向田邦子
向田邦子は遅筆で有名だったそうで多くの関係者を困らせていたと言われていますが、日本を代表する脚本家であることに間違いはありません。
更には、エッセイスト、小説家としても知られています。

向田邦子
知られていますも何も第83回直木賞を受賞しているほどですから立派な作家なわけですが、向田邦子といえばやはり脚本。70年代の向田作品は眩いばかりに光輝いています!
その実力は倉本聰、山田太一と並び「シナリオライター御三家」と呼ばれていたほどで、日本のホームドラマを代表する作品を数多く残しています。
だいこんの花
1952年、手芸関係の実用図書の出版を中心としていた雄鶏社に入社した向田邦子は、雑誌「映画ストーリー」の編集に従事するかたわら市川三郎のもとで脚本を学びます。
1960年にフリーライターとして独立し、1962年にラジオドラマ「森繁の重役読本」の脚本を執筆。そして、1964年にいよいよテレビに進出し「七人の孫」を手掛けることになります。「七人の孫」の主役は森繁久彌です。森繁久彌は早くも向田邦子の才能を高く評価していたのだそうですよ。
そして70年代の幕が上がります。70年代最初の作品は「だいこんの花」です。

だいこんの花
「だいこんの花」は大ヒットし、1970年から1977年にわたり5部(今風にいうとシーズン5かな)が制作されました。
出演者は森繁久彌をはじめ、竹脇無我、川口晶、いしだあゆみ、加藤治子などなどその後の向田邦子の作品でもお馴染みとなる役者が揃っています。
他にも松山英太郎、三ツ木清隆、ミヤコ蝶々、金子信雄といった味のある役者が多数出ていますが、向田作品に限らず当時のホームドラマには欠かせない人たちですね。こうした役者が作品に深みというか奥行きを与えているんだと思います。
時間ですよ
1971年、「鬼退治」に続いて脚本を担当したのは「時間ですよ」の第2シリーズです。代表作のひとつですね。因みに「時間ですよ」は、1965年7月4日に単発物として放送され、第1シーズンが始まったのは1970年2月4日でした。
で、第2シーズンは、1971年7月21日~1972年3月15日まで全35話放送されています。

時間ですよ
下町の人情噺はモチロン良いのですが、マチャアキと悠木千帆の掛け合いが最高でしたね。そして何より銭湯ですからね、ヌードシーンですよ「時間ですよ」は。この作品を見て銭湯に就職したいと思った若者が星の数ほどいたと思います。
第3シーズンは、1973年2月14日から1973年9月5日まで全30話が放送され、ここでも向田邦子は脚本を書いていますが、「時間ですよ」の脚本は複数の脚本家が分け合って書いていて、まだ向田邦子はメインではありません。
メインとなるのは、1974年10月16日~1975年4月9日まで全26話放送された「時間ですよ 昭和元年」ですね。
パパと呼ばないで
「時間ですよ」の後、1971年「七つちがい」、1972年、「新・だいこんの花」第2シリーズ、「桃から生まれた桃太郎」、「おかめひょっとこ」ときて、10月4日から「パパと呼ばないで」が始まります。

パパと呼ばないで
「おひかえあそばせ」「気になる嫁さん」「雑居時代」「水もれ甲介」「気まぐれ天使」に「気まぐれ本格派」と石立鉄男のホームドラマといえば、脚本は何と言っても松木ひろし。「パパと呼ばないで」もモチロン松木ひろしなのですが、実際には向田邦子、窪田篤人、山本邦彦、葉村彰子といった面々が脚本を書いています。しかも、向田邦子に至っては松木ひろしよりも多くの脚本を書いてるんですよ。
ところで、松木ひろしと向田邦子は「だいこんの花」の脚本も二人で担っていました。何故か?何故そんなに仲が良いのか?もしかしてデキてたのか?と憶測が飛ぶわけですが、当時のテレビ界は、映画出身の作家が優遇されていて、テレビやラジオ出身作家の待遇が悪かったそうです。なので、その待遇改善のために、1970年に向田邦子・松木ひろし・窪田篤人らによって作家集団SHPを立ち上げているんですよ。
向田邦子が松木ひろしや窪田篤人などとひとつの作品で脚本を分け合っているのには、こうした背景もあったようですね。
「パパと呼ばないで」の後に1972年はもう一本、「だいこんの花」第3シリーズの脚本も手掛けています。年間になんと5作品。まさしく売れっ子、働きっぱなしです。
寺内貫太郎一家
1972年に働き過ぎたか1973年は「時間ですよ」第3シリーズのみで、その分1974年は蓄えたパワーを全開させたかのように「寺内貫太郎一家」では原作と脚本を担当しています!

寺内貫太郎一家
東京・谷中で3代続く石屋「寺内石材店」を舞台に、何か気に入らないことがあるとすぐちゃぶ台をひっくりかえすような、カミナリ親父を中心とした家族の日常を描いたホームドラマ。
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もうこの作品には向田邦子のアイデアがぎゅうぎゅうに詰まってます。当時のホームドラマの殻を破ってやろうと思ったのかどうかは分かりませんが、殻、思いっきり破れてます。
ただ苦労も多かったようで、タイトルにしても当時はひらがなで軽いドラマタイトルが多かったのに反して、「四角ばって漢字の多い(中略)左右対称で末広がりに落ちついた」タイトルを望んだところ、「寺内貫太郎一家」ではやくざ一家の物語のようだとか、親の過失で身体障害者となった娘という設定はまずいだの、そもそも墓石屋という設定は縁起が悪いだろといった反対意見が諸方面から出たと言います。
プロデューサーであった久世光彦の力量もあったのでしょうが、それらを跳ね除けて向田邦子は見事な大ヒット作品に仕上げたという訳です。
家族熱
1974年は「寺内貫太郎一家」以外にも「時間ですよ・昭和元年」「だいこんの花 第4シリーズ」を担当し相変わらず好調です。以降、1975年「寺内貫太郎一家2」、1976年「七色とんがらし」、1977年「冬の運動会」「眠り人形」「最後の自画像」「だいこんの花 第5シリーズ」「せい子宙太郎‐忍宿借夫婦巷談」と続きます。
1975年、1976年に作品が少ないのは、1975年に乳癌の手術を受け、その遺症として肝炎と右腕が動かなくなるという状況に陥ったことによるのでしょう。
そして1978年、「家族熱」を書きあげます。

家族熱
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「家族熱」は今でも大変人気があり、2000年に中野玲子によってノベライズされ、2018年には舞台化もされているという作品ですね。
阿修羅のごとく
「家族熱」に続いて1978年にはもう1本「カンガルーの反乱」を書きあげた向田邦子は1979年最初の作品にして大傑作「阿修羅のごとく」を生み出します!
「阿修羅のごとく」はNHK総合テレビ「土曜ドラマ」枠の向田邦子シリーズとして1979年と1980年にパート1、パート2に分けて放送されました。
NHKだろうが何だろうが加藤治子をはじめ出演者は向田作品に馴染みのある役者が顔を揃えています。

阿修羅のごとく
嫉妬心や猜疑心を辛辣かつ繊細に描き出した「阿修羅のごとく」は、間違いなく向田邦子の代表作と言ってよいでしょう。またこの時期は円熟期と言えるのかもしれません。向田邦子は当時50歳です。
この作品もまた1999年に脚本が文庫化され、2003年に森田芳光監督によって映画化、2004年には舞台化もされています。
まさにこれからという時でしたね。1979年は他に「家族サーカス」「愛という字」を担当し、「源氏物語」「阿修羅のごとく パートII」「あ・うん」「幸福」を1980年に書きあげ、1981年「蛇蝎のごとく」「隣りの女 現代西鶴物語」「続あ・うん」という3本の作品を残して8月22日、51歳という若さで亡くなってしまうのです。取材旅行中の飛行機事故でした。
惜しい。あまりにも惜しい。巨大な才能を失ってしまいました。
時代に合わないということもあるのでしょうが、最近はホームドラマはあまり作られることがなくなってますからね。今日、向田作品を見ることが出来る喜びは大きいです。