ジャンプ、マガジン、サンデー、チャンピオン!四大少年漫画雑誌の歩み。

ジャンプ、マガジン、サンデー、チャンピオン!四大少年漫画雑誌の歩み。

四大少年漫画雑誌といえばジャンプ、マガジン、サンデー、チャンピオンという認識で共通しているかと思います。多くの人にとっては「ジャンプ最強」だったと思いますが、年代によってメインで読んでいた雑誌が違うかもしれませんね。四大少年漫画雑誌の歩みについて。


ジャンプ、マガジン、サンデー、チャンピオン。お馴染みの少年漫画雑誌です。



雑誌名を聞くだけでもう、様々なマンガが思い浮かびます。皆さんはどの時代にどの雑誌を読んでいましたか?1974年生れの私の場合、中高生の頃はジャンプ、マガジン、サンデーを毎回読んでいました(全部回し読み…)。



ジャンプとマガジンが最強と呼ばれた時代でしたが、サンデーやチャンピオンはもっと早い時代に全盛期が来てたんですよね。だからこそ、四大少年漫画雑誌と呼ばれていたんだと思います。



そこでジャンプ、マガジン、サンデー、チャンピオンについて、その歩みを振り返ります。

週刊少年ジャンプ 集英社 1968年創刊
週刊少年マガジン 講談社 1959年創刊
週刊少年サンデー 小学館 1959年創刊
週刊少年チャンピオン 秋田書店 1969年創刊

おおまかな流れでは1970年代に黄金期を迎えたチャンピオン。1980年代前半と1990年代後半に黄金期を迎えたサンデー。「二強」とも括られて、ともに1990年代前半にピークを迎えたジャンプ、同じく後半に絶頂期を迎えたマガジンという感じでしょう。

週刊少年チャンピオン

発行日および発売日は毎週木曜日。四大雑誌のなかでは発行部数が劣りますが、自由な作風でアクの強い作品が多いとされています。

週刊少年チャンピオン1980年11月3日号

1969年7月に創刊

1969年7月、秋田書店が「フレッシュな少年週刊誌」のキャッチで創刊。少年漫画誌としては後発だったものの、同じく後発のジャンプと違い手塚治虫やさいとう・たかをなど有力作家を連載陣に揃えることに成功します。



この時期の人気連載には、



-『夕やけ番長』

-『あばしり一家』

-『ガッツジュン』

-『宇宙猿人ゴリ』

-『太陽の恋人』

-『原始少年リュウ』

-『バビル2世』




などがあります。

黄金期となった1970年代

1972年4月、壁村耐三が編集長に就任して黄金期が到来。劇画路線で青年誌化が進んでいた『週刊少年マガジン』『週刊少年サンデー』に対して王道的な少年誌路線で躍進します。



-『ドカベン』

-『ブラック・ジャック』

-『魔太郎がくる!!』

-『マーズ』

-『キューティーハニー』

-『番長惑星』

-『恐怖新聞』

-『ふたりと5人』

-『百億の昼と千億の夜』

-『がきデカ』

-『月とスッポン』

-『らんぽう』

-『レース鳩0777』

-『青い空を白い雲がかけてった』

-『750ライダー』

-『エコエコアザラク』

-『ゆうひが丘の総理大臣』

-『マカロニほうれん荘』




など人気作品が数多く連載。スポ根、学園もの、ホラー、お色気、ギャグといったほぼ全てのジャンルを網羅します。こうやって俯瞰すると錚々たるラインナップです。



発行部数も『週刊少年ジャンプ』と競い合う形で、1977年1月には200万部を突破して四大誌のトップに立ちました。

発行部数が落ち込んだ1980年代

1980年代初頭の人気作品には



-『るんるんカンパニー』

-『クルクルくりん』

-『プラレス3四郎』

-『すくらっぷ・ブック』

-『ぶるうピーター』

-『気分はグルービー』




など。しかしながら1970年代後半の爆発的なヒット作に匹敵する作品に恵まれず部数は落ち込みました。一方で『チャンピオン』の「熱さ・男らしさ」を形成した番長モノ・不良モノの作品が大幅に増えました。



-『Let'sダチ公』

-『ドッ硬連』

-『本気!』




など。



その他、この時期の代表作は、



-『大甲子園』

-『おはようKジロー』

-『4P田中くん』

-『熱笑!! 花沢高校』

-『怪人ヒイロ』

-『魔界都市ハンター』

-『魔界学園』

-『セパハン』

-『原宿こぶし組』

-『風のフィールド』

-『1と2』

-『激闘!!荒鷲高校ゴルフ部』




など。

個性的な作品が増え、看板作品も登場した1990年代

四大誌の一角ではありつつ発行部数で二強と大きく離されてしまいましたが、80年代の不良漫画主体から、若手作家による個性的な人気作が台頭します。



-『三四郎2』

-『男旗』

-『シャカリキ!』

-『ウダウダやってるヒマはねェ!』

-『覚悟のススメ』




また、以降のチャンピオンを長く支えることになる看板作品も登場します。



-『グラップラー刃牙』

-『浦安鉄筋家族』




多種多様、個性的な作品群が2000年代以降への布石となりました。以下、代表的な作品です。



-『優駿の門』

-『グルームパーティー』

-『学校怪談』

-『鉄鍋のジャン!』

-『ドカベン プロ野球編』

-『京四郎』

-『特攻天女』

-『フルアヘッド!ココ』

-『悟空道』

-『オヤマ! 菊之助』

-『おまかせ!ピース電器店』

-『ゲッチューまごころ便』

-『おやつ』

-『がんばれ酢めし疑獄!!』

-『フジケン』

-『満天の星』




また読者コーナーも1995年1号に開始した『チャンピオンカップ (C2)』が長期間続き、以後2000年ごろまで安定した誌面構成が続きました。

発行部数

週刊少年サンデー

当初は毎週火曜日の発売でしたが2019年現在は毎週水曜日に発行。「サンデー」という誌名は「この雑誌を読むとまるで日曜日のように楽しい気分に浸れるように」という意から。



長きにわたり業界3位ですがかつては「ギャグのサンデー」と呼ばれ、1980年代初頭には「ラブコメ」「パロディ」が加わり、全体として軽快なイメージが雑誌の気風として現在まで続きます。

週刊少年サンデー1985年(昭和60年)36号

1959年3月に創刊

テレビ時代の到来と1950年代半ばから続いていた週刊誌ブームを受けての創刊。



当初は1959年5月5日の発行を予定していたものの、講談社が『週刊少年マガジン』の創刊準備を始めたことから創刊日が繰り上がり、結局ともに1959年3月17日に創刊することとなりました。



創刊号のラインアップは



-『スリル博士』

-『宇宙少年トンダー』

-『スポーツマン金太郎』

-『海の王子』

-『南蛮小天狗』




1960年代はマガジンとの全面対決。有力作品の移籍など、バチバチのライバル関係が続きます。当初はサンデー優位だったものの、少年向け漫画に拘ったサンデーに対して団塊世代向けに劇画路線・スポ根路線などを開拓していったマガジンに60年代後半には優位の座を明け渡すことに。



60年代の主なヒット作は以下の作品でした。



-『伊賀の影丸』

-『おそ松くん』

-『オバケのQ太郎』

-『パーマン』

-『ジャイアントロボ』

-『どろろ』

-『もーれつア太郎』




小学館というと「小学○○生」「コロコロコミック」で育った世代なので、60年代のこのラインナップはしっくりくるものがあります。まあマガジンの講談社も「コミックボンボン」出していましたが。そう考えると講談社って集英社とも小学館とも戦ってきたんだなと感じます。

青年誌転換を試みた後、再び少年向けに回帰した1970年代

60年代後半、マガジンに押された流れに追随するように青年誌向けを模索するも、その間に少年読者層をジャンプに奪われることに。73年にはサンデー、マガジン共に発行部数でジャンプの後塵を拝すこととなり、再び少年向けに回帰します。



-『月光仮面』

-『赤胴鈴之助』

-『人造人間キカイダー』

-『ウルトラマンタロウ』

-『がんばれ!!ロボコン』

-『ゲッターロボ』




など、特撮・SFアニメ作品のコミカライズを大挙掲載して新規子供層を押えようとするなど「親と子が安心して読める」誌面の展開を目指しました。70年代中盤にはチャンピオンの大躍進で四大誌最下位に。この頃の代表作は



-『がんばれ元気』

-『まことちゃん』

-『赤いペガサス』

-『男組』

-『サバイバル』

-『おやこ刑事』




など、劇画のインパクトが強く、硬派でかつ重い雑誌のイメージが。70年代終盤になるとチャンピオンが落ち込んだこともあり、発行部数は第2位に。

前半は黄金期だった1980年代

-『うる星やつら』

-『タッチ』




この2作品が登場したことでラブコメブーム(学園モノ、青春モノ)を巻き起こし、部数を大きく伸ばして1983年には最高発行部数の228万部を記録するなど黄金期を迎えます。その勢いは、当時発行部数で首位だったジャンプがコンセプトの「友情・努力・勝利」「友情・勝利・に変えようとした程でした。



以下、当時の代表作の一部です。



-『炎の転校生』

-『究極超人あ〜る』

-『B・B』

-『To-y』

-『ふたり鷹』

-『らんま1/2』

-『機動警察パトレイバー』

-『まじっく快斗』

-『YAIBA』




ヒット作は出たものの、「うる星やつら」「タッチ」の連載終了の穴が埋められず、87年にはマガジンの発行部数を逆転されてしまいます。

混乱期を経て若手漫画家が台頭、後半には再び黄金期を迎えた1990年代

80年代終盤、編集体制や方針に混乱が続いてしまったサンデーでしたが、そんななかから若手漫画家が台頭して新しいカラーが出来上がってきます。数多くのヒット作が輩出された90年代ですが、90年代初頭に連載開始した作品からは長期連載となったモノも。



-『帯をギュッとね!』

-『スプリガン』

-『健太やります!』

-『うしおととら』

-『今日から俺は!!』

-『行け!!南国アイスホッケー部』

-『GS美神 極楽大作戦!!』




充実のラインナップですよね。この勢いのままに、90年代中盤にも数多くのヒット作が登場しました。



-『俺たちのフィールド』

-『H2』

-『名探偵コナン』

-『ガンバ!Fly high』

-『MAJOR』

-『じゃじゃ馬グルーミン★UP!』

-、『DAN DOH!!』

-『烈火の炎』

-『め組の大吾』

-『神聖モテモテ王国』

-『モンキーターン』

-『犬夜叉』

-『タキシード銀』

-『ARMS』

-『からくりサーカス』

-『かってに改蔵』

-『天使な小生意気』

-『ファンタジスタ』




94~2000年にかけて、発行部数も上昇を続けます。この時期はもはやジャンプとマガジンの二強時代ではありましたが、サンデーも充実の陣容で四大雑誌の一角としての存在感を発揮していたと言えるでしょう。

発行部数

週刊少年マガジン

毎週水曜日発売。1970年代には劇画路線を、80~90年代にはヤンキー漫画や格闘漫画が多く掲載され「不良の読む雑誌」と揶揄された時期も。



少年誌ではありながらグラビア企画のミスマガジンなどを積極的に展開しています。

週刊少年マガジン1983年/No.1・2 表紙

1959年3月に創刊

キャッチコピーは「ゆめと希望の少年マガジン」。当初はヒット作に恵まれず、同時に創刊したサンデーに水をあけられましたが、



-「巨人の星」

-「あしたのジョー」




この二大スポ根マンガで、一気に少年雑誌としての地位を不動のものにしました。1967年には100万部突破。その他、当時の代表作はコチラ。



-「ゲゲゲの鬼太郎」

-「天才バカボン」




メジャーです(笑。

読者層の高齢化に合わせた展開も失速した1970年代

エログロナンセンスな表現描写が取り入れられ、読者の対象年齢は上昇していきます。どちらかというと青年向けの雑誌となり、神奈川県児童福祉審議会が1970年32号を有害図書に指定する事態に。その後は1971年に「巨人の星」、1973年に「あしたのジョー」が終了したことなどからマガジンの勢いは徐々に下降します。



新たな主力作品として



-「空手バカ一代」

-「愛と誠」

-「おれは鉄兵」

-「釣りキチ三平」




などがスタートし、また篠山紀信によるアイドルのグラビア記事を導入するも部数は伸び悩み、1973年には後発のジャンプに発行部数首位の座を奪われました。しかしながら、この時期にも



-「仮面ライダー」

-「タイガーマスク」

-「デビルマン」




といった後世に語り継がれる作品が掲載されています。

四大誌最下位から2位へ、しかしまだ首位の座は遠かった1980年代

70年代終盤にはジャンプだけでなくサンデーやチャンピオンの後塵をも拝する状態となっていましたが、ラブコメはじめ新ジャンルでの主力作品が登場して、次第に部数を回復していきました。



-「翔んだカップル」

-「あした天気になあれ」

-「1・2の三四郎」

-「コータローまかりとおる!」




1982年には初の雑誌系オーディション企画「ミスマガジン」を開始。またマガジン創刊以来の大ヒットとなった



-「バリバリ伝説」



が連載スタートし、80年代後半には少年誌の部数でサンデーを再び抜いて2位に復帰。しなしながら首位のジャンプの背中ははるか遠く、差は開く一方でした。

黄金期の到来、1990年代

1990年代前半にはヒット作が続出します。



-「金田一少年の事件簿」



をはじめ、スポーツ漫画では



-「はじめの一歩」

-「シュート!」

-「オフサイド」

-「風のシルフィード」




また、ヤンキー漫画では



-「湘南純愛組!」

-「カメレオン」

-「疾風伝説 特攻の拓」




など、おなじみの作品が並びます。まさに黄金時代の到来です。ただし、この時期はジャンプが発行部数600万部を突破したことなどもあってかマガジンは過小評価されがちで、スポーツものや不良ものに比重を重く置いたこの頃の誌面の内容に「絞れば汗が出る」と揶揄する声も一部にはあったようです。



しかしながら、



-「BOYS BE…」

-「将太の寿司」




といった、インドア系の作品も長期連載作として人気を博していたのは事実です。



90年代後半になるとドラゴンボールの連載が終了して失速したジャンプを遂にとらえ、1997年には発行部数首位の座を奪還します。ドラマ化された



-「GTO」

-「サイコメトラーEIJI」




などは高視聴率を記録し、そこからさらに多くの読者を呼びこむことに成功します。



-「ラブひな」

-「RAVE」

-「SAMURAI DEEPER KYO」

-「GetBackers-奪還屋-」



などの新機軸も次々にヒットし、まさしく第2次黄金期と言える誌面の充実振りを見せました。

発行部数

週刊少年ジャンプ

創刊時は月2回(第2・第4木曜日)発売、1969年10月から週刊化して2003年5月までは毎週火曜日発売、2018年現在は毎週月曜日発売。1994年12月末発売の1995年3・4号で653万部という漫画雑誌の最高発行部数を記録。



雑誌キーワードは「友情」「努力」「勝利」。すべての掲載作品のテーマにこの要素または繋がるものを最低1つ、必ず入れることが編集方針になっています。



四大誌では後発かつ同時期に立ち上がったチャンピオンに有力漫画家を確保され、新人を育成するより他なかった創刊期から「新人登用と専属契約制度」、また「アンケート至上主義」を徹底して少年漫画雑誌の王者の座に君臨しました。

週刊少年ジャンプ1986年No.20

1968年創刊、1973年には四大雑誌首位の座へ

創刊当初は男気がある劇画調の作品が盛んに登場していました。1971年には発行部数が100万部突破。1973年8月には当時首位だったマガジンを抜いて首位に。以後、90年代終盤から2000年代初頭にマガジンのその座を明け渡した以外は、ほぼすべての時期において首位の座を守っています。当時の主なヒット作は



-「ハレンチ学園」

-「男一匹ガキ大将」

-「ど根性ガエル」

-「トイレット博士」

-「侍ジャイアンツ」

-「荒野の少年イサム」

-「アストロ球団」

-「マジンガーZ」

-「包丁人味平」

-「プレイボール」




など。

「こち亀」スタート、ギャグマンガを強化した1970年代後半

ギャグ漫画分野の強化に乗り出した1970年代後半は、その結果として



-「1・2のアッホ!!」

-「東大一直線」

-「すすめ!!パイレーツ」

-「キン肉マン」




などがヒットし、40年を越えるロングランを記録した



-「こちら葛飾区亀有公園前派出所」



が登場しました。また、それ以外にも



-「サーキットの狼」

-「ドーベルマン刑事」

-「リングにかけろ」

-「コブラ」




などがヒット。1978年には、公称発行部数が200万部を突破しました。

ぶっちぎりに強かった1980年代

発行部数の黄金期が1990年代なのは事実ですが、80年代のジャンプには魅力的な作品が実に多くまた、90年代を彩った超人気作が登場したのも80年代だっといえるでしょう。



80年代前半



1980年、公称発行部数が300万部を突破。



-「北斗の拳」

-「3年奇面組(のちの「ハイスクール!奇面組」)」

-「キャプテン翼」

-「ブラック・エンジェルズ」

-「風魔の小次郎」

-「よろしくメカドック」

-「シェイプアップ乱」

-「銀牙 -流れ星 銀-」

-「Dr.スランプ」

-「ストップ!! ひばりくん!」

-「キャッツ♥アイ」

-「キックオフ」

-「ウイングマン」




凄いラインナップです、全部読んでました。



80年代中盤



1984年12月の年末最終号(1985年3・4合併号)で公称発行部数が400万部を突破。



-「ドラゴンボール」

-「きまぐれオレンジ☆ロード」

-「魁!!男塾」

-「ついでにとんちんかん」

-「シティーハンター」

-「聖闘士星矢」

-「県立海空高校野球部員山下たろーくん」




などがヒット。



80年代後半



1988年12月の年末最終号(1989年3・4合併号)で公称発行部数が500万部を突破。この頃に発売したファミリーコンピュータのゲームソフト紹介コーナーが登場。ゲーム紹介コーナーはゲーム機の主役が変わった後も続くこととなります。



-「ジョジョの奇妙な冒険」

-「燃える!お兄さん」

-「BASTARD!! -暗黒の破壊神-」

-「ろくでなしBLUES」

-「ジャングルの王者ターちゃん」

-「まじかる☆タルるートくん」

-「DRAGON QUEST -ダイの大冒険-」

-「電影少女」




などがヒット。いずれも言うまでもなく人気作品でしたね。

超黄金期到来~ドラゴンボール終了と共にマガジンに抜かれた1990年代

少年漫画雑誌の絶頂期とも呼ばれる90年代。そのなかにあってジャンプは空前絶後の黄金期を迎えることとなります。後半には失速したとはいえ、もはや国民的娯楽の代名詞といってもよいポジションを確立した時代であったと言えます。



90年代前半



公称発行部数は1991年3・4号で602万部を突破。週刊誌が全国紙の発行部数を抜いたとして一般メディアも報道しました。



-「花の慶次」

-「SLAM DUNK」

-「珍遊記 -太郎とゆかいな仲間たち-」

-「幽☆遊☆白書」

-「BØY」

-「地獄先生ぬ〜べ〜」

-「NINKU -忍空-」

-「とっても!ラッキーマン」




などがヒット。



90年代中盤



1994年12月の1995年3-4号で653万部の歴代最高部数を達成したものの、その後ドラゴンボール、SLAM DUNK品が立て続けに終了して公称発行部数が減少に転じました。



-「るろうに剣心 -明治剣客浪漫譚-」

-「みどりのマキバオー」

-「陣内流柔術武闘伝 真島クンすっとばす!!」

-「セクシーコマンドー外伝 すごいよ!!マサルさん」

-「封神演義」

-「遊☆戯☆王」




などがヒット。



90年代後半



発行部数がこれまでの公称から印刷証明付部数(実際に発行した証明のある部数)に切り替わりました。その結果、1997年48号でマガジンに発行部数を抜かれることとなります。しかしながら、日本を代表する漫画は登場したのはこの時期でした。



-「ONE PIECE」

-「NARUTO -ナルト-」




その他には



-「花さか天使テンテンくん」

-「I"s」

-「世紀末リーダー伝たけし!」

-「ROOKIES」

-「ホイッスル!」

-「HUNTER×HUNTER」

-「シャーマンキング」

-「ヒカルの碁」

-「テニスの王子様」




などもヒット。



どちらかというとこの少年漫画雑誌黄金期は、団塊ジュニア世代が社会人になっていったことで緩やかに終焉を迎えたとみるのが正しいように思います。

ドラゴンボールの戦闘力は絶大!「週刊少年ジャンプ」発行部数の推移とドラゴンボールの相関関係!! - Middle Edge(ミドルエッジ)

発行部数

1968年創刊号 10万5000部、売上率76.5% 1968年2号 10万7000部、売上率86.2% 1968年3号 12万部、売上率93.0% 1968年4号 12万3000部 1968年11号 16万5000部、売上率77% 1969年1号 24万部、売上率80%台 1969年9号 27万部 16号 58万部 1969年16号で『少年キング』を発行部数で上回る。 1971年3-4号 115万8000部 11月 65万部 1972年3-4号 88万7000部 1973年4-5号 112万部 1973年、『週刊少年マガジン』を発行部数で上回り少年週刊誌の部数トップになる。 1974年夏 最高165万部、売上率86% 1977年新年号 188万部 1978年3-4号 210万部 1979年3-4号 280万部 1980年3-4号 304万5000部 1981年4-5号 308万部 1982年3-4号 300万部を割る 年間平均 342万部 1983年3-4号 300万部を割る 年間平均 371万部 1984年4号 318万部 7月から常時360万部以上を印刷 年間平均 390万部 1985年4-5号 403万部 1月〜5月の通常号 常に370〜380万部 37号 405万部 年間平均 450万部 1986年5号 435万5000部 6号 410万部 1987年5号 450万部 1988年5号 485万部 1989年3-4号 500万部 1990年5号 530万部 6月の通常号 約490万部 21-22号 503万部 37号 520万部 1991年3-4号 602万8000部 6月の通常号 約570万部 21-22号 585万部 36-37号 615万部 1992年3-4号 618万部 1992年3月時点の実売部数は公称580万〜590万部 1993年3-4号 638万部 36-37号 643万部 1994年3-4号 648万部 36-37号 650万部 1995年3-4号 653万部 歴代最高部数を記録 (ギネスブックに登録)。返品率3%(売上率97%) 1995年25号 625万部 26号 618万部 27号 615万部 28号 612万部 29号 612万部 30号 601万部 1996年新年号 588万部(推定) この年から新年号の表紙に記載されていた発行部数と「新記録」の文字が消える。部数は集英社の公称ではなく推定部数。 1996年7月末発売号 約500万部(推定) 1997年7月 約430万部(推定) 1997年8月 450万部(実売推定408万1500部) 実売推定は集英社販売部によるもの。『週刊少年マガジン』(発行部数440万部、実売推定413万部)に実売推定で抜かれる。 1997年9月 430万部。 1997年11月4日(11月1日)発売号 407万部 『週刊少年マガジン』に発行部数で抜かれる。 1997年 405万部(年間平均) この年より発行部数が集英社の公称から印刷証明付発行部数に変更 1998年新年号 415万部(推定) 1998年 360万部(年間平均) 1999年 363万部(年間平均) 2000年 363万部(年間平均) 2001年 340万部(年間平均) 2002年 320万部(年間平均) 2002年8月再び『週刊少年マガジン』の急降下で首位奪還。 2003年 300万部(年間平均) 2004年 300万部(年間平均) 2005年 295万部(年間平均) 2006年 2,953,750部(一月下記サイトにて確認) 2007年3月 2,839,792部 2008年1月 2,778,750部(社団法人日本雑誌協会) 2010年2号 300万部(05年8月以来の300万部復帰) 2018年13号時点での本誌累計発行部数は75億部以上である。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%80%B1%E5%88%8A%E5%B0%91%E5%B9%B4%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%83%97

週刊少年ジャンプ - Wikipedia

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世界が熱狂!葛飾商店街×『キャプテン翼』コラボ「シーズン2」開催!新エリア&限定メニューで街を駆け抜けろ!

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葛飾区商店街連合会は、2025年10月10日より『キャプテン翼』とのコラボイベント「シーズン2」を亀有・金町・柴又エリアで開催。キャラクターをイメージした限定メニューやスタンプラリーを展開し、聖地巡礼と地域活性化を促進します。


キン肉マン愛が英語力に!超人たちの名言・名場面で学ぶ『キン肉マン超人英会話』発売

キン肉マン愛が英語力に!超人たちの名言・名場面で学ぶ『キン肉マン超人英会話』発売

人気アニメ『キン肉マン』の「完璧超人始祖編」の名言・名場面を題材にした英会話学習書『キン肉マン超人英会話』が、2025年11月29日(土)にKADOKAWAより発売されます。超人たちの熱い言葉を通じて、楽しみながら実用的な英語表現をインプットできます。TOEIC満点保持者やプロレスキャスターなど、豪華プロ集団が監修・翻訳を担当した、ファン必携の英語学習本です。


【カウントダウン】あと2日!古舘伊知郎&友近「昭和100年スーパーソングブックショウ」いよいよ開催迫る!豪華ゲスト集結の東京国際フォーラムは「昭和愛」で熱狂へ!

【カウントダウン】あと2日!古舘伊知郎&友近「昭和100年スーパーソングブックショウ」いよいよ開催迫る!豪華ゲスト集結の東京国際フォーラムは「昭和愛」で熱狂へ!

開催直前!TOKYO MX開局30周年記念「昭和100年スーパーソングブックショウ」が10月16日に迫る。古舘伊知郎と友近がMC、豪華ゲストと共に贈る一夜限りの昭和ベストヒットに期待高まる!


ギタリスト 鈴木茂「BAND WAGON」発売50周年記念ライブを東阪ビルボードで開催!

ギタリスト 鈴木茂「BAND WAGON」発売50周年記念ライブを東阪ビルボードで開催!

ギタリスト 鈴木茂が、『鈴木茂「BAND WAGON」発売50周年記念ライブ~Autumn Season~』を11月13日にビルボードライブ大阪、16日にビルボードライブ東京にて開催する。今回は、1975年にリリースされた1stソロアルバム「BAND WAGON」の発売50周年を記念したプレミアム公演となる。


【1965年生まれ】2025年還暦を迎える意外な海外アーティストたち!

【1965年生まれ】2025年還暦を迎える意外な海外アーティストたち!

2025年(令和7年)は、1965年(昭和40年)生まれの人が還暦を迎える年です。ついに、昭和40年代生まれが還暦を迎える時代になりました。今の60歳は若いとはと言っても、数字だけ見るともうすぐ高齢者。今回は、2025年に還暦を迎える7名の人気海外アーティストをご紹介します。