1985年、松田聖子 結婚!
松田聖子が最初の結婚をしたのは1985年です。その年の1月、交際を公にしていた歌手・郷ひろみと破局。それから僅か3か月後の4月に神田正輝との婚約を発表し、更に2か月後の6月24日に結婚してるんです。なんとスピーディーなんでしょう。聖子にとっては激動の年ですね。
1985年1月といえば、20枚目のシングル「天使のウィンク」がオリコンで1位となり、連続1位記録を更新中の時です。

天使のウィンク
聖子のスゴイところは、恋愛スキャンダルをモノともしないところですね。では、結婚後の松田聖子はどうだったのでしょう?
天使はウィンクをしてくれたのでしょうか?振り返ってみましょう。
ボーイの季節
21枚目のシングル「ボーイの季節」が発売されたのは1985年5月。婚約の1か月後で、結婚の1か月前です。婚約はセールスに全く影響することなくオリコン1位を獲得しています。
作詞・作曲は好評だった「天使のウィンク」に続いて尾崎亜美が担当しています。「天使のウィンク」、確かにイイ曲だったもんなぁ。

ボーイの季節
松田聖子といえば、作詞は松本隆。6枚目の「白いパラソル」から19枚目の「ハートのイアリング」までずっと彼が手掛けていたんです。1985年は松本隆にとっても激動の年になったようですね。
結婚と関係あるのかないのか分かりませんが、この動画の聖子はメイクが濃い!というか、ヘアースタイルが明菜な感じですね。
DANCING SHOES
結婚式当日である1985年6月24日に発売されたのが22枚目のシングル「DANCING SHOES」です。この曲は最初のSEIKO名義でのシングルですね。

DANCING SHOES
世界進出を視野に入れたシングルということで英語詞です。英語詞にもかかわらずオリコンでは見事に1位となっています。飛ぶ鳥を落とす勢いとはまさにこのことか!
「SWEET MEMORIES」で英語でも歌えるということを既に証明済みでしたからね、別に驚きはしませんでしたよ。
世界進出ということでいえば、歌手、松田聖子としては勝負曲だったのでしょう。が、突然ともいえる神田正輝との結婚、そして妊娠によって歌手としての活動停止を余儀なくされます。
残念ではありますね。もったいないようにも思えます。これからって時だったのにねぇ。結果「DANCING SHOES」は、活動休止前のラストシングルとなりました。
Strawberry Time
「DANCING SHOES」から1年10ヶ月ぶりの1987年4月に発売された23枚目のシングル「Strawberry Time」。英語のタイトルが付いていますが、歌詞は日本語です。しかも作詞はファンには嬉しい久しぶりの松本隆。作曲は当時大人気だったレベッカの土橋安騎夫。久しぶりのシングルですが、さすがに話題作りが上手いですよねぇ。そしてこの曲はブランクをものともせずにオリコン1位を獲得しています。

Strawberry Time
ジャケットは前作の「DANCING SHOES」でメイクが濃かったのを反省したのか、ナチュラルな感じに戻っています。この方が絶対いいですよ。と、思いますよ。
聖子は1986年10月にママになっているのですが、相変わらずアイドル歌手として不動の地位を保つという驚異的な存在へと上り詰めました。ここから「ママドル」という呼称が生まれたんですよね。
Pearl-White Eve
24枚目のシングル「Pearl-White Eve(パール・ホワイト・イヴ)」が発売されたのは1987年の11月でした。タイトルからも、発売時期からも分かるように、この曲はクリスマスソングです。そして、クリスマスソングがオリコンで1位となったのは、この曲がはじめてだそうです。

Pearl-White Eve
きれいなジャケットですが、アイドルと言うよりも人妻の雰囲気が漂っていますね。まさにママドルだ。
この頃の聖子はと言えば、メディアへの露出が少ない時期です。子育てをはじめ、私生活が大変だったでしょうからね。音楽活動はどうしても縮小せざるを得なかった。まぁ、分かります。
それでもアイドル、いえ、ママドルとして多くの支持を集めていたのですからスゴイの一言ですよ。
Marrakech〜マラケッシュ〜
「マラケッシュ」とはモロッコの都市です。また、変わったところを持ってきたものですよねぇ。1988年4月に発売された25枚目のシングルです。作詞は松本隆で、作曲は「DANCING SHOES」と同じくSteve Kipner&Paul Bliss。これがタイトル同様になんか変わった曲なんですよ。とは言え、この曲でもオリコン1位を獲得しています。

Marrakech〜マラケッシュ〜
曲の良し悪しではなく、Steve Kipner&Paul Blissの曲って聖子に合ってるんでしょうか?世界市場を狙ったとはいえですね。う~ん、ビミョーな感じします。
いや、それよりも、このコンビの曲を歌う時、聖子のメイクが濃くなるということの方が気になりますかね。
因みに、プロデュースをマドンナ、セリーヌ・ディオン、ホイットニー・ヒューストン、マイケル・ジャクソン、シカゴ、チャカ・カーンなどを手掛けたデイヴィッド・フォスターが行っています。
旅立ちはフリージア
シングルA面に初めて聖子の作詞が採用された記念すべき曲。通算26枚目のシングルで1988年9月に発売された「旅立ちはフリージア」です。まぁ、何はなくともジャケットがよろしい!個人的には結婚後では最高のジャケットではないかと思います。

旅立ちはフリージア
曲もいいですが、やはり、このジャケット!このジャケットがオリコン1位に大きく貢献したのではないかとにらんでます。
それはともかく、1980年の「風は秋色」以来連続オリコン1位を達成していた記録は、この曲までで途切れてしまうんですよ。
それにしても、結婚後はママドルという新しいポジションを作り出し、変わらぬ人気を維持したということは驚異ですね。しかも作詞家としても頭角を現しています。それは1996年4月、オリコン1位に輝いたミリオンセラー「あなたに逢いたくて」で更に大きく花開くことになるのでした。