幼少期からミュージシャンへの道のり
http://ja.wikipedia.org/wiki/いかりや長介
伝説のいかりや奏法
ベースにはチョッパー(スラップ)という奏法があるが日本でそれを広めたのはいかりや長介である。という話は今でも言われるが、これは残念ながらデマでウッドベースからエレキベースに転向した者たちにとっては親指引きは主流なので、いかりやが演奏している姿を見た若者たちが親指で弾いているいかりやを見て、いかりや奏法と名付けたと言われる。しかし、日本で一番初めにフェンダー製のエレキベースを使用したプレーヤーとしては間違いがないと言われる。
コミックバンド〜コメディアン〜そして晩年
コミックバンドとしての活動を続けながら、いよいよコメディアンとしてテレビデビューを果たす。そして、NHK「独眼竜政宗」での俳優デビューが評価され火曜サスペンス「取調室」では主役を務める活躍を見せる。
2000年には『ドリフだよ!全員集合(赤盤)』『ドリフだよ!全員集合(青盤)』をリリースし、その中でジョンポールジョーンズを思わせるプレイを見せ、ミュージシャンとしての実力が高いことを示している。
しかし2003年5月末、「原発不明頚部リンパ節がん」により緊急入院し、その後の闘病生活もむなしく、がんの転移が判明し2004年3月20日、死去が確認された。
みんなを楽しませ、笑わせ、大変な人生であったがその後に影響を与える素晴らしい人生だっただろう。
心よりご冥福をお祈りします。