「ロックンロール」界の重鎮、内田裕也さん死去。
日本を代表するロックンロール歌手であり、俳優としても有名な内田裕也さんが、肺炎のため3月17日に亡くなっていたことが明らかとなりました。79歳でした。
第一報はこちらです。
妻・樹木希林さんの後を追うかのように…
晩年は怪我や体調不良により車いすでの生活を余儀なくされていた内田さん。そんな中、昨年9月に妻である樹木希林さんに先立たれ、心身ともに限界の状態が続いていました。今年に入ってからは体調の悪化がピークに達し、17日、家族に看取られながらロックンロール人生に幕を下ろしました。

ロックンロールミュージシャンとしての内田裕也の功績とは?
「ロックンロール=内田裕也」という認識の方も多いかと思いますが、内田裕也さんが具体的にどのような音楽活動をしていたのかはご存知でない方が多いと思います。ここでは、彼のミュージシャンとしての活動を軽く振り返ってみましょう。

エルヴィス・プレスリーに憧れ、バンドボーイとしてロックンロールを始めた内田さん。1966年のビートルズの日本公演で前座を務めるなど着実に実績を重ねていき、1967年には自身の名前を冠した内田裕也とフラワーズを結成。その後フラワーズは「フラワー・トラベリン・バンド」に再編され、1971年発表のアルバム「SATORI」はアメリカやカナダでヒットを記録するなど、日本のロックが海外でも通用することを証明しました。

また、現在再び脚光を浴びているジュリーこと「沢田研二」を見出したのも内田さんです。大阪のジャズ喫茶・ナンバ一番で活動していたファニーズに目を付けスカウトしました。このファニーズが後の「タイガース」であり、沢田研二のその後の日本歌謡界での活躍は皆さんご存知の通りです。

ミドルエッジ世代であればご存知の「都知事選の政見放送」!!
また、内田裕也さんの活動の中でミドルエッジ世代の記憶に残っているのは1991年の「都知事選での政見放送」ではないでしょうか。アカペラでジョン・レノンの「Power to the People」や自身の楽曲「コミック雑誌なんかいらない!」を歌うなど、そのロックンローラー特有の破天荒ぶりは当時大きな話題となりました。
都知事選に実際に当選はしなかったものの、立候補者16人のうち5位に入るなど健闘ぶりを見せた内田さん。その後はロックンローラーとしての活動だけでなく俳優業などでも活躍を続けてきました。ロックンロールに生涯をささげた内田さん。今頃は天国で希林さんにロックンロールを披露しているのでしょうか?ご冥福をお祈り申し上げます。
「Power to the People」を歌いたくなってきた方はこちらで!
公式サイト
内田裕也オフィシャルサイト
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