ファンク
ファンクって何だかわかりますか?ブラック・ミュージックのジャンルだろ?と答えたそこのあなた、そう、あなたにお聞きしたい。それ説明できます?どのような音楽をファンクと呼ぶのでしょう?ファンク・ミュージックといっても幅広いですし、それなりに歴史もありますからねぇ。なかなか説明しづらいのではないでしょうか?しかし、ファンクと呼ばれている音楽を聴くことは容易にできます。ファンク初心者の方に、ぜひ聴いて理解していただきたいと思います。
ファンクと言う言葉は、もともとスラングで「匂い」を表していたといいます。音楽的にはファンクが誕生する以前にファンキー・ジャズ (ソウル・ジャズ)として使われていました。カーティス・フラーの「ファイブ・スポット・アフター・ダーク」などはその代表です。

ブルースエット/カーティス・フラー
ではファンクはいつ誰の手によって生まれたのか?これに関しては正確なところは分かっていません。一般的にはジェームス・ブラウンによって、その原型が形成されたとされています。そのジェームス・ブラウンによる最初のファンク・ナンバーが1964年の「アウト・オブ・サイト」です。
ジェームス・ブラウンをよく知らない方、もしくはこの映像を見たことのない方は「な、な、なんだ、これは!」と腰を抜かされたことでしょう。私も腰が抜けました。ある意味、これは正しい反応かもしれません。つまり、ファンクは腰にくる!
それでは、比較的馴染みやすいと思われる70年代のファンクをご紹介します。
スライ&ザ・ファミリー・ストーン
ジェームス・ブラウンの「アウト・オブ・サイト」には多くのミュージシャンがインスパイアされました。中でもブルース・ミュージシャンに大きな影響を与え、「ファンク・ブルース」なる言葉が生まれています。代表的なのはローウェル・フルソンの「トランプ」で、この曲は、ファンク・ブルースの初期の傑作とされています。

トランプ/ローウェル・フルソン
「トランプ」良いジャケットですねぇ。ローウェル・フルソン、良い笑顔です。
ファンキー・ジャズ に続いてファンク・ブルースなる言葉が出てきましたが、さてさて実際どのような特徴を持った音楽をファンク・ミュージックと呼ぶのでしょう?よく言われるのが、1拍目を強調した16ビートのリズムにフレーズの反復を多用した曲構成であるとか、シンコペーションのリフを奏でるギターで装飾され、オルガンのフィルとホーンが加えられているとかなんとか。これって、何のことやら分からんですよね?そう、こんな時には実際に聴いてみるに限ります。
誰を聴くかといいますと、それはもう、スライ&ザ・ファミリー・ストーンです。

スライ&ザ・ファミリー・ストーン
スライ&ザ・ファミリー・ストーンがファースト・アルバム「新しい世界」をリリースしたのは1967年。が、ヒットには至らず、商業的に成功するのは1968年2月にリリースされたシングル「ダンス・トゥ・ザ・ミュージック」からです。
60年代後半から70年代前半までファンクと言えばスライ・ストーン率いるスライ&ザ・ファミリー・ストーン。もうファンクの代名詞のような存在ですね。いえ、ファンクの枠をこえたスターか。彼らはファンクにロック的な要素を取り入れ進化させました。メンバーには白人もいました。こうしたことによって、彼らの音楽は幅広く受け入れられるようになったんですね。
そんな彼らの代表曲は、1969年12月にリリースされ全米1位となったシングル「サンキュー」です。
スライ&ザ・ファミリー・ストーンの全盛期とよべるのは僅か3~4年。この間に多くのヒット曲を放ちました。巨大な才能を持ちながら何故短い期間だったかといえば、そう、ご多分に漏れずスライ・ストーンのドラッグです。
しかし、それでも天才は違うんですね。ドラッグでヘロヘロでありながらも1971年11月には「暴動」という歴史的名盤を残しています。

暴動/スライ&ザ・ファミリー・ストーン
「暴動」の後、1973年6月に「フレッシュ」というこれまた素晴らしいアルバムをリリースしますが、スライ&ザ・ファミリー・ストーンが輝きを放ったのはここまで。時代は動きます。
Pファンク
日本でファンクと聞いて多くの人が思い浮かべる曲は、もしかするとジェームス・ブラウンの「セックス・マシーン」ではないでしょうか?この曲がリリースされたのが1970年。バックを務めたのはJBズで、そのメンバーにブーツィ・コリンズ(ベース)とキャットフィッシュ・コリンズ(ギター)がいました。
で、この二人、JBズ脱退後、ジョージ・クリントンのPファンクに合流することになります。時は1972年。参加したアルバムは「アメリカ・イーツ・イッツ・ヤング」です。

アメリカ・イーツ・イッツ・ヤング/ファンカデリック
70年代のファンクを語る上で欠かすことのできないのがジョージ・クリントンとPファンクです。ん?Pファンク?ファンクじゃないの?と、訳がわからないですよね。えぇ、Pファンクって何かといいますと、ジョージ・クリントンが率いたパーラメントとファンカデリックという2組のバンドのことをいいます。またはこれらのバンドに参加したメンバーたちによる音楽ジャンルでもあります。
ファンクの代表的なミュージシャンであるブーツィ・コリンズとキャットフィッシュ・コリンズが参加したのはファンカデリックの方で、ロック色を強く打ち出しています。
「アメリカ・イーツ・イッツ・ヤング」リリース後、ブーツィ・コリンズはPファンクからいったん離れ、1974年に戻った際にはパーラメントのアルバム「アップ・フォー・ザ・ダウン・ストローク」に参加します。
「アップ・フォー・ザ・ダウン・ストローク」はR&Bチャート10位となるヒットを記録。
大雑把に区分けすると、ロック色の強い「ファンカデリック」、ファンク色の強い「パーラメント」ということになりますが、構成メンバーはほとんど同じです。
この後、Pファンクはヒット曲を連発し70年代を駆け抜け、パーラメントは1980年、ファンカデリックは1981年にそれぞれラストアルバムを発表し、いったん活動を終了します。
オハイオ・プレイヤーズ
70年代に活躍したファンクバンドで忘れてはならないのがオハイオ・プレイヤーズです。演奏も素晴らしいが、コーラスも素晴らしい。更にはアルバム・ジャケットがこれまた素晴らしいときています。
ちょっと並べてみましょう。

Skin Tight/オハイオ・プレイヤーズ

ハニー/オハイオ・プレイヤーズ

Contradiction/オハイオ・プレイヤーズ

Angel /オハイオ・プレイヤーズ

Jass-Ay-Lay-Dee/オハイオ・プレイヤーズ
如何です?ジャケ買いしたくなるでしょう?もう買うしかないって感じですよね!ただ残念なのは、ジャケットに写っている美女はメンバーではありません。メンバーはむさくるしい男ども(失礼)です。しかし、まぁ、それこそがファンクって感じですよ。
それでは、1975年発表の大ヒット曲「愛のローラーコースター」を聴いてみましょう。
え?何ですか?やっぱり美女がいいですか?気持ちはよ~く分かります。が、このむさくるしい感じが良いんですけどねぇ。
クール・アンド・ザ・ギャング
クール・アンド・ザ・ギャング。これまた大物です。結成1964年、デビュー1969年。初のヒットは1973年の「ファンキー・スタッフ」でした。翌年には「ジャングル・ブギー」が全米4位となる大ヒットを記録して一躍人気ファンクバンドとなっています。
6~70年代にデビューした多くのファンクバンドが70年代で姿を消す中、クール・アンド・ザ・ギャングは80年代にも大ヒットを飛ばし、現在も活躍中という稀なバンドです。
一般的には1980年に全米1位となった「セレブレーション」で知られていますかね。
ワイルド・チェリー
ファンクというと、ブルースやヒップホップがそうであるように黒人の音楽というイメージですよね?しかしですね、ブルースやヒップホップがそうであるようにファンクだって白人もやるんです。やりたいんです。大好きなんです白人も。その代表格が、オハイオ・プレイヤーズ同様にアメリカはオハイオ州出身のワイルド・チェリーです。

プレイ・ザット・ファンキー・ミュージック/ワイルド・チェリー
この何とも黒人ライクなセクシーなジャケット。全米1位となった「プレイ・ザット・ファンキー・ミュージック」の曲想と歌いっぷり。どこをどうとっても白人とは思えません。演奏シーンを観ると違和感を覚えるほどです。まぁ、それほど素晴らしい。
70年代後半になるとファンクはディスコと融合といいますか、移行していくバンドが増えます。皆さんご存じのアース・ウィンド・アンド・ファイアーなどもそれに相当します。
しかし、ファンクの命もこれまでかと思われたのもつかの間、80年代に入るとプリンスやリック・ジェームスが大活躍し、またまた盛り上がるのでした。