林 紀恵(はやし のりえ)プロフィール

出生名 林 紀江(はやし のりえ)
生誕 1964年8月31日(55歳)
出身地 北海道札幌市
学歴 堀越高等学校 卒業
ジャンル アイドル歌謡曲
職業 歌手
活動期間 1981年 - 1982年
レーベル キャニオンレコード/NAV
事務所 ホリプロダクション
生い立ち

右下
1964年8月31日に北海道札幌市で生まれた林さん。1歳年下の弟さんがいらっしゃいます。
子供の頃は男勝りで活発、子供の頃から楽天家でさっぱりした性格だったといいます。
また小学生の頃は人気投票をしても、よく1位になったほどの人気者だったとか・・・。
運動会で走ってもいつも1位か2位だったが、スポーツは陸上競技よりも球技やスキー、スケートの方が好きで、一時期はスポーツ選手になる夢を持っていた事もあったそうです。
林さんは小学校の高学年頃から歌に興味を持ち始めとそうで、中学生になって石野真子さんの活躍を知るようになって芸能界に関心を持つ様になったといいます。
第5回ホリプロタレントスカウトキャラバン

歌に興味を持ち始めた林さんは、高校生の時に、第5回ホリプロタレントスカウトキャラバンに応募して見事に一次審査を通過しました。
しかし、一次審査を通過の通知のハガキを見た両親が反対した他、高校の先生からも「テレビに出るなら退学覚悟で出なさい」と言われたそうです。
何とか、ホリプロ側からの説得もあって出場を続行し、決戦大会で岩崎良美の「涼風」を歌ってグランプリを受賞。
1981年3月21日「えとらんぜ」で歌手デビューを果たしました。
ホリプロも力を入れていた!!

株式会社ホリプロ
林さんは歌手デビューすると、新人ながら、直ぐに連続ドラマやテレビCMにも出演されていました。
当時、林さん、にかけられた宣伝費は約2億円と言われていました。
リリースされたレコード

林紀恵 えとらんぜ
レコード・シングル4枚
えとらんぜ(1981年3月21日)
素敵なラブモーション (1981年6月21日)
タオルをなげて!(1981年9月21日)
影踏みシティー(1982年1月21日)
テレビドラマ

ひまわりの歌(1981年 - 1982年、TBS) - 大木香子 役
ハウスこども傑作劇場『薫は少女・2 燃えつきた18年編』(1982年9月14日、テレビ朝日)
CM
江崎グリコ
花王
芸能界のタブーを犯して!!

カメラアシスタント
当時はホリプロ側も力を入れて売り出していた林さんなんですが、アイドル時代にカメラアシスタントの男性と恋愛関係になったそうです。
人目を忍んでデートを繰り返したものの、事務所にバレたとか・・・。
現在でもアイドルが恋愛って騒がれるのに、当時の80年代初めのころは、アイドルの掟破りで、大スキャンダルでした💦
だって当時は、アイドルはウンコもしないなんて言われてた時代ですから💦
失踪同然の引退!!
林さんは自由に恋愛出来ないアイドルであるの自分に悩み「私は芸能界の水に合わない」としてアイドルをやめる決心をしたことが引退の理由だったと言います。
当時は失踪同然の引退と騒がれていました。
引退後は?

引退後、林さんは北海道に帰ってOLとなったそうです。
そこの勤務先で出会った男性と24歳で結婚し、子供ももうけたが後に離婚。
シングルマザーとなって子供を引き取り育てるが、ストレスから突発性難聴やパニック障害を発症したこともあったそうです。
『爆報! THE フライデー』
2019年7月19日放送の『爆報! THE フライデー』に引退以来36年ぶりにテレビ出演され、当時の事や現在の近況などを語られていました。
林さんは、42歳の時に介護ヘルパー1級の資格を取得して、2019年現在は愛知県豊田市内の介護施設に勤務しているそうです。
野村真美と再会
女優の野村真美さんは同期で共にホリプロタレントスカウトキャラバンで争った同士でもあり、この時から友人同士でもあったそうで、林さんの引退後は音信不通状態になっていたそうですが、『爆報! THE フライデー』の番組中で再会をされていました。
いかがだったでしょうか?
また面白そうなネタが、有ったら、まとめてみたいと思います。
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