バランス型内外野手で、高い打撃力で長年にわたり活躍した杉浦さん。
1985年には、やや高齢ながら中堅手にコンバートとなり、打撃成績が急上昇しました。
そして翌年1986年に怪我をしてしまいます・・・
しかし、1987年には見事復活してカムバック賞を獲得。1992年にも怪我により一旦引退を表明しますが、日本シリーズ史上初の「代打サヨナラ満塁本塁打」を放つなど、最後まで活躍を見れてくれた選手でした。
1993年に41歳で引退しますが、それまで長打力は健在だったといいます。
日本シリーズ史上最も劇的!杉浦享の代打サヨナラ満塁ホームラン(1992年) - Middle Edge(ミドルエッジ)
村田真一
村田さんといえば立て続けにデッドボールで危険な目にあった方でしたね。
1994年にヤクルト戦で頭部にデッドボールを受け、激昂してピッチャーマウンドに詰め寄ろうとした時に数歩で倒れ込み、そのまま病院へ。
ちなみに、その後巨人からヤクルトへの報復デッドボールがあり、乱闘騒ぎになりました。そして、これが後の危険球即退場ルールに繋がったと言われています。
村田さんは1999年にも横浜戦で頭部にデッドボールを受け、顔面骨折で入院。リスクが少ないからと全身麻酔ではなく局部麻酔で行った為、激痛の中で顔の骨をドリルで削ったとか。
しかし、その後見事に復帰し、2000年にはリーグ優勝への貢献のみならず、日本シリーズでも優秀選手賞を受賞する活躍を見せて攻守でチームの日本一に大きく貢献してくれました。
90年代巨人正捕手・チュウこと村田真一!死球や10.8の活躍が思い出深いですね! - Middle Edge(ミドルエッジ)
吉村禎章
1988年の中日戦、不慮の事故が起きてしまいました・・・
レフトを守っていた吉村さんはフライを捕球しようとした際、センターを守っていた栄村忠広さんに横から突っ込まれ、まるで交通事故の様な惨劇が起きてしまいます。
左膝の4本の靱帯のうち3本が完全に断裂し、さらに神経まで損傷するという大怪我。
選手生命どころか、日常生活もままならない状況となってしまいます。実際この時、一時的に障害者認定も受けたそうです。
この大怪我は、当時の日本の医療レベルでは手に負えるものではなく、村田兆治さんの執刀もしたフランク・ジョーブ博士による手術となりました。
そして過酷なリハビリに耐え忍び復活。復活後の代打の初打席ではセカンドゴロでしたが、大声援の中、吉村さんは涙ながらに走ったそうです。
【吉村禎章選手】交通事故レベルの激突事故から奇跡の復帰を果たした不屈の打者。 - Middle Edge(ミドルエッジ)
桑田真澄
1995年の阪神戦で小フライを捕球した際に右肘を強打してしまいます。その試合中、途中降板するまでは通常通りの投球を続けていたものの、後の検査で側副靭帯断裂の重傷を負っていたことが判明します。そして治療の為に左手首から健全な靭帯を移植するトミー・ジョン手術を行う為に渡米することになったのです。
1995年の残りのシーズンと1996年はリハビリの為、全く出場出来ず、もう難しいだろうと思わていました。
しかし、1997年に復帰。マウンドに立った時にひざまずきながらプレートに右肘をつけたシーンは大変有名になりました。
【90年代巨人】偉大なる先発三本柱、槙原寛己・斎藤雅樹・桑田真澄を振り返ろう! - Middle Edge(ミドルエッジ)
カズ山本