阿部定事件

1936年(昭和11年)5月18日、東京市(現在の東京都)で、当時仲居だった阿部定が愛人の男性を殺害し局部を切り取るという猟奇的な事件で当時は号外が出されました。
その後この事件は
1976年(昭和51年) 「愛のコリーダ」
1997年(平成9年) 「失楽園」
1998年(平成10年) 「SADA」
2000年(平成12年) 「愛のコリーダ2000」
など映画化、書籍も出されています。
津山事件

1938年(昭和13年)5月21日、岡山県苫田郡で発生した殺人事件です。
犯人の名前をとって「都井睦雄事件」とも呼ばれています。
この事件ではわずか2時間の間に28名が即死、5名が重軽傷でしたがその後2人が死亡したため最終的に30名が死亡しています。
横溝正史の諸説「八ツ墓村」
西村望の小説「丑三つの村」
など、津山事件をモデルとした小説や映画、漫画、ゲームが発売されています。
人違いバラバラ殺人事件
1954年(昭和29年)埼玉県で発生した事件で、当時29歳の男が7歳年下の女性(B子さん)に好意をもち結婚を迫りますが断られストーカー化。
そして目の前を歩いている女性とB子さんを勘違いし全く関係のない19歳の女性A子さんを殺害。
翌日に殺害したのはB子さんではないことに気が付きA子さんの遺体を切断し、遺棄したという事件です。
逮捕後、1957年に死刑が確定し1959年5月27日に死刑執行されています。
吉展ちゃん誘拐殺人事件
1963年3月31日東京都で発生した誘拐殺人事件。
吉展ちゃんが行方不明になりその後身代金50万円を要求する電話が入りますが、この時の犯人との電話でのやりとりが録音され世間に公開されたことで一般人からの関心がかなり高かった事件です。
また、この事件により、日本で初めて報道協定が結ばれる事になりました。
三億円事件

1968年12月10日、東京都府中市で発生した強盗事件。
東京芝浦電気(現・東芝)府中工場従業員のボーナス3億円が偽の白バイ隊員に襲われた事件で目撃情報や遺留品も発見されていますが1975年(昭和50年)12月10日に時効が成立し未解決事件となっています。
当時、頻繁に出回っていた犯人のモンタージュ写真も印象的でかなり有名になりました。
この事件はその後多くの小説、映画、テレビドラマのモデルになっています。
大久保清

1971年(昭和46年)3月~5月までの間に当時最新のスポーツカーで女性に声をかけてまわり(確認されたのは127人)、車に乗った女性約30名うち8名を殺害した事件です。
昭和51年に死刑が執行されました。
よど号ハイジャック事件
1970年(昭和45年)3月31日に共産主義者同盟赤軍派が起こした日本で初めてのハイジャック事件です。
羽田空港発板付空港(現・福岡空港)行きの日本航空351便(ボーイング727-89型機、愛称「よど号」)が9人の共産主義者同盟赤軍派のグループにハイジャックされました。
目的は当時「地上の楽園」と呼ばれていた北朝鮮への亡命。
よど号はその後、北朝鮮に向かい犯人グループの亡命が受け入れられ、この事件を教訓として同年6月にハイジャック防止法を制定、犯人グループが日本刀や拳銃を所持していたことから、1971年に銃刀法改正案が可決されました。
また、ハイジャック後40年以上たった現在も平壌で暮らしているメンバーもいるそうです。
あさま山荘事件
1972年(昭和47年)2月19日~2月28日にかけ長野県北佐久郡軽井沢町にある保養所(浅間山荘)で、日本の新左翼組織連合赤軍の5人が、管理人の妻を人質にして浅間山荘に立てこもった事件で人質事件では日本最長時間(219時間)です。
この事件により死者3名(機動隊2名、民間人1名)、重軽傷者27名(うち機動隊26名、報道関係者1名)を出し、10日後の2月28日に部隊が強行突入したことで犯人グループは逮捕されました。
血まみれで搬送される警察官や鉄球シーンは見覚えのある人も多いかもしれません。
また、事件の様子はテレビで中継され、この時の視聴率は民法、日本放送協会をあわせて89.7%と一般市民からの関心もかなり高かった事がわかります。
グリコ森永事件

1984年(昭和59年)、江崎グリコの社長を誘拐し現金10億円と金塊100キロを要求、3日後の3月31日に保護されますが、その後大手食品メーカーを脅迫、放火、青酸カリ入りのお菓子を店舗に置くなど相次いで事件が発生。
犯人が「かい人21面相」と名乗ったため「かい人21面相事件」とも呼ばれています。
しかし昭和60年8月12日に「くいもんの 会社 いびるの もお やめや」と犯人から終息宣言が送りつけられ犯人の動きはなくなり、そのまま事件は時効を迎え未解決事件となりました。
キツネ目の男の犯人似顔絵はかなり有名になりましたね。