70年代は速球派、80年代は技巧派、リリーフで最優秀防御率を獲った男【鈴木孝政】

70年代は速球派、80年代は技巧派、リリーフで最優秀防御率を獲った男【鈴木孝政】

1972年中日ドラフト1位鈴木孝政。リリーフピッチャーながら最優秀防御率と最優秀救援投手の二冠を獲得した。当時は160キロは出ていたのではないかと言われるほどの速球派でした。登板過多により肘を壊し、80年代には技巧派に転向し88球で初完封を成し遂げたり、1984年には16勝をあげカムバック賞を獲得した。栄子と挫折の影には奥様や星野仙一がいた。


プロ生活17年。リリーフ、先発でリーグ優勝に貢献した二枚目エース【鈴木孝政】

鈴木孝政はどんな投手

鈴木孝政(すずき たかまさ)
1954年7月3日
178cm 78Kg
右投げ右打ち
ポジション 右投手

千葉県立成東高校でエースとして有名だった鈴木孝政だったが、甲子園出場には届かず、明治大学への進学を決めていた。
しかし、ドラマは1972年のドラフト会議で起こった。監督の与那嶺の代理で出席していたヘッドコーチだった近藤貞雄が仲根(春の甲子園優勝投手)が残っていたにも関わらず、スカウトから聞いていた鈴木孝政の速球にインスピレーションを感じ、ドラフト1位で指名しました。

明大への進学を決めていたが中日より1位指名されたのもあり、明大への進学を断り、中日への入団を決めた。すでに中日には明大出身のエース星野仙一がいたので、明大島岡監督から可愛がるようにとアドバイスがあり、星野仙一の弟分のように面倒をみてもらえたのが後々大きい出来事だった。

入団2年目の1974年には先発・リリーフと35試合に登板し、4勝をあげ、リーグ優勝に貢献しました。翌年1975年には67試合に登板し、21セーブをあげ最多セーブの初タイトル獲得した。
1976年にはこの年から新設されたセーブ数プラス救援勝利で32SPの最優秀救援投手を受賞。さらにすごいのは先発でもリリーフでも大車輪の活躍で、防御率2.98で最優秀防御率まで獲得しました。
この防御率2.98は2018年シーズン終了の時点で、セリーグでもっとも悪い防御率として記録されています。

鈴木孝政の勢いは止まらず1977年には先発とリリーフと今では考えられない投手起用の中で、18勝をあげ(この年の最多勝は20勝で広島高橋投手)、23SPで最優秀救援投手賞を受賞。もし高橋投手がいなかったら、最多勝と最優秀救援の二冠を獲得するという偉業を達成していたことになる。

リリーフ投手ながら1975年から77年の3年間に鈴木孝政は184試合に登板し、3年間毎年(それぞれ148 1/3、148 1/3、170イニング)規定投球回数を超えるピッチングを続けたため、ついに鈴木孝政の肘は悲鳴をあげた。


プロでの成績

プロ生活:17年
試合数:586試合
先発:170試合
救援:416試合
投球回数:1788 1/3
勝利数:124勝
敗戦:94敗
セーブ:96セーブ

主なタイトル
最多セーブ1回(1975年)
最優秀救援投手賞2回(1976,77年)
最優秀防御率1回(1976年)
カムバック賞 (1984年)

肘痛に悩まされたシーズン

「いま思うと投げ過ぎだよね」

https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190219-00000005-baseballo-base

鈴木孝政 技巧派としてよみがえった70年代の速球派/プロ野球1980年代の名選手(週刊ベースボールONLINE) - Yahoo!ニュース

1978年には10勝9敗をあげてはいるが往年のスピードも無く、投げては休み、休んでは投げの繰り返しで、75〜77年の成績を考えると嘘のような成績を重ねる。79年は1勝9セーブ、80年は4勝12セーブ、81年6勝8セーブと鈴木孝政にしてみれば低迷時期のシーズンを送りました。

1982年鈴木孝政に転機が訪れました。それまでロングリリーフや抑えに起用されていた鈴木孝政でしたが、5月23日大洋戦(現横浜DeNA)9−6で迎えた中日のマウンドには鈴木孝政。9回裏2アウトランナーなし勝利目前から、3連打で満塁にしてしまった。
大洋の打席には長崎。一発のある選手だが3点差もあるし、長崎を抑えるのは決して難しくはない。しかし、鈴木孝政の投じた自慢の速球をライトスタンドに叩き込まれ、中日は逆転負けを喫してしまった。動画をご覧になっていただくとわかりますが、打たれた瞬間に跪く姿は印象的です。

この敗戦で近藤監督は、鈴木孝政に抑え失格の烙印を押し、先発に転向させました。近藤監督は自分の一存でドラフト1位に示した経緯もあり、ここからピッチングコーチの権藤と再生に乗り出しました。

技巧派へ転身した鈴木孝政

権藤コーチから、ストレートを3種類投げるように助言を受け、同じストレートでもスピードの変化をつけて緩い球でもしっかり腕を振って投げ込んだ。
勇気がいるピッチングだが、すぐに成果が現れました。

7月1日の地元ナゴヤでの巨人戦。なんと88球でプロ初完封勝利をあげたのです。
入団当初から160キロ近い速球でタイトルや勝利を重ねてきたが、80年代は3種類のストレートを投げわける技巧派に転身した。
1982年のこの年は9勝をあげリーグ優勝に貢献しました。

1984年にはなんと16勝をあげ、セリーグは惜しくも首位広島と3ゲーム差で2位となったが、鈴木孝政自身はカムバック賞を受賞したのです。
ここまで栄光と挫折の投手生活であったが、どん底に落ちた時も奥様から「こんな年もあるわ」と言われて気が楽になったと後に鈴木孝政は語っています。
カムバック賞の授賞式には奥様と子供と共に表彰されました。

引退から指導者へ

1985年からの鈴木孝政は84年の快投が嘘のように負けが込み打たれ出してしまった。1986年から兄貴分の星野仙一が監督に就任し、1988年にセリーグ優勝を果たすが、鈴木孝政はこの年にわずか4勝(3敗)の成績で優勝に貢献したとは言い難い年でした。翌年1989年に巨人から西本がトレードで入団。この年の開幕戦のマウンドに鈴木孝政はいた。しかし二軍戦であった。エース鈴木孝政にとっては屈辱のマウンドであったであろうが、一軍のマウンドを目指し研鑽した。

一軍に昇格した時に星野監督から「もう二度と二軍には落とさない」と言われた鈴木孝政は「現役生活も終わりだな。」と後に語っています。
1989年は24試合に登板し、わずか3勝しかあげられず星野監督を胴上げしてあげることはできずに引退を決意しました。一方巨人より移籍してきた西本は20勝をあげて最多勝利賞を獲得しいます。

現役引退後は1995年から1997年に古巣中日二軍ピッチングコーチに就任、2004年に落合監督誕生に伴い3年契約でヘッドコーチに就任したが、ピッチングコーチのチーフ、さらにシーズン中には二軍ピッチングコーチに降格となり、2004年1年限りで辞任しました。2012年には二軍監督に就任したがその年で解雇となる。
引退後は解説者と中日のスタッフとして費やしてきたが、指導者として良い結果を残せずにここまできました。
速球派でもあり、技巧派でもあった鈴木孝政の投球術をぜひ継承して欲しいと願うばかりです。再びユニフォームを着て、第二の鈴木孝政の誕生を期待しましょう。

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