「隙あらば・・」
2012年12月4日、中山雅史が会見を開いた。
「今シーズンの最終戦まではとにかく自分のできることを精一杯、挑戦しようと思ってやってきましたけれど、なかなか難しいとも感じてました。
そうしたこともあり、やはり退いた方がいいのかなという思いに至りました。
ただそうは思っても、この会見場に来るまでも、やめなきゃいけないのかなとか、何とか続けられないかなという思いも沸き上がりました。
まだ未練タラタラです。
これでリハビリを終えるつもりもないですし、それでまたバリバリになったらカムバックするかもしれません。
そのときにはまた会見を開くので皆さんまた来てくれますか?」
中山雅史は、人々に感謝の気持ちを伝えたが、最後まで頑なに「引退」は口にしなかった。
また若い世代について、以前からサッカーの技術や理解度などのレベルの高さには素直に感心していたが、
「今のサッカー界には若くてうまい選手が多いですから、もっともっと強くなってほしいと思います」
と「上手いが弱い」という現在の日本の競技スポーツが抱える問題を示唆した。
しかし誰もが「復帰を目指す」というはリップサービスだと思った。
実際、会見後、マネジメント会社ARSと契約し、バラエティ番組、スポーツ番組、ニュース番組、サッカー解説者、全国高校女子サッカー選手権大会のイメージキャラクター、自分のラジオ番組、ゲーム『プロサッカークラブをつくろう!』のCMに出演しゲーム内にも登場など多方面で活躍した。
それだけ忙しければ、トレーニングどころじゃないだろう、すでに現役復帰はあきらめているだろうと思われた。
ところが中山雅史は忙しい合間を縫って水面下で体を鍛えていた。
「隙あらば復帰してみせる」
事務所をジム所化
2013年、中山雅史は東京に小さな事務所を構えた。
最初は準備、移動、仕事で1日の大半が消えた。
やがて札幌で使っていた自転車トローラーが、浜松から酸素カプセルが事務所の一角に運び入れられた。
その後も限られた時間で自分を鍛えるための事務所のジム所化は進行していった。
中山雅史は、できるだけ1日の最初にトレーニングを入れた。
オフィスの一角で黙々と自転車を漕ぎ、筋力トレーニング。
自転車で外に出たり、皇居を走ることもあった。
「体はキツいがやり始めると、やってやろうとギラギラした気持ちが蘇ってきた。
それに比べて今はどうなのか?
落ち着いてしまっていないか?
もっといけるだろう。
いかなければダメだ」
仕事でトレーニングができないと落ち着かず、仕事がない日もジム所にいってトレーニング。
トレーニング後は、階段の踊り場に植木鉢用の大きな受け皿を出し、お湯を入れて汗を流し、近くのコインランドリーで洗濯して帰った。
動いた後はリバウンドで痛みが出るが、走り方を変えたおかげで膝はよくなった。
解説者としてサッカーについて話すことが増えた。
「すでに興味を持っている人はもちろん初めてみる人にも「サッカーって面白いんだな」と感じてもらいたい。
これはどうしてだろう、あれはなぜだろうと思っているところに少しでも参考になるような言葉を届けたい。
より多くの人にその魅力を伝えるためにもっと視野を広げたい。
量より質というが質を上げるためには量が必要だ。
今の僕に必要なのはもっとたくさん試合をみることだと思う」
中学生の試合で初めて監督を経験した。
「1日限りの出会いなので1人1人のプレーの特徴や性格はわからない。
戦術もそれまでやってきたことをやるしかない。
そういう状況なので基本的なことしかいえなかったが、それでもみんな真剣なまなざしで応えてくれた。
そして試合に勝った。
こういう喜びもあるのかと思った」
指導ライセンスの取得などプロの監督になるための準備もしているが、
「監督はプレーヤーの延長線上ではなく、川を挟んで向こう側に広がる世界だ。
機会があれば渡ってみたい。
もしその世界に喜びを感じたらもう第1線には戻ることはできないだろう。
そう思うと少しさびしい気持ちもする」
また他のスポーツのトップ選手と話す機会も増えた。
中にはすべてやり切り、まったく未練なく清々しい気持ちで次のステージに挑戦している人もいた。
「僕はやり切れていない。
だから次もプレーヤーしかない。
トレーニング強度を上げてコンディションを整え、いつか訪れるかもしれないチャンスをつかめるようにしておきたい」
中山雅史は、毎日のように、小さなオフィスの一角で、黙々と、トレーニングを続けた。
臀筋強化 足首と股関節の柔軟性拡大 膝の痛みを無くす
2014年7月、中山雅史は、中村和睦トレーナーと契約した。
トレーナーといっても、レベルや得意分野はさまざまだが、中村和睦トレーナーは、総合誌で特集されるなどスポーツ医学に精通し、これまで大きな故障で選手生命が脅かされた選手を何人も救ってきた。
中村和睦トレーナーは、知人を通じてすぐに中山雅史に会いリハビリを任せて欲しいといった。
その後、何度も話し合いながら中山雅史は任せることを決めた。
まず中村和睦トレーナーは膝の状態を確認した。
想像以上にボロボロだった。
そして
「膝の痛みを無くすために膝の負担をどこまで減らすことができるか」
ということがテーマとなった。
まずお尻、臀部の筋肉の強化。
中山雅史は、大腿は強かったが、臀部の筋力は弱かった。
そこを強化できれば膝への負担を大きく軽減できると大量の筋力強化トレーニングが行われた。
中村和睦トレーナーは負荷強度や回数、トレーニングフォーム、力の入れ方なども細かく管理した。
しかしお尻の筋力だけでは、うしても補えない動きがあった。
それが膝の屈伸だった。
膝に直接負担をかけると痛みが出てしまう。
中村和睦トレーナーは、
凝り固まった両脚のすべての筋肉や腱、靭帯をほぐして柔らかくすること
足首と股関節の可動域を拡げること
を目指した。
マッサージやストレッチは、スペシャリストが呼ばれ、新たにチームGONに加入した。
トレーニングを始めて1年。
実戦的な練習が出来るまでになった。
練習前には、膝にテーピングを施し、状態を確認しながら練習を進めた。
1年前は歩くだけで膝に激痛が走った中山雅史は走りながらボールを扱うまで回復した。
そして実戦練習を始めて1ヵ月後、チャリティーマッチに出場。
およそ30分、全力で走り切った。
その後もトレーニングを行いながら実戦的練習のメニューを増やしていった。
1歩進んでは2歩後退する。
決して楽ではないが着実に前に進んでいった。
48歳、現役復帰
2015年7月、
「テストを受けてみないか?」
チャリティーマッチで指揮をしていた山本昌邦(元ジュビロ磐田監督・コーチ、元オリンピック代表監督)が中山雅史に声をかけた。
2015年9月5日、中山雅史は、テストを受けるため山本昌邦が会長を務める「アスルクラロ沼津」がある静岡県沼津にいった。
テストは30分ハーフの紅白戦。
中山雅史は、1時間、プロを目指す若手選手と共に全力でボールを追った。
9日後、中山雅史の入団が発表された。
あの会見から2年9ヵ月後、中山雅史は、シーズン途中のJFLのアスルクラロ沼津のチーム練習に参加し、軽快な動きをみせた。
そして再びユニフォームを身にまとった48歳は、現役に復帰することを宣言した。
現在、4部リーグに相当するJFLで戦い、来シーズンでのJ3参入を目指すアスルクラロ沼津は、30歳のキャプテンの尾崎瑛一郎が最年長、最年少の平岡将豪は20歳で中山雅史の半分以下という若いチーム。
全員がアマチュアで午前中、練習を行って、午後は各々職場に向かう。
中山雅史は、10月3日のソニー仙台戦での現役復帰を目標に、実戦に向けてコンディションを上げていった。
10月11日、その目標は叶わなかったが古巣のジュビロ磐田との練習試合で実戦に復帰。
中山雅史加入後、アスルクラロ沼津の試合は観客が増えた。
中山雅史は、サッカー解説者などの仕事も行いながら、ベンチ入りしない試合でも駆けつけてチームを鼓舞した。
2015年11月22日、サンフレッチェ広島の佐藤寿人がJ1通算157ゴールを決めて、7年前ん中山雅史の記録に並んだ。
それを中山雅史はスタンドで目撃し
「現時点で追いつかれただけですからね。
ここから引き離していけるように頑張れればいい。
素晴らしいゴールを間近で見させていただき、勉強になりました。
ああいうゴールを決めたいなと情熱をたぎらせてくれる」
とコメントした。
2016年、このシーズンも中山雅史の公式戦出場は無かったが、アスルクラロ沼津はJFLで3位となり悲願のJリーグ入りを決定した。
2019年、52歳の中山雅史はJ3のアスルクラロ沼津で選手としてサッカーを続けながら、サッカー解説者やタレントとして活躍。
アスルクラロ沼津に入団後、公式戦出場はまだないが、日々、練習場で汗を流している。
またJFA(日本サッカー協会)公認S級コーチの資格を取得するためのカリキュラムは終えているものの、取得のために必要な指導実績が足りないことから選手兼任コーチとしてアスルクラロ沼津のU-18のコーチとなった。
選手、指導者、メディア活動の3足の草鞋を履いている。
2020年、JFA(日本サッカー協会)は、アスルクラロ沼津FW中山雅史がS級コーチライセンスの認定を受けたと報告。
現役Jリーガーの取得は初めて。
中山雅史はJクラブの監督を務める資格を得た。