オリンピックを応援し続けた「五輪おじさん」こと山田直稔さん死去。
1964年の東京大会以来50年以上にわたりオリンピックを応援し続け、「オリンピックおじさん」の愛称で親しまれてきた実業家・山田直稔さんが、9日に心不全のため亡くなっていたことが明らかとなりました。92歳でした。
IOC会長も哀悼の意を表明!
今回の山田さんの訃報に対し、吉田沙保里さんら多くの五輪メダリストが哀悼の意を表明。更に、IOCのバッハ会長もIOCの公式ツイッターを通じ「彼は真のスーパーファンであった」と、来年に迫った2度目の東京大会を目前にした彼の死を悼みました。
五輪おじさんが声援を送ったオリンピック一覧!!
1964年の東京大会から2016年のリオデジャネイロ大会まで、全ての夏季オリンピックに足を運び、シルクハットを被って日の丸の扇子を振り続けてきた山田さん。ここでは、彼が応援した歴代の大会を軽く振り返っておきましょう!
東京(1964年)
1964年10月10日から10月24日までの15日間にわたり開催された東京大会。「オリンピック景気」と呼ばれる好景気をもたらし、後に10月10日は体育の日となりました。また、公式記録映画「東京オリンピック」が制作され、市川崑が総監督を務めました。

メキシコ(1968年)
1968年のメキシコ大会。サッカーにおいて、日本は釜本邦茂らの活躍により銅メダルを獲得する快挙を成し遂げました。アジア勢としては初のサッカーでのメダルとなっています。
ミュンヘン(1972年)
1972年のミュンヘン大会。鉄棒で金メダルを獲得した塚原光男が開発した「月面宙返り」が、この大会以後世界の体操界で長年使用される革命的な技となりました。また、オリンピック史上最悪の悲劇「ミュンヘンオリンピック事件」が発生しています。

モントリオール(1976年)
1976年のモントリオール大会。この大会で日本は各競技で不振が続き、ローマオリンピック以来の一桁の金メダル数となってしまいました。
モスクワ(1980年)
1980年のモスクワ大会。冷戦下のソ連で行われたこの大会は、1979年に起きたソ連のアフガニスタン侵攻の影響を強く受け、西側諸国の集団ボイコットという事態に発展。日本もボイコットせざるを得なくなりました。

ロサンゼルス(1984年)
一方1984年のロサンゼルス大会では、前回の西側諸国のボイコットの報復としてソ連を始め、東ドイツ、ポーランドなどの東側諸国が不参加となりました。
ソウル(1988年)
1988年のソウル大会。この大会からテニスと卓球が正式競技として採用されました。またベン・ジョンソンが100mを当時の世界新記録で優勝したものの、ドーピング検査で陽性反応が出たために金メダルを剥奪、カール・ルイスが繰り上げで金メダルを獲得する事態となりました。
バルセロナ(1992年)
1992年のバルセロナ大会。当時14歳の岩崎恭子が、200m平泳ぎで当時のオリンピック記録を塗りかえ、金メダルを獲得。レース後のインタビュー「今まで生きてきた中で、一番幸せです」のコメントは流行語にもなりました。また、開会式でのマスゲームの音楽の作曲・指揮に坂本龍一が起用されるなど、日本人が競技以外でも活躍した大会となりました。
アトランタ(1996年)
1996年のアトランタ大会。前園真聖や川口能活を擁する男子サッカーが、ブラジルを破る大金星「マイアミの奇跡」を成し遂げました。また、女子マラソンでは有森裕子がバルセロナ大会に続いてメダルを獲得。レース後の「初めて自分で自分をほめたいと思います」は今でも名言として語り継がれています。

長野(1998年)
1998年の長野大会。冬季五輪であるものの山田さんが応援に駆け付けており、日本勢が金メダル2個(ラージヒル個人・船木和喜、ラージヒル団体・日本代表)、スピードスケートでは清水宏保が男子500メートルで金メダルを獲得しています。
シドニー(2000年)
2000年のシドニー大会。柔道では、田村亮子が「最高でも金、最低でも金」と注目される中で悲願の金メダルを獲得。マラソンでは、高橋尚子が日本の女子陸上競技として初の金メダルを獲得しました。
アテネ(2004年)
2004年のアテネ大会。1896年の第1回大会以来、108年ぶり2回目のアテネでの開催となりました。水泳では、北島康介が男子100m平泳ぎで金メダルを獲得。彼の名言「チョー気持ちいい(超気持ちいい)」は、この年の新語・流行語大賞の年間大賞に選ばれました。
北京(2008年)
2008年の北京大会。陸上競技において、ジャマイカのウサイン・ボルトが男子100m決勝で「9秒69」の当時の世界新記録で圧勝する快挙を成し遂げました。

ロンドン(2012年)
2012年のロンドン大会。日本は男子サッカーにおいて4位に終わり銅メダルを逃したものの、獲得メダル総数は38個と史上最多となりました。女子レスリングにおいて、吉田沙保里、伊調馨らが4個の金メダルを獲得。
リオデジャネイロ(2016年)
2016年のリオデジャネイロ大会。この大会では、女子レスリングにおいて吉田沙保里が決勝で敗戦し、15年間守り続けた世界女王の座から陥落。一方男子体操では、内村航平、白井健三らを擁した男子団体が金メダルを獲得。また、陸上競技・男子4×100mリレーでも北京以来2大会ぶりの銀メダルを獲得しています。
おすすめの記事はこちら!
【サッカー列伝】マイアミの奇跡の立役者・路木龍次!彼のクロスがブラジル撃破に繋がりました。 - Middle Edge(ミドルエッジ)
「こけちゃいました」谷口浩美・’92年バルセロナ五輪映像&当時を振り返る本人コメント - Middle Edge(ミドルエッジ)
平成以降(1992年のバルセロナ五輪から)の夏季五輪・オリンピックの日本女子選手の活躍(メダリスト)の歴史 - Middle Edge(ミドルエッジ)