大八木淳史

勇気のなかに単行本 – 1997より
大八木淳史プロフィール
1961年8月15日(57歳)
同志社大学ラグビー部在籍中には平尾誠二と共に全国大学ラグビー大会優勝に貢献。
大学選手権で優勝し4度目の日本一を達成した。しかし日本選手権では新日鉄釜石(現・釜石シーウェイブス)に敗れ5年目のシーズンを終えた。
現在は公益財団法人日本ラグビーフットボール協会高校生委員を務める。
学校法人理事長の傍らタレント・コメンテーターに転向

現役引退後も神戸製鋼に残り、ラグビーの指導・普及に努める傍ら、テレビタレント(松竹芸能所属)として各メディアにて活躍。
NHK大河ドラマも俳優として出演。また報道番組やスポーツ番組のコメンテーターとして多くの番組に出演。
平尾誠二

美しき創造~平尾誠二と神鋼ラグビー
平尾誠二プロフィール
生年月日 1963年1月21日
現役時代のポジションは主にスタンドオフ及びインサイドセンター。
1982年に史上最年少(19歳4ヶ月)で日本代表に選出。
イギリスではリッチモンドクラブ (Richmond Football Club(英語版)) に所属し試合に出場。
しかし、ファッション誌にモデルで登場したことが当時のアマチュア規定に抵触したとの理由により、日本代表候補選手から除外。
1986年、神戸製鋼に入社。日本選手権で7連覇を達成(初優勝時から3連覇時までは主将、7連覇時は主将代行を務めた)。
1998年1月、現役を引退。その後、神戸製鋼コベルコスティーラーズ総監督兼任ゼネラルマネージャーに就任。
モデル・広告塔

平尾誠二 人を奮い立たせるリーダーの力
2015年には柳屋本店「4711 ポーチュガル」の広告塔に。
著書も多数出版。
2016年10月20日午前7時16分、胆管細胞癌の為、京都市内の病院で死去。53歳だった。
松尾雄治

松尾雄治にもらった勇気
松尾雄治プロフィール
1954年1月20日(63歳)
大学2年までスクラムハーフで日本代表にも選出された。
新日鐵釜石入社後もスタンドオフとして、日本選手権7連覇を含む優勝8回を達成する主力選手として活躍。
1985年に現役を引退。
タレント・スポーツキャスターに転向

引退後はタレント・スポーツキャスターとして活動を開始。
「独占!!スポーツ情報」「スポーツシャワー〜ヒーローに花束を〜」にメイン司会者として出演。
1992年、ポーカー賭博事件により警察に逮捕。
松尾の先輩であり、前述の『スポーツシャワー~』でも司会者として共演していたビートたけしが手をさしのべたこともあり、オフィス北野所属のタレントとして所属、復帰することになった。
酒井宏之

ご本人のオフィシャルブログより
酒井宏之のオフィシャルブログ 【blogde酒井ちゃんねる。】 powered by プレイヤーズ (コラソン): 8執念記念!
酒井宏之プロフィール
1972年9月25日(46歳)
現役時代のポジションはセンター(CTB)。
大東文化大学でも1年で関東大学ラグビーリーグ戦優勝。4年では関東リーグに加えて大学選手権との2冠を達成。
卒業後、リコーに入社。日本A代表、7人制などの日本代表として海外遠征に参加。
2002年、現役引退。
俳優に転向

ご本人のオフィシャルブログより
引退後、テレビ・ラジオ・CM・モデル・舞台などで活躍。
近年は俳優活動の傍ら、六本木のカフェバーを経営したりイベントプロデュースやデザイナーとしても活動している。
2013年より、中央大学ラグビー部ヘッドコーチに就任。
天野義久
天野義久プロフィール
1972年11月22日(46歳)
ポジションはフランカー。
サントリーで活躍。1997年度全国社会人大会準優勝。
プレーヤー引退後は、コーチとしてオーストラリアコーチングレベル1を取得し、日本A代表コーチ、23歳以下代表コーチ等を務める。
俳優に転向

高校時代からファンクラブが存在し、社会人時代にはCMのオファーなどもあった。
サントリー退社後は、起業しスポーツ関連事業の経営をする一方、2010年から大手芸能事務所「ケイダッシュ所属」に所属し、俳優としてドラマなどメジャー作品に出演している。
2010年、NHKドラマ「龍馬伝」に抜擢され、俳優としてデビュー。
2011年、ファッションモデルの阿部まりなと結婚。

奥様の阿部まりなさん
大畑大介

不屈の魂 大畑大介 最後まで闘い続けたラグビー人生
大畑大介プロフィール
1975年11月11日(43歳)
ポジションはウィング(WTB)とセンター(CTB)。
1994年、京都産業大学へ入学。京都産業大学ラグビー部入部。
1998年、神戸製鋼へ入社。
2001年〜2002年、神戸製鋼に在籍したまま、日本のオフシーズンを利用して、シドニー(オーストラリア)の ノーザンサバーブス・クラブでプレー。
2002年、神戸製鋼を退社し、フランスのモンフェラン・クラブ(ASモンフェランデーズ。現・ASMクレルモン・オーベルニュ)へ移籍。
2003年、神戸製鋼コベルコスティーラーズに復帰。
日本代表58キャップ保有。
2011年、引退。
コメンテーター・キャスターに転向

現役引退後スッキリ(日本テレビ)コメンテーターとして出演。
スポーツドミンゴ(NHK BS1)2011年4月からキャスターを担当。
その他、多数のスポーツ番組でコメンテーターとして活躍。
最後に・・・
いかがだったでしょうか?
また機会がありましたら他のスポーツ選手もまとめてみたいと思います。