GON 中山雅史 本能むき出しの点取り屋 ハットトリック男 熱血、不器用、猪突猛進、侍エースストライカー

GON 中山雅史 本能むき出しの点取り屋 ハットトリック男 熱血、不器用、猪突猛進、侍エースストライカー

Q.好きな言葉は?「力」 Q.欲しいものは?「膝の軟骨、半月板、テクニック」Q. 中山雅史にあるものは?「負けず嫌いとサッカーを愛する気持ちだけ。ほかになにもないから中山雅史だった。なにもないからなにかを得ようともがき苦しみ、もがき苦しむことから抜け出すために、手を伸ばし、その先をつかもうと努力した。ずっとその繰り返しだった」


1994~2009年まで治療のため100回以上、戦線を離脱。
腰痛、下肢肉離れ、グローイングペインシンドローム(鼠径部周辺痛症候群)、半月板損傷、膝内側側副靱帯損傷、両足首捻挫、眼窩底骨折、肩脱臼、指骨折、肋骨骨折、腓骨亀裂骨折、無数の切り傷・・・・、
サッカーで考えられるほとんどすべてのケガをして、重度のものも多かった。
無事なのは足の甲と第5中足骨と前十字靱帯くらい。
特に大きな問題は両膝だった。
X気味の脚は、両膝とも大腿骨と下腿骨の間でクッションの役割を果たす半月板がほとんどなく、大腿骨と下腿骨の先端を覆う軟骨もほとんどなかった。
そのため骨と骨が直にぶつかり、激痛が走り、炎症を起こし腫れた。
普通ならば身動きが取れないほどの痛みを伴うケガをしていても強行出場し、いつもと同じくリスクを求めるかのように激しくプレーし多くの試合で得点を挙げた。
そしてまたケガをする、
ケガを治すためには休むしかないが、決して休もうとしない。
ケガが治りきらないうちにプレーするため、古いケガが新しいケガを生んで重なった。
それでも休もうとしなかった。
背筋が肉離れを起こし、走ることも跳ぶこともできず、前屈みでしか動けなくなっても
「明日は筋が切れてもやるよ」
といった。
そして
「いやすでに切れてます」
といわれた。
安静ししていれば2、3週間で治るが無理をすれば2ヵ月かかるかもしれないという。
肉離れは筋肉が部分的に断裂している状態だが、強い負荷を加えると決定的に切れてしまうかもしれない。
しかしこのときも中山雅史の意志は恐怖とメディカルスタッフを振り切った。
「とにかく監督に行けといわれたら行く。
大丈夫だろう?」

5月28日、中山雅史はに2001年から続けてきた選手協会の会長職を藤田俊哉に譲り名誉会長に就任。
9月15日、ジュビロ磐田 vs 大宮アルディージャ。
中山雅史はここまで24試合中10試合に出場し、先発4、途中出場6、フル出場0。
前回、後半44分に交代出場して以来、7試合出場がなかった。
この試合、ジュビロ磐田は、後半26分と40分に得点し2対0。
終了間際、内山篤監督はレフリーに選手交代を告げた。
「ゲームをしっかり終わらせてほしい」
監督の指示に中山雅史はうなずいた。
84日ぶりの出場機会に与えられた時間は36秒だった。
味方の頭に当たって転がるボールを中山雅史は猛追。
ラインギリギリで追いつき左足でクリア。
大宮アルディージャのキーパーがそのボールを蹴り返した。
直後、大宮アルディージャのコーナーキックをジュビロ磐田がクリア。
ボールはセンターラインを越えて飛んでいった。
中山雅史は追った。
ディフェンダーはゴールキーパーのみ。
加速する中山雅史の目の前にボールが落ちた。
このままドリブルでいけばシュートを打てる。
期待が膨らんだ瞬間、試合終了のホイッスルが鳴った。
中山雅史はボールを両手でつかんで悔しそうにピッチに投げつけた。
2008年5月25日、ナビスコカップ清水戦後半43分、コーナーキックをヘディングで決めた。
この得点が中山雅史が挙げた最後の得点となっている。

42歳 戦力外通告

2009年夏、ジュビロ磐田は中山雅史に来シーズンは契約を更新しないことを告げ、フロントスタッフ入りを打診した。
42歳の中山雅史はあくまで選手であることを望み、フロント入りをキッパリ断り、かつプレーで戦力外通告を覆そうとした。
2009年11月28日、ジュビロ磐田の残る試合は今日と明日の2ゲームのみ。
試合当日の練習は10分走×2本とミニゲームだった。
中山雅史は、文句はいわないが、話したり笑ったりしながらの練習は嫌いだった。
「今日はキツかったなあ」
そう思いながら夕暮れに寝転んぶのが大好きだった。
この日も勢いよく芝生を蹴ってスタートし、アッという間に抜け出し、グループは後方に置き去りになった。
「おっ」
前方に本田慎之助の背中を発見。
23歳下の本田慎之助もグループには加わらず1人で走っていた。
中山雅史は本田慎之助を抜き去り、本田慎之助は中山雅史を追いかけた。
6周し終えたところで10分走の1本目が終了。
中山雅史は歩きながら呼吸を整えた。
インターバル中でも話したり笑ったりしているグループには近づかなかった。
2本目が始まると、また最初から飛び出した。
本田慎之助が追った。
6週目中盤で残り時間がわずかになった。
どうしても1本目より1周多く走りたかった。
中山雅史は振り返り本田慎之助にいった。
「ラストもう1周いくぞ!」
「はい」
スパートした中山雅史は7周を走り切った。
少し遅れて本田慎之助もゴールした。
「中山さんの前を走っちゃいけないっていうことですね」
「それはそうだよ」

14時、ジュビロ磐田 vs サンフレッチェ広島戦が開始。
中山雅史はベンチに座った。
前半22分、サンフレッチェ広島の佐藤寿人が先制点。
後半7分、ジュビロ磐田のイ・グノが決定的チャンスを逃す。
後半34分、船谷圭祐に代わって村井慎二が出場。
直後、中山雅史がウォームアップ開始。
後半35分、中山雅史がベンチの選手1人1人とハイタッチし、柳下正明とは握手を交わした。
そしてラインの外側に立ち右手でユニフォームの心臓付近をつかみ、両拳で胸を叩いた。
後半37分、イ・グノと中山雅史が交代。
後半40分、味方のクロスを頭で合わしたがボールはバーの上へ。
後半48分、時間は容赦なく過ぎ、ゲーム終了のホイッスルが鳴った。
0対1。
ジュビロ磐田は負けた。
試合後行われたセレモニーで壇上に上がった中山雅史は四方に向かって丁寧に礼をした。
「俺がジュビロの中山だ!
サンキューサンキューサンキュー!」
2009年11月29日、前日同様、中山雅史は10分走を単独行で終えた。
前を走る選手も後を追う選手もいなかった。
「ありがとうございました」
シャワーを浴びて体のメンテナンスを終えクラブハウスを出た中山雅史は、いつものようにグランドに頭を下げた。
ヴィッセル神戸との最終戦で出場機会はなかったが、試合後両チームのサポーターの声援に応え1万5000人の拍手を浴びながら最後の試合を終えた。
こうして20年間在籍したジュビロ磐田を退団した。
「先に何が待ち受けていようと走り続け維持を張り通すだけだ」

トライアウトに参加


2009年12月10日、大阪の長居陸上競技場で日本プロサッカー選手会と日本プロサッカーリーグによるJリーグ合同トライアウトが行われ、所属チームから戦力外通告を受け、新しい所属先が決まらず、それでもどうしてもサッカーが続けたい選手が52人集まった。
それを各チームのスカウトや関係者173人が見守った。
中山雅史に対しては、すでにいくつかのチームが獲得を表明していたためトライアウトに参加する必要はなかったが、自身がプロサッカー選手会会長時代に
「戦力外になった選手には各チームに出向き練習に参加するしか新しいチームを探す方法がない。
野球のように選手と関係者が1ヵ所に集うトライアウトを行うべきではないか」
と提案し実現させたことだったし、1選手として公平に勝負し、スカウトや関係者にい評価をしてもらいたかった。
集まった選手はポジションなどを考慮しながら、ランダムにチーム分けされ、前半15分、後半15分の紅白戦が行われた。
初めてチームとなって組む同士、チームプレーは難しかったが、サッカーへの思いを込めてガチンコでぶつかり合った。
中山雅史は他の選手にとって自分をアピールするために最高の敵だった。
積極的に絡み挑んでいった。

生まれて初めて体が走ることを拒絶

2009年12月24日、ロアッソ熊本(J2)、横浜FC(J2)、コンサドーレ札幌(J2)、FC町田ゼルビア(JFL)、V・ファーレン長崎(JFL)、藤枝MYFC(東海リーグ)の6クラブが中山雅史獲得の意思を表明。
中山雅史は、年俸提示は最も低いが
「グラウンドに立つための体のケアを一番に考え」
施設や医療体制が充実しているコンサドーレ札幌への移籍を決断した。
「現役生活が1番幸せ。
やめたりあきらめたりはいつでもできる。
無様な姿を晒すかもしれないが、それが僕のサッカー人生」
2010年、中山雅史はコンサドーレ札幌に入団。
J2で12試合に出場し無得点。
11月に両膝を手術。
2011年、昨年の手術後、両膝は悪化の一途をたどった。
2011年7月、痛み止めの飲み薬が効かなくなり、直接膝に注射を打つようになった。
その効き目も、最初は3日持ったが。やがて2日に、そして1日になった。
9月、練習前のウォームアップの最中、膝が痛み動けなくなる。
初めて経験する痛みで中山雅史は崩れるように芝生に倒れこんだ。
2週間安静にしチームに復帰したが、1歩踏み出すごとにうめき声が出た。
ウォームアップを兼ねたランニングは何とか走り切ったが、続く1000m走はどうにもならなかった。
(ダメだ)
生まれて初めて身体が走ることを拒絶した。

「このまま運動を続けると骨が壊死するかもしれません」

病院に行くと
「このまま運動を続けると骨が壊死するかもしれません」
といわれた。
膝の半月板と軟骨がほとんどないため大腿骨と下腿骨が直接ぶつかって重度の骨挫傷を起こしていた。
ドクターストップがかかって走ることをやめても痛みは消えず、なかなか寝つけず、立っているだけでフラつき、階段はまともに下りることができなかった。
東北の大学病院でMRI検査を受けると
「患者の名前と年齢を伏せて、この画像を10人の整形外科医にみせたら、おそらく9人は人工関節を勧めるでしょう。
この状態では手の施しようが・・・」
医師は声をひそめた。
12月、軟骨再生治療を行っている大学病院でへいった。
「まだ臨床研究中で、膝の軟骨がある程度残っていることが再生の条件です。
再生には1年かかります」
「両脚同時に再生できますか?」
「それはできません。
それから再生された軟骨の強度は日常生活に耐えられる程度です」
治療に2年もかけられないし、求めているのはサッカーをやるための軟骨だった。

軟骨再生は断念した。
以後、リハビリに取り組んだ。
もう膝が元に戻ることはないが、目標はプレーできるようになることだった。
チームメイトがピッチでサッカーをしているのをみながら1日中1人で自転車をこぎ続けた。
問題はX脚だと考えられ、それを矯正するために歩き方、足裏の接地の仕方を練習した。
足裏の接地を変えるためには、体の使い方を変える必要があった。
44年間続けてきた歩き方を変えるというのは、簡単そうで実はすごく大変なことで、うんざりするほどの反復練習を行わなければいけなかった。
膝の痛みは続き、朝目覚めてもすぐに起き上がることはできなかった。
床に置いたベッドマットの端に座り、10本の指を床をつかむように動かし足裏をほぐす。
そして壁に向かって四つん這いになって、椅子の上に膝立ちになって、後ずさりするようにゆっくり脚を伸ばして立ち上がった。
痛みを迂回するための儀式だが、それでも完全に避けることはできない。
立ち上がると、膝が絶対痛いので、いつも勇気が必要だった。
ウォーキングからジョギングへ。
ジョギングからスプリントへ。
膝に負担にならない歩き方と走り方に変えて距離と時間を少しずつ増やしていった。
新しい歩き方に取り組んで5ヵ月、20mほどならトップスピードで走れるようになった。
しかしブレーキをかけたり方向を変えたりターンすることはできなかった。
2011年シーズン、中山雅史は公式戦無出場に終わったが現役続行の意志を示した。
またコンサドーレ札幌はJ1に昇格した。
2012年3月29日、中山雅史は、東日本大震災の日本代表のチャリティマッチ「東北地方太平洋沖地震復興支援チャリティーマッチ がんばろうニッポン!」でファン投票で13万票を獲得し、Jリーグ選抜に選出された。
2012年11月24日、サンフレッチェ広島がリーグ初優勝を決めたこの日、ホーム最終戦でコンサドーレ札幌は横浜F・マリノスと対戦。
試合終了直前、中山雅史が交代出場。
試合前に痛み止めを6本打った。
それは本来あり得ない量だった。
痛みは体が発するシグナルなので、無理に痛みを抑え過ぎると、気づかずに限界を超えてしまい、かえって危険なので、痛み止めの注射を打つのはできるだけ避けなければならない。
1週間後のアルビレックス新潟との最終戦をあきらめたわけではなかったが、この試合が最後になるかもしれないとも思っていた。
そして1分間プレーし、J1最年長出場記録を45歳2ヵ月1日に更新。
2年ぶり、そして2012シーズン唯一の試合出場だった。

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