ラジオの公開収録がホテルのプールサイドで行われ、鶴瓶はプールの中のたくさんの人を前にしゃべっていた。
しばらくすると遠距離恋愛中の玲子をプールの中にみつけた。
大学卒業後、玲子愛媛県松山市の実家に戻り会社勤めをしていたが、親は鶴瓶との交際を認めなかった。
(何してんねん。
間に合わんんか)
鶴瓶は、玲子が数日前から有休をとって大阪に来ていることはわかっていたが、この日のこの時間には空港に向かっていなければならないはずだった。
鶴瓶の視線に気づいた玲子は手を振り返した。
そして帰りの飛行機のチケットを細かくちぎって紙吹雪のように捨てた。
「わたしもう帰られへん」
こうして2人は同棲を始めた。
1974年10月12日、鶴瓶は玲子夫人と結婚した。
「(付き合って)10年後、1980年12月23日に結婚する」
とプロポーズしたが、玲子が妊娠したため6年早い結婚だった。
結婚式は大阪府交野市の郡津神社で行われ、仲人は松鶴 がつとめた。
親が承諾していなかったので玲子側の参加者はいなかった。
松鶴はスピーチで
「ウチの弟子は13人いてまっけどこいつが1番アホだ。
おしまい!」
とだけいい会場を後にした。
大卒初任給平均は78700円の時代に、あのねのねの祝儀は300000円。
結婚式、披露宴の代金を支払ってもまだ余るほどの金額だった。
鶴瓶と玲子は長女と長男を授かった。
長男の駿河太郎は、ロックバンド「sleepy dog」のボーカル、そして俳優。
反抗期の太郎が玲子にキツく当たるのをみた鶴瓶は口の周りが血だらけになるまで殴った。
「ある朝、引きずり回してボコボコに殴ったら『ウー』いうてね。
『何、ウー言うとんねん』と蹴っとばしてから『血ぃふいて、はよ学校いけ』って送り出しました」
長女は駿河章子。
有限会社 バグケット( http://www.bugket.com/06bugket.com.html )の代表取締役。
鶴瓶は1度だけ長女にも手を出した
「勉強なんかせんでもいいんですけどダラダラした生活されるのが嫌なんですよ。
そのときは娘が電話しながらテレビみて寝とったんです。
『電話かテレビ、どっちかにせぇ』っていうたら知らん顔して。
もう1度怒鳴ったら娘が初めて僕をにらんだんです。
受話器を取り上げてパーン殴ったら『ギャー』っていいましたよ」
そして鶴瓶は娘を突き放した。
「これ以上は怒らん。
あとは自分で生きていけ」
すると長女は正座して
「また、たたいてください。
ちゃんとしますからたたいてください」
といった。
「泣きそうでしたよ。
でも怒ってたたいた人間が泣いたらアカンし必死にこらえました。
翌朝、娘から『おはよう』って声を掛けてくれたんでホッとしました」
鶴瓶一家は、毎年、休暇をハワイの別荘で過ごす。
あるとき休暇ではないときに別荘をいってみると、別荘を管理している人間と、その家族が勝手に住みついていた。
くつろいでいたその家族は鶴瓶の突然の訪問にパニックになった。
ミッドナイト東海 ラジオで相談者の父親とケンカ
鶴瓶は東海ラジオの深夜番組「ミッドナイト東海」のパーソナリティに抜擢された。
鶴瓶の「ミッドナイト東海」は名古屋からの放送だったが、同じ時間帯、裏では「笑福亭鶴光のオールナイトニッポン」が東京から配信されていた。
鶴瓶の兄弟子:笑福亭鶴光がパーソナリティをつとめるオールナイトニッポンは深夜ならではの下ネタを含めたハイテンショントークで圧倒的な人気を誇っていた。
現在においても笑福亭鶴光はオールナイトニッポンの「レジェンド」と呼ばれている。
どちらかというと同じ匂いのする2人だが、意外に鶴瓶は
「こんばんは。
笑福亭鶴瓶でございます」
と普通のトーンで3時間の生放送をスタートさせた。
「あの男(笑福亭鶴光)はほんまにねえ、すごいですよね。
いまだにそうですから。
AKBに『エエかエエかエエのんか』とかいわせたんでしょ。
最低な男ですよね。
菅井きんさんに『乳頭の色は・・』いうた男ですから。
ビックリしましたよ。
あんなことされるとどんなことをしても負けてしまうやろということでね。
違うようなことをやったんです。
普通にしゃべるような状態でやったんです」
鶴瓶は、番組の企画づくりから行い、事前に番組でかかるレコードはぜんぶ聞き、ゲストのことも調べた。
織田信長以来、名古屋には大阪に対する拒否感があるのか、最初はハガキがまったく来ず、鶴瓶は自分あてにハガキを書いて出した。
名古屋で人気のロックシンガーがゲストに来たことがあった。
アーティストはメディアに出ないほうがかっこいいという風潮のせいか、そのロックシンガーは、まるで「出てやっている」とでもいいたげな態度をとった。
会話もかみ合わず、ついに鶴瓶がキレた。
「出ていけ!コラ」
「なんやと、コラ!」
ロックシンガーも応戦。
罵声が生放送の電波に乗って空に伝わっていった。
番組の終わりに「四畳半のコーナー」という企画があった。
それはリスナーと鶴瓶が直接、電話でしゃべるコーナーだった。
通常はブースの外でスタッフがいったん話を聞いて問題ないか確認してからタレントにつなぐが、鶴瓶は本当にダイレクトに電話をとった。
夏休みの1週目、中学生2年生の男子から電話がかかってきた。
「本当は地元の中学に行きたかったのに、9月の中頃から高知県の全寮制の学校に転校することになってしまった」
「なんで?」
聞けば医者である父親が、医者にするために嫌がる息子を全寮制の学校に入れようとしているという。
息子は医者にもなりたくなかった。
「そんなことあんのん?
それやったら・・・」
と鶴瓶がいいかけると
「アッ、ゴメン。
切る」
と中2男子はいった。
「なんで切るねん。
お前からかけてきたんやんか」
「親父が部屋に入ってきたから・・・」
「だったらお父さんと代われ」
こわい反面、心の中では何か強い力が噴出していた。
「誰だ、お前は?」
35歳くらいの電話口の父親は最初からケンカ腰だった。
「ごめんなさい。
これラジオなんですよ」
22歳の鶴瓶は状況を説明した。
「息子さんが学校のことで悩んでいて、こうやって電話をかけてくれて、ぼくが中に入るのもアレやからもう電話を切ります。
さっきお話を聞いたんですけど今からしゃべったってください」
「お前に指図されることない」
「それはそうですけど・・・・」
鶴瓶は中2男子の悩んでいる状況を伝えようとした。
それを父親は遮った。
「お前はなんだ?
こんな時間に電話かけてきて、お前、誰だ?
「笑福亭鶴瓶と申します。
息子さんが、こっちに電話をかけてきてくれたんです」
「笑福亭鶴瓶?
知らん。
あっ、お前、あのモジャモジャ頭のやつか?」
「あ、そうです」
「お前、どこの大学や?」
「いや、京都産業大学の中退」
「そんなやつにそんなことをいわれてもなぁ」
ついに鶴瓶はキレた。
「なにぬかしとんねん、アホンダラ。
あのな、コレ電波流れとんのや!
俺もな、低姿勢でちゃんとこうやって話しとんねん。
そんなに人気はないけどリスナーも聞いとるんや!
あなたの息子さんが悩んどることを聞いてあげて、あんたが出たときも『おたくの家のことやからぼくはよお解決せんけど今、電話を切った後に解決してあげたらどうですか』というとるだけやないか。
何も悪いことないやないか!」
父親は反論したが
「お前な、自分とこの子どもの精神的な病気もよう治さんとなに他人の体を診とんねん。
コラァ!
アホンダラ!
こっちは生放送やっとんねん!
いつでも来い、コラァ!」
そして最後は
「千種区の・・病院には行くなぁー!」
と叫んだ。
この後、番組を降ろされかけたが、
「鶴瓶を辞めさせるな」
と署名活動が行われたり起こったり、中高生を中心にたくさんの養護の声が寄せられたため、番組に復活した。
鶴瓶は名古屋の中高生のよきアニキだった。
当時、「ミッドナイト東海」のリスナーで13歳だった少女に鶴瓶は自身初めてサインを書いた。
40年以上経って50歳代となったその女性とまだ交流を続けている。
鶴瓶はサインでも写真でも求められたら基本的に断らない。
それどころか自ら積極的に声をかけ、家に上がり、トイレや風呂を借りてしまう。
『ミッドナイト東海』に出演していたとき、鶴瓶は東海ラジオ放送の食堂でアルバイトをしていた当時まだ無名の漫画家:鳥山明と顔見知りになった。
鳥山明は、「Dr.スランプ」単行本第1巻に鶴瓶が登場させた。
それを読んだリスナーが、鶴瓶のラジオ番組にその切り抜きを添えて投稿。
鶴瓶は
「鳥山明さん、聞いとる?」
と発言。
リアルタイムで聞いていた鳥山明は驚いてペンを落としそうになった。
そして
「是非お電話ください」
と連絡先を書いたハガキを送った。
その後、2人の対談が実現した。
エビス顔の悪魔
鶴瓶は名古屋へ行くため、明石家さんまは東京へ行くため、まだ大阪にいた2人はよく同じ新幹線に乗った。
鶴瓶は、ファンに会うと、会釈し、愛想を振りまき、決してサインや握手を断らず、差し入れのおにぎりをもらえばすぐに頬張った。
「兄さん、それはあきまへんで」
たとえ悪意はなくても何か入っているかもしれない。
高いプロ意識からファンからもらった食べ物は食べない明石家さんまは、注意しつつもファンを信じることができる鶴瓶に感心した。
しかし電車が出てファンがみえなくなると鶴瓶は食べかけのおにぎりをそのまましまった。
「もう食べまへんの?」
明石家さんまの問いに鶴瓶はただ笑顔で返した。
あるとき新幹線の中で、鶴瓶が
「13号車でヘアピンを借りる」
「1号車のAの席の人の靴を片方借りてくる」
と指示を出し、明石家さんまが借りることができればお金をあげるという「借り物ゲーム」が流行った。
明石家さんまが靴を持ってきたため、鶴瓶は確認に行くと、本当に指示通りの場所で片方だけ靴を履いたサラリーマンがいた。
このとき鶴瓶は明石家さんまの人間性を認めた。
しかしお金は払わなかった。
一時期、「イタズラ電話ゲーム」も流行った。
鶴瓶は番組の罰ゲームで、深夜、横山やすしに電話をかけさせられた。
「横山やけど・・・・」
「南海電話の始発は何時ですか?」
「横山やすしと知っての狼藉かぁ」
寝ていた横山やすしは怒り狂い、鶴瓶はあわてて電話を切った。
あるとき
「弟子にしてください」
という電話をもらった鶴瓶は、とにかく師匠に会わそうと
「・・・・に来てください」
と答えたが、実は電話をしたのは明石家さんまで、
「鶴瓶兄さんはもう弟子をとろうとしている」
という噂を流した。
明石家さんまは玲子夫人にも
「水道局ですけど、風呂の水が流れっぱなしになっていますからみてください」
「電話局ですが、1m離れて鍋のフタ叩いてみてください」
などとイタズラ電話を入れた。
鶴瓶が明石家さんまのラジオ番「ヤングタウン」に出演。
まだ松竹と吉本は共演NGの時代で、河内家菊水丸が大阪千里丘の毎日放送から車で出て兵庫県西宮市の鶴瓶が建てたばかりの家を訪れるという企画だった。
パジャマ姿の鶴瓶が家の前で待っていると、それらしき車が近づいてきたので、パンツを脱ぎ尻を広げ肛門丸出しで待った。
「プップー」
しかし車は親愛のクラクションを鳴らして通り過ぎていった。
鶴瓶のまだ知らぬ近所の人だった。
河内家菊水丸は到着すると怒られた。
「お前ら遅いから町内の人の車に向かってズボンずらしてみせてしもうたやないか!
引っ越してきてまだ半月や!」
河内家菊水丸には落ち度も、どうすることもできなかった。
鶴瓶は、関西芸能界の先輩からも所属事務所を問わず可愛がられ、松竹所属であるにもかかわらず吉本の番組にも出演した。
吉本と松竹が強く対立していた当時、異例のことだった。
また自身がベテランになった後は、あらゆる事務所の若手とも交流した。
事務所や世代の壁を超える、いや無くす存在だった。
しかし鶴瓶はただの優しいYesManではない。
「フォークとロックの会」というライブイベントの司会をしたとき、あるロックバンドのギタリストのチューニングが遅れ、鶴瓶はトークでつないだ。
しかしロックバンドは謝るどころか鶴瓶の質問を無視し続けた。
そしてベーシストから
「俺はお前が嫌いや、嫌いやねん」
といわれ、鶴瓶はベーシストが鼻血が出すまでマイクで殴り続けた。
後日、このベーシストと偶然再会して話す機会があり
「しばし心のなかの汚点がスッと洗い流されるようなさわやかな気持ちにひたった」
と語っている。
イベント会社社長の若手芸人をバカにした態度が気に入らず、出演せずに劇場を後にしたこともあった。
後年、スターとなった鶴瓶に同じ企画会社から仕事が入ったが
「売れていない弱い立場の芸人には平気で高飛車に命令をしておいて、少し売れてくるとたちまち態度を変える。
僕はそんな方と一緒に仕事をしたくないんです」
と直接いって仕事を断った。
カメラに股間を押しつける
1975年、23歳の鶴瓶は東京12チャンネル(現:テレビ東京)の深夜生放送番組『独占!男の時間』で、東京初進出。
その初仕事は「セクシー美女による温泉リポート」という企画だった。
しかし本番前、横柄で傲慢な態度の番組スタッフに、
「山城(新伍)さんに使ってくれっていわれたからお前を使ってやったんだ」
といわれ
(コイツに目にものみせてやる)
と反骨心がムラムラと沸き上がった。
そして生放送の本番が始まった。
「続いては温泉リポートです。
どんな美女が登場するでしょか?」
とアシスタントが紹介すると、カメラが美女の足元をとらえ、そのままゆっくり上がっていくと、実は鶴瓶だった-というオチだった。
しかしカメラが腰元辺りを捉えた瞬間、鶴瓶は巻いていたタオルを外し、そのままカメラに接近。
股間をレンズに押しつけた。
生放送のスタジオは悲鳴と怒号に包まれた。
こうして鶴瓶の東京進出は失敗した。
スタッフ全員全裸で中森明菜を待つ
1976年、MBSヤングタウンを担当。
鶴瓶はスタジオに現れると全裸になってからハガキの選定作業に入るのが常だった。
ヤンタンは、関西の黄金番組でほとんどの学生は必ず聞いていたという番組。
あるとき電話コーナーの冒頭に
「鶴瓶さん、私のこと覚えてます?」
といわれ
「覚えてるよ」
といったが
「え、まだペンネームもいってないのに・・」
と突っ込まれどうしようもなかった。
中森明菜をゲストに迎えるに当り、鶴瓶の提案で鶴瓶を含めスタッフ全員が全裸で中森の入りを待った。
これは先に入ったマネージャーによって発覚し、中森明菜は全員がパンツをはくまでスタジオに入ろうとしなかった。
鶴瓶は「ギャグベスト3」というコーナーで、下ネタを連発し2度ほど謹慎、放送出演停止処分を受けたこともあった。
また放送中に大便をしたこともあった。
カメラに肛門をどアップで撮らせ、社長が大事に育てていた錦鯉を踏み殺す
「11RM」「23時ショー」と並んで「独占!男の時間」もお色気色が濃い番組で、それはドンドン過激になっていった。
当時。ミヤケン(宮本顧治、政治家、文芸評論家)の
「商業テレビは女性を軽視した番組、女性の裸体を売りにした番組が多い」
という発言をきっかけに、テレビではポルノ番組追放キャンペーンが展開されていた。
女性だけでなく鶴瓶の裸体まで放送した『独占!男の時間』は、その格好の対象となり打ち切りが決まった。
最終回で、納得できない山城新伍は
「(局の上層部、個人名)は、『男の時間』の裸は低俗だというが裸に高級も低俗もあるか」
と批判。
しかも2年前に事件を起こした鶴瓶をゲストに呼び、番組前に
「鶴瓶、今日でこの番組も終わりやしな。
なにをやってもかめへんで。
お前の好きなようにやり」
といった。
鶴瓶はカメラにお尻を突き出し、グーっと開いて肛門をどアップで撮らせ、スタジオから逃亡。
その後、テレビ局の外にあった噴水池に裸で飛び込んだが、ここで意図せず中川順社長が大事に育てていた錦鯉を踏んで殺してしまった。
鶴瓶は
「鉄砲玉の時代ですから・・いくしかない」
「気がついてら鯉が浮いてた」
といっているが、東京12チャンネルに無期限出入り禁止処分となった。
処分後、鶴瓶は明石家さんまで電話を入れた。
「俺は鯉に負けんのか。
鯉よりは頑張ってると思うで」
Ep2につづきます。