鶴瓶だもの
笑福亭鶴瓶。
本名 :駿河学。
なにげに押尾学と似ている。
1951年12月23日、大阪府中河内郡長吉村長原(現:大阪市平野区長吉長原)の4軒長屋で、5人兄弟の末っ子として生まれ、3人の姉たちに化粧されたり水着を着せられたりしながら大きくなった。
クリスマスにツリーをねだると母親は
「つくったる」
とタンスを上のほうの段は小さく、下のほうの段は大きく引き出しツリー型にし、靴下などを飾りつけた。
浪速高校では、ボクシング部に入ったが、練習で目を傷め退部。
後年、赤井英和が同校同部に入ったので、2人は学校的にも部活的にも先輩後輩の関係である。
(ちなみに学校的な先輩に林家ぺーがいる。)
赤井英和が浪速高校に入った頃、学校の近くを女性が通るとどこからともなく奇声や机やベランダの手すりを叩く音が起こり、やがて大合唱となるという習わしがあったが、これも鶴瓶が始めたという。
その後も、鶴瓶のボクシング好きは変わらず、現在もボクシングジムで練習することがある。
ボクシング部をケガで退いた後、友人たちと落語研究会を立ち上げ、「浪速亭無学」を名乗り、授業が自習になると教卓の上に座布団を敷いて落語をした。
通常の授業中も教卓の前の席で下半身裸で座っていたり、裸で職員室を駆け抜けたりしてみんなを笑わせた。
浪花高校の同級生:杉本は、校則により中学まで丸坊主だったため「チンネン」というあだ名がついた。
しかし髪の毛を伸びるとすごいクセ毛で天然パーマであることがわかった。
あだ名は「チンネン」から「チンゲ」になった。
杉本は、自分の髪の毛、わき毛、陰毛を抜いて3点セットにして
「どこの毛?」
と当て合いをさせた。
授業をサボって友人と18歳以上限定の映画を観ていた鶴瓶は、客席に生活指導の教師を発見。
「田中来てるぞ」
「ホンマか?」
みんなで相談し逃げることにした。
暗闇の中、通路を歩いていくといきなり教師に腕を引っ張られた。
「学校いったら俺が来てたこというなよ」
ある授業で鶴瓶は教師を怒らせてしまった。
教師が黒板に書いているとき、鶴瓶が手に入れた小銭で
「チャンチャカチャンチャン」
と鳴らすと
45人全員が
「チャンチャン」
と続いた。
「静かにせい」
教師は振り返っていった。
そして教師が再び黒板に向かうと鶴瓶は机を太鼓のように
「トントコトントン」
と叩くと45人全員が
「ドンドン」
と続いた。
71歳の青木先生は再び振り返って
「エエかげんにしろー」
と怒鳴った。
しかし歯の噛み合わせなのか、空気が入ったのか
「エエ加減にしろ」
の後に
「ピィッ~」
という音が鳴った。
「エエ加減にしろぉピィッ~」
鶴瓶は「ピィッ~」が気に入り、その後もピィッ~ピィッ~いわせ続けた。
ある授業では「ダルマさんが転んだ作戦」が決行された。
青木先生が黒板に向かって書いているとき全員が音を立てないように少しずつ机を前進させていく。
青木先生が振り返ると止まり、黒板に書き出すと再び前進。
最後は机と黒板で青木先生を挟んだ。
「何の意味があるんや。
何をしとるんや。
後ろ行け」
青木先生が再び黒板を向かうと、鶴瓶たちは今度は一気に教室の1番後ろま下がった。
振り返った青木先生は唖然とした。
「情けない。
誰がそこまで行けいうた。
中途半端にしろぉ-ピィッ~」
ある授業では青木先生が黒板に書き出すと鶴瓶の合図で全員が学生服のホックを頭の上で止め、本を持って読んでいるフリをした。
青木先生が振り返ると全員が本を読んでいた。
「先生は本読めいうてないやろ。
誰が本読めいうた。
本を置け」
46人全員が一斉に本を置くと首がなかった。
「首ィ、ピィッ~」
鶴瓶は授業が終わるとわからないところを青木先生に質問を(するフリを)した。
すると青木先生は一生懸命に教えてくれた。
鶴瓶はさらに質問をした。
体が小さくて歩くのが遅い青木先生は、職員室に帰る前に次の授業開始のチャイムが鳴り、そのまま次の授業へ。
次のクラスも鶴瓶から申し送りを受けていて、授業後、質問攻めにした。
青木先生は、職員室に帰れずに延々と教え続けた。
鶴瓶たちは、喫茶店で学校をサボっていても、朝起きて熱があっても、青木先生の授業があれば学校にいった。
「最後の青木の授業やで。
どうする?」
卒業前、みんなで青木先生の最後の授業をどうするか相談した。
「青木が黒板に字書きおるやろ。
それで振り向きよるやろ。
ほな全員でな、バーンってカバンを投げるねん」
「死んでまうがな」
「青木が黒板に字書きおるやろ。
それで振り向きよるやろ。
ほんなら誰もおらへんねん」
「それもうやったがな。
同じことやったら青木に失礼や」
これまで1回もしていないことを考えた結果、
「マジメに受ける」
ということになった。
おそらく「ピィッ~」は聞けないだろうが、これまでの感謝と謝罪の気持ちを込めて
「青木のいうことをすべて一言一句もらさずノートにつける」
ということになった。
「いよいよ最後になりました。
今日は自習にしてもええねんけれど、社会に出る君たちにせん越ながら言葉を贈らしてもらう。
これは授業じゃないからリラックスして聞いていなさい。
『風の日には風の中を、雨の日には雨の中を』
東北の方のお坊さんで相田みつお先生という方がおられる。
この人の言葉や。
『幸せは自分の心が決める』
エエ言葉やな。
先生、コレ好きや。
・・・・・ノートはつけんでええねん」
しかし鶴瓶たちは黙々とノートをとり続けた。
「・・・・・こんなんもある。
『中途半端にぶら下がっていないで落ちてみろ』
これもエエ言葉や。
人間いうのは悩んだときには・・・・
どこか悪いのか?」
しかし鶴瓶たちは黙々とノートをとり続けた。
「『負ける人のおかげで勝つ人がおる』
これもエエ言葉やな。
なっ?
・・・・オイ、マジメにしろ!!」
しかし鶴瓶たちは黙々とノートをとり続けた。
「『イライラするんやにんげんやもん 』
これもエエ言葉や。
・・・・ノートはつけんでええの。
ノートはつけんでええのってノートに書いてどうすんの?」
しかし鶴瓶たちは黙々とノートをとり続けた。
「駿河、なにしとるんや?」
「1年間、先生困らせてきたんで、今日だけはみんなで一生懸命授業聞こう思って・・」
「座れ。
アホか。
13クラスある3年生の中で、このクラスが1番ペケ。
私の50年の教師生活の中でも、このクラスが1番ペケ。
そやけども先生はこのクラスが好きや。
オイッ、いっつも来るの楽しみにしてたんやど。
オイッ、今日でワシの授業最後やないか。
なあ、今日来るの楽しみにしとったんや。
オイッ、いつもの通りしろよ。
オイッ、いつもの通りしろよ。
いつもの通りしてくれ。
オイッ、いつもの通りしろ!!ピィッ~」
修学旅行で浪速高校は女子高と同じホテルになった。
鶴瓶と同部屋になった宮本がいった。
「駿河、女おるぞ。
しゃべりにいこう」
「アカン、無理や」
廊下では生活指導の教師が立ってバリケードをしていた。
「方法がある」
「なんやねん方法て」
宮本は押入れをあけてみせた。
「みてみい」
すでに天井が開けてあり、天井裏の太い梁がみえた。
「アレを伝っていったら下が女の子の部屋や」
「お前、頭おかしいんか。
こんな天井ぶち破ってどうすんねん。
でもまあ、ここまでやったんやからいこか」
男子校の2人は天井裏を進み、女子高の部屋の上からトランプする様子を覗いた。
しかし教師による点呼があるため帰らなければならなかった。
暗闇の中、鶴瓶はいった。
「帰ろか」
「ホコリで手が滑る」
宮本が答えた。
「どっか持つとこないの?」
「ちょっと待って。
体勢整える。
痛い痛い」
「ちょっと頼むで。
はよ帰らな怒られるがな」
「ちょっと待ってくれ。
痛い痛い。
イテテイテテ・・・」
「・・・・・・・」
「イテテ、ウッ、お先」
宮本は下に落ちた。
「ギャー」
女子高生たちは叫んだ。
天井裏に戻ろうとする宮本を鶴瓶は引き上げた。
そのとき宮本はベニヤ板で腹に傷を負ったが2人は急いで自分たちの部屋に戻った。
「布団かぶっていびきかけぇ」
鶴瓶の指示で全員が眠った。
鶴瓶の隣では宮本が
「痛い痛い」
とうなっていた。
3分もたたずに生活指導の教師が部屋に来た。
怒っていた。
「駿河、出てこい。
向こうの部屋で人間が落ちてきたいうてはる。
駿河出てこい。
お前や。
お前にに決まってる」。
(なんで決まるねん。
旅のしおりに駿河落ちるって書いてあんのか)
鶴瓶は必死に笑うのをこらえ寝たフリを続けた。
後にわかったことだが、宮本が鶴瓶の体育パンツをはいていたため、天井に戻るときにお尻に書いてあった「駿河」という名前をみられていた。
「電気つけるぞ。
俺はつけるいうたらつける」
そういって教師は1枚1枚布団をめくって
「違う」
「違う」
「違う」
と1人1人顔を確認していった。
教師は鶴瓶の隣まできた。
宮本は痛みに顔を歪めていた。
「・・・違う」
(なんでやねん)
次にめくられた鶴瓶は座らされた。
「なにかあったんですか?」
「シラこいなワレ」
「なにかあったんですか?」
「向こうの部屋で人間が落ちてきたいうてはる。
お前や」
「知りません」
「お前や」
「知りません」
「お前や」
「知りません」
「ほなそのお前の頭のクモの巣はなんや!」
「知りません」
鶴瓶はなんとかごまかせるかもと思ったが、直後、隣の宮本が痛みに耐え切れず暴れ出したため無理だった。
あのねのね
多くの同級生が桃山学院や近畿大学を受験する中、鶴瓶は、
「いったん過去を捨てたい」
と友人が誰も受けていない英和大学、京都外大、関西外大、京都産業大学、関西大学を受験した。
「ここへ集まってくれたのは他でもない。」
京都産業大学の入学試験の昼休み、食堂で鶴瓶は突然、他の受験生を前に演説を始めた。
大学受験という人生をその後の左右する大事なときに、緊張すればするほど笑ってしまう真面目なときほどふざけたくなる癖が出た。
試験に向け勉強している人の迷惑も顧みず、鶴瓶は食堂を歩きながら演説を続けた。
そしてカレーライスを食べている女性2人組を発見。
「勉強している人もおりゃ、こうやってカレー食ってるヤツもおる」
そういって1人の頭をガシッとつかんだ。
怒られても仕方がない行為。
しかし女性は、鶴瓶を見上げニコッと笑った。
瞬間、鶴瓶は恋に落ちた。
この男子校のノリと鶴瓶の笑いを理解し受け容れた女性こそ、後の玲子夫人だった。
鶴瓶は、英和大学、京都外大、関西外大にも合格したが、
「彼女に会えるかもしれない」
と京都産業大学を選んだ。
頭のいい人間に対抗心を持っていた鶴瓶は、受けていない京都大学の合格発表会場に行き、落ちていそうな生徒の隣で
「あった!」
と合格したフリをして胴上げされるという悪戯を慣行。
その場にいたNHKに取材され、その模様が夕方のニュース番組で流れ、親戚から祝電が届いた。
京都産業大学入学直後、麹町六角の三木半旅館でアルバイトを開始。
そこで1学年上の清水国明と出会った。
清水国明は福井県の実家がギターの修理をやっていたため、福井に帰る度にギターを大阪に持って帰り、お金に困るとそれを鶴瓶に売りに行かせて、また実家に帰った。
鶴瓶がガールズバーのサンドイッチマンのアルバイトを、喫茶店でサボりながら終えて帰ると
「みんなで食おう」
と清水国明にお金を取り上げられた。
あるとき清水国明は突然消えた。
そしてしばらくして大きな鮭を何匹も持って鶴瓶の部屋に現れた。
聞けばソ連行きの貨物船に乗り込んでいたという。
その後、しばらく清水国明は鶴瓶の部屋に住んだ。
鮭は部屋に吊るされ、2人は毎日鮭茶漬けを食べた。
夜になると清水国明はカーテンを外してくるまって寝ていたが、やがて鶴瓶の布団を奪い取った。
鶴瓶はしばらくその部屋に戻れなくなった。
鶴瓶は「落語長屋」という京都産業大学の落研(落語研究会)に入り、「童亭無学」を名乗った。
「国際経済論」の授業を受けていたとき、同じクラスの美和と共に玲子が教室に入ってきた。
(うわぁ)
鶴瓶はすぐに美和に玲子を紹介してもらい、2人を落研(落語研究会)のマネージャーに誘った。
落研に入会した玲子は、マネージャーにもかかわらず「レモン亭円(れもんていまどか)」という高座名をつけられた。
鶴瓶は「玲子ちゃん」にゾッコンだった。
「ある日、大教室に呼び出したんです。
『落語やったる』と。
イザやったらひっくり返るくらい笑ってね。
そんときのパワーはこれまでで1番だったと思いますよ。
好きな子を笑わしたろうと必死でしたから。
まだ付き合う前で」
原田伸郎が「落語長屋」の説明会にいってみると、鶴瓶が落語をしていた。
「うまいなあ」
「こんな先輩がいるなら楽しそうだな」
と思い
「1年生の原田伸郎といいます。
よろしくお願いします」
と挨拶すると
「俺も1年やねん」
といわれた。
鶴瓶は三木半旅館のアルバイトを原田伸郎に紹介し、原田伸郎は清水国明と出会った。
朝5時に起きて布団を上げ、朝食の配膳、部屋の掃除を行い、その後大学に行こうとするが、三条大橋の手前のパチンコ屋に入ってしまい、お金が無くなると橋を渡らず三木半に戻り、ギターを弾いたり落語をやった。
鶴瓶と原田伸郎は、面白さ、笑いを競い合った。
「原田、玲子が引っ越しよったんや」
とある夜、鶴瓶は原田伸郎を連れて玲子の引っ越し先まで出かけ、
「ああ、玲子は勉強しとるんかなあ。
もうすぐテストやしなあ」
と独り言をいいながらずっと2階の部屋の電気を見つめていた。
そして電気が消えると
「あっ玲子が寝よった。
帰ろか」
といった。
清水国明、原田伸郎、玲子、鶴瓶は「あのねのね」を結成した。
鶴瓶は
「玲子は原田伸郎を好きなんかもしれない」
と疑い心配して練習をみているだけだったが、
「お前も歌え」
と清水国明にいわれて入り、
「ファンキーモンキーベイビーズのあの人みたいに」
後ろで踊っていた。
あのねのねは、丸山公園音楽堂で行われたヤマハ・ライトミュージックコンテスト京都大会に出て、「ひょっこりひょうたん島」を演奏。
清水国明、原田伸郎をバックに玲子がボーカル。
鶴瓶は客席で踊っていた。
そして6組中6位になった。