福島女性教員宅便槽内怪死事件
「不思議な事件」といえば、この事件を思い出す人も多いかもしれません。
この事件は、1989年に小学校の女性教員が住んでいる教員住宅の便槽の中に成人した男性の遺体が発見された事件です。
警察は「女性教員がトイレを使用するところをみようとし便槽内に侵入したものの、メタンガスを吸い込みそのまま凍死した…」と事故死と断定。
男性が入っていた便槽はU型の筒状で、125センチ×47センチの幅しかないため男性の遺体はギュウギュウに詰め込まれたような状態です。
そのため遺体を取り出す事ができず、結局重機を使って便槽の周囲を掘って便槽を取り出し、最終的に便槽自体も壊して遺体を取り出しました。
ここで気になるのが「どうやってこの狭い便槽に入ったか?」
警察も色々と検証したそうですが、結局どうやって侵入したか謎のまま…
さらに男性は上半身を裸になって上着を抱いたまま入り、片方の靴は頭の上、もう片方の靴は便槽の外にあった…という不自然過ぎる状態。
そのため事故死と断定されたものの「殺人説」も噂されており、結局現在も男性がどうやって便槽内に侵入したかなどは不明のままです。
悪魔の詩訳者殺人事件
シーア派イスラム教徒のイラン人が犯人ではないか?と言われていますが結局犯人は分からないまま2006年7月11日に公訴時効が成立し未解決事件となっています。
名古屋妊婦殺人事件
当時27歳、出産予定日が5日経過している臨月の女性が絞殺され、殺害後に胎児を生きたまま取り出されていました。
さらに犯人は胎児を取り出した後、子宮の中にプッシュホン式の電話の受話器とキーホルダーを入れ財布を奪い逃走。
臨月の妊婦の腹を切り裂くという異常性などが注目された事件ですが犯人は分からず2003年3月18日に時効を迎えました。
田畑作之介ちゃん轢き逃げ連れ去り事件
1978年3月3日に大阪市住之江区で当時3歳の田畑作之助ちゃんが自宅近くの道路5歳の友達と遊んでいるとで走ってきた自動車にはねられました。
作之助ちゃんはこの時、顔から血を流しグッタリとしてしていたそうです。
ところが作之助ちゃんを轢いた車の運転手の中年男性は「救急車を待っている時間がないから病院に連れていく」と言い、作之助ちゃんを車に乗せそのまま去っていきました。
一緒に遊んでいた5歳の友達はすぐに作之助ちゃんの自宅へ行き母親に説明。
母親は近くの病院に問い合わせますがどの病院にも作之助ちゃんが運ばれていませんでした。
次の日、母親は警察に相談い警察は誘拐事件と断定しました。
その後の捜査で車は作之助ちゃんをはねたあと、数十メートルも走行し、さらに現場には急ブレーキを踏んだ後もなかったことが分かり「前方不注意が事故の原因」と言われていましたが、「ブレーキを踏んだ後がないのなら最初から誘拐目的だったのでは?」という声もあります。
警察は近所の目撃者や5歳の男の子の話を元に、モンタージュ写真を作成するなどしましたが作之助ちゃんを見つけることが出来ず1983年3月3日に時効が成立。
時効成立後は捜査本部は専従捜査員15人のFBI方式で引き続き捜査を進めているようです。
佐賀女性7人連続殺人事件
・1975年8月27日(水)Yさん(当時12歳)が失踪。1980年6月27日に小学校のトイレの便槽内で遺体をYさんの遺体を発見。
・1980年4月12日(土)Hさん(当時20歳)が失踪し6月24日に小学校の便槽内で遺体を発見。
・1981年10月7日(水)Iさん(当時27歳)が失踪。10月21日に電気コードで絞殺され空き地で遺体を発見。
・1982年2月17日(水)Aさん(当時11歳)が首をストッキングで締められ、ランドセルを背負ったままの姿で翌日みかん畑の中で遺体を発見。
・1987年7月8日(水)Hさん(当時48歳)が失踪。1989年1月27日に崖下で遺体で発見。
・1988年12月7日(水)Nさん当時50歳のが失踪。Hさんの遺体発見時に同時に崖下で遺体を発見。
・1989年1月25日(水)Yさん(当時37歳)が失踪。Hさんの遺体発見時に同時に崖下で遺体を発見。
1980年6月24日に遺体が発見されたHさんは失踪後すぐに公開捜査をしましたが、自宅に「娘ハ帰ラナイダロウ、オ前モ苦シメ」という手紙が届いたり、「人探しのテレビに出るな」という脅迫の電話もあったようです。
その後89年に佐賀県警は北方町出身で現場に土地勘のある地元のタクシー運転手を事情聴取→逮捕しましたが最終的に「犯人である確証や事実はない」と無罪になり、未解決事件となりました。