「フォークの神様」友川カズキの「彼が居た - そうだ!たこ八郎がいた」
ロックバンドのムーンライダーズの「悲しいしらせ」
ジャズサックス奏者の坂田明の「BALLAD FOR TACO」
など、たこ八郎の死を受けて曲がつくられた。
同じ東北出身のあき竹城は、
「お酒ばかり飲んでないでちゃんとご飯を食べなきゃダメだよ」
などと恋人疑惑がかかるほど、よくたこ八郎の世話を焼いていた。
実際に男女の関係はなかったが、亡くなる直前のたこ八郎にサイパン旅行に誘われていて、
「もし一緒に旅行に行っていたら死ななかったんじゃないか?」
と後悔。
亡くなった後、なかなか墓参りに行けず、ようやく叶ったとき
「生まれ変わったらまた一緒にサイパンに行こうね」
と墓前で号泣した。
「人間じゃないみたいな感じがするんだよな
あれは怪物だよな」
(ファイティング原田)
「たこちゃんてのはね、なんてのかな、誰かがね、あの人妖精みたいですねっていったよ」
(赤塚不二夫)
「初めてお会いしたとき、目がきれいでね。
澄んでて、子供のような純粋さを持っている人じゃないかなと思いました。
あの人はセリフが覚えられないんです。
1行のセリフも覚えられないから、当然、NGが出ますよね。
でもなんかたこさんの場合は、いくらNG出してもちっとも嫌な顔する人がいなくてね。
これは稀有な存在だと思いますよ」
(森光子)
「あの人は、裸の王様を見抜く、子供のような人」
(武田鉄矢)
「初めてお会いしたのは15歳だったんですけど、いつも稽古場にいくと由利さんが、『またコイツ寝小便しやがって』って入ってらっしゃるんですよ。
たこさんは頭かいてらして。
最初はどういう人かと思ったんですけど、なんかこう、ご一緒させていただくと泣けてくるくらいいい人。
大好きでした。
全然威張んないんですよ。
どんな後輩でも敬語でおっしゃるし、いっつも控え目なんですよね
(岸本加世子)
1985年、斉藤清作の墓は、故郷の宮城県仙台市にあったが、
「東京で参詣できる場所を・・」
と赤塚不二夫、由利徹、山本晋也、タモリ、らを発起人と有志らによって、東京都台東区下谷2-10-6にある法昌寺に「たこ地蔵」という地蔵尊が建立された。
たこ地蔵は特徴的なヘアースタイルと右耳が再現され、
「迷惑かけてありがとう」
という座右の銘も刻まれている。
法昌寺は、江戸時代初期(1648年)、下谷御切手町付近にあった光長寺の末寺(本山の支配下にある寺)。
現在、静岡県沼津市岡宮にある光長寺、鷲山寺(千葉県茂原市)、織田信長が果てた本能寺(京都市)、本興寺(尼崎市)は、法華宗本門流の4大本山といわれている。
法晶寺住職の福島康樹は、歌人でもあり、自作の短歌をギター伴奏で朗読する『短歌絶叫コンサート』でたこ八郎と知り合い、たこ八郎を詠んだ歌集『養成伝』もつくった。
「彼は2歳上でね。
晩年なんですけど、とってもいいつき合いをさせてもらいました。
彼は欲がなかった。
でも欲がないってのはモノに対する欲でね。
芸に対する欲はすごかった。
だからあんな捨て身な芸をしたんじゃないでしょうか」
1990年3月5日、亡くなって5年目後、TBSの2時間ドラマ『昭和のチャンプ たこ八郎物語』が放送された。
斉藤清作役は、『オレたちひょうきん族』でたこ八郎のものまねをやっていた片岡 鶴太郎、ファイティング原田役は、この仕事をするまで片目で戦っていたことを知らなかった渡嘉敷勝男だった。