昨今、高校野球でのピッチャーの球数制限が話題です。未来ある若人のことを思えば、ひと夏の完全燃焼によるリスクとどちらを優先すべきか、真剣に考えるべき議論です。
ただ、一人でチームを背負って投げ抜くような姿に、私たちはどうしても感情移入してしまうのも事実ですね。
アツい夏を届けてくれた、これまで甲子園で投げ抜いた投手について。球数の多い投手ベスト10をまとめました。
第1位 斎藤佑樹(早実) 948球
第1位はハンカチ王子こと斎藤佑樹。
2006年、ハンカチ王子フィーバーを巻き起こし、駒大苫小牧の田中将大との死闘はいまだ語り草となっています。
この年早稲田実業は見事優勝するのですが、斎藤佑樹が投げ抜いた試合数は7試合。
甲子園では決勝まで6試合ですが、この年の決勝戦は延長15回でも決着がつかず引き分け再試合。翌日の再試合でも先発を志願しました。
再試合のラスト、田中将大を三振に打ち取って早稲田実業は夏の甲子園で初優勝を飾ることとなりました。
早稲田大学でも活躍、満を持してのプロ入り後は苦悩の日々を送っていますが納得いくまで戦い抜いてもらいたいものです。
第2位 吉田輝星(金足農業) 878球
第2位は記憶に新しい吉田輝星。
惜しくも準優勝でしたが、2018年の甲子園に金足旋風を巻き起こしました。
斎藤佑樹と同じ日本ハムに入団、これからの活躍に期待がかかります。
第3位 川口知哉(平安) 820球
1997年、平安高校を準優勝に導いた川口知哉。
当時西のドクターKと呼ばれ、甲子園不出場ながら東のドクターKとして有名な選手だった井川慶、鳥取城北高校の能見篤史と並んで高校生左腕三羽ガラスと呼ばれました。
ドラフト一位でオリックスに入団も4年で引退、現在は女子プロ野球の京都フローラで監督として活躍中。
第4位 今井重太朗(三重) 814球
2014年、三重高校を準優勝に導いた今井重太朗。
卒業後は中部大学に進学し、大学野球でも活躍しました。
第5位 島袋洋奨(興南) 783球
2010年、興南高校の春夏連覇の立役者。
卒業後は中央大学に進学し、後に福岡ソフトバンクホークスに入団。
第6位 大野倫(沖縄水産) 773球
1991年、沖縄水産高校を準優勝に導きました。この年の甲子園はよく憶えています。
大野倫 - Wikipedia
卒業後は九州共立大学に進学し、打者として活躍。
その後は巨人に入団も、プロとしては5年で終えることとなりました。
第7位 松坂大輔(横浜) 767球
1998年の松坂大輔の活躍ぶりは、20年以上経った今でも記憶に残っています。決勝戦でノーヒットノーラン!
平成の怪物、その圧倒的な実力が全国に知れ渡った大会ですが、この投球数のうち250球は準々決勝のPL学園戦、17回を投げ抜いたのでした。
その後の活躍ぶりはご存知の通り。
第8位 吉永健太朗(日大三) 766球
2011年、日大三高を優勝に導きました。決勝戦は完封。
卒業後は早稲田大学に進み、史上初の1年春投手3冠、ベストナイン。大学選手権MVPと大活躍。
卒業後、JR東日本に入りました。
第9位 福岡真一郎(樟南) 742球
1994年、樟南高校を準優勝に導きました。
卒業後は九州産業大に進学、プロには進みませんでした。
第10位 古岡基紀(京都成章) 713球
1998年、松坂大輔率いる横浜と決勝戦で投げ合ったのが古岡基紀。
ノーヒットノーランで負けたものの、彼もまた横浜を3点に抑え、京都成章は準優勝を遂げました。
卒業後は中央大に進み、後にヤマハへ入りました。
第14位 田中将大(駒大苫小牧) 658球
最後に、斎藤佑樹と投げ抜いた田中将大。
その後の活躍は言うまでもありませんが、高校野球では歴代14位となる658球を投げ抜きました。