルエッジ世代の記憶に深く刻まれていますよね。そんな数々の名言をご紹介したYouTube動画を掲載させていただきます。
アントニオ猪木さんの主な代表作品
著書
『燃えよ闘魂 アントニオ・猪木自伝』
『アントニオ猪木自伝』
『元気ですか!?ニッポン!!日本を元気にする猪木の言葉』
映画
『がんばれ!ベアーズ大旋風-日本遠征-』
『ACACIA』
『燃える闘魂アントニオ猪木50年の軌跡』
テレビCM
最近のアントニオ猪木さんの活動ぶり
政界からも身を退いて、現在はユーチューバーとしての一面をみせるアントニオ猪木さん。『最後の闘魂』なるチャンネルを開設し、小まめに動画を更新されています。ファンならチャンネル登録は必須ですね。
アントニオ猪木「最後の闘魂」 - YouTube
年齢と共に体のあちこちにガタがきているようで、腰痛や心臓の手術を受け、リハビリに取り組んでいるというアントニオ猪木さん。それでも近年は車椅子で移動することが日常となっているみたい。
アントニオ猪木が難病を告白!妻を亡くし現在は車いす生活 | トレンド速報net
弱気な発言でファンから心配されていたという記事もありますね。
「もういいだろう、楽にさせてくれよ」 アントニオ猪木、入院治療中の弱音に叱咤激励の嵐(ねとらぼ) - Yahoo!ニュース
しかし、YouTube動画では元気さをアピールしていますので、アントニオ猪木さんの闘魂は今も健在のようです。全盛期のような活躍ぶりは無理そうですが、長生きして、私たちに勇気を与え続けてほしいと思います。
アントニオ猪木さんのご健勝を祈って、今回の記事を締め括らせていただきます。最後まで記事を読んでくださって、ありがとうございました。今後も気になる有名人を取り上げていきますので、また別の機会でお会いできたら嬉しいです。