マルチな活躍ぶりを見せた柳生博さん
柳生博さんの経歴
1937年、茨木県稲敷郡阿見町に生まれた柳生博さん。その個性的な名字から分かるように、古流剣術で知られる柳生新陰流の末裔にあたる家系なのだそうです。
青年期は船員を目指し、地元の公立高校を卒業すると、現在の東京海洋大学の前身である東京商船大学に入学します。しかし、在学中に体調を崩し、中退せざるを得ない状況に。
その後は役者になろうと、劇団俳優座に入団。学園ドラマなどに出演して知名度を高め、1977年にはNHKで放送された連続テレビ小説『いちばん星』で俳優として確固たる地位を獲得されました。
さらにはフジテレビ系列のクイズ番組『平成教育委員会』には、解答者としてレギュラー出演され、NHK放送の動物番組『生きもの地球紀行』ではナレーションを担当されました。
この頃から、拘束時間が長くなる俳優活動を抑え、芸能界での活動はバラエティー番組の出演に絞るようになりました。2019年にはテレビ朝日系列放送のテレビドラマ『やすらぎの刻~道』に出演していますが、ドラマ出演の仕事はこれが最後だと語っています。
柳生博さんにまつわるエピソード
八ヶ岳倶楽部について
経歴でも簡単に触れたように、山梨県北杜市の広大な土地に、柳生博さんの私財と投じて開設された八ヶ岳倶楽部。現在は、息子の柳生宗助さんが経営されています。
八ヶ岳倶楽部
ご結婚や家族構成など
次男は柳生宗助さん。もともとは会社務めのサラリーマンだったそうですが、兄・柳生真吾さんの死後、八ヶ岳倶楽部の代表を引き継ぎました。現在は柳生宗助さんの夫人・柳生直子さんも施設運営に積極的に関わっており、従業員を抱えながらも、家族中心の経営をされているようです。
柳生博さんの主な代表作品
映画
『19ナインティーン』