歴史を変えた男
1995年12月19日、竹原慎二は、日本人で初めて世界ミドル級タイトルに挑戦した。
ミドル級のリミットは72.5kg。
ジャック・デンプシー
シュガー・レイ・ロビンソン
カルロス・モンソン
シュガー・レイ・レナード
マービン・ハグラー
トーマス・ハーンズ
過去に伝説的なチャンピオンたちが君臨してきた階級である。
相手は、WBA世界ミドル級チャンピオン:ホルヘ・カストロ。
ニックネームは「ロコモトーラ(機関車)」
すでに4度の防衛戦を勝ち抜いていた。
アマチュアで126勝2敗。
プロで98勝69KO4敗2分。
1度もダウンをしたことがない化け物だった。
対する竹原慎二は、全勝ながら24戦。
世界戦だというのにテレビの生中継はなく、深夜にテレビ東京が録画中継したのみだった。
ミドル級という注目度が低さ。
所属ジムの資金力とコネの少なさ。
そして
「圧倒的に竹原不利」
という期待の低さ。
まさに冷遇だった。
しかしこの不遇が、かえって竹原慎二のナニクソ根性を刺激した。
人間、勝てるわけがないと自分で思うならともかく、他人からいわれると腹が立つ。
「勝つのはオレじゃい」
竹原慎二は序盤から快調にジャブを飛ばし、3R、左ボディブローで、これまでダウンしたことがないカストロをダウンさせた!
その後も堂々と打ち合って、フルラウンド戦って、判定で竹原慎二が勝利し、日本人初の世界ミドル級王者となった。
「世界チャンピオンになれました。
やればできるんですね」
約半年後の1996年6月24日、ランキング1位のウィリアム・ジョッピーとの初防衛戦は、横浜アリーナという大会場、しかもゴールデンタイムの生中継つきで行われた。
しかしカストロ戦後、竹原慎二の左目は異変が生じ、ほとんどみえなくなっていた。
「練習もままならない状態でしたが、だからといってケガが癒えるまで試合を待ってもらえる状況でもなく、本当にリングに上がるだけで精いっぱいの状態でした」
カストロ戦とは別人のように精彩を欠いた竹原慎二は、スピードもアグレッシブさもなく、相手の右がまったくみえず、1Rにダウンし、9Rに連打を浴びてコーナーに追いつめられたところで試合を止められた。
9R2分29秒、TKO負け。
初防衛に失敗。
初めての敗北だった。
この試合後、竹原慎二は引退した。
「正直、楽しんでやれた試合なんてひとつもなかったですよ。
試合前は常に憂鬱で、“事故にでも遭って試合が中止にならないかな”と、いつも本気で考えていましたから。
もともとがどうしようもない不良少年でしたから、ボクシングで少し認めてもらえるようになって、その立場を失うのが怖かった。
特に日本チャンピオン、東洋太平洋チャンピオンになってからは尚更でした」
無敗の快進撃の裏には苦悩が潜んでいた。
引退後、「ガチンコフィイトクラブ」でブレイク。
畑山隆則と共にジムを経営し、後進の指導にも当たっていた。
しかし世界タイトルを獲った日から約10年後の、2014年2月3日、竹原慎二はガンを宣告された。
A医師
2013年1月、竹原慎二は頻尿が気になり、公私共に親しかったA医師に電話した。
そしてA医師の病院で検査を受け
「少し潜血が出ているがおそらく膀胱炎」
と診断され、薬をもらって帰った。
1週間薬を飲んだが頻尿は治らなかったため再び医師に電話したが
「お酒を飲むから薬が効かないんだ」
といわれた。
さらに数日後、前回より詳しい検査をすると、膀胱に菌はなく膀胱炎ではないことがわかった。
そしてお酒を控えるようにいわれ、薬をもらって帰った。
以後、3~4ヵ月間、薬を飲んで過ごしたが頻尿は改善されなかったため、血液、エコーなどいろいろな検査を受けたが、
「何の問題もない」
といわれた。
2013年8月、竹原&畑山ジム所属のライカ選手の世界戦が韓国で行われたとき、移動中にトイレからトイレにはしごする姿をみた妻が心配になった。
「パパ、これ絶対おかしいよ。
日本に帰ったら別の病院で診てもらったほうがいいんじゃないの?」
「A先生のところで診てもらっているから心配ないよ」
妻は帰国後、A医師に相談したが、
「血液検査、尿検査などいろいろ調べてみたし、こおkの大学の泌尿器科にも相談してみたけど、どこも異常はないんだよね。
チャンピオンは相変わらず酒ばかり飲んでいるんでしょう?
日頃の不摂生が原因だよ。
禁酒してみたらどう?」
といわれた。
竹原慎二は1週間禁酒したが、症状は改善されなかった。
秋になると排尿の度に痛みを感じるようになった。
激痛でうずくまることもあった。
A医師に伝えると
「大袈裟だよ」
といわれ
「前立腺炎、前立腺肥大だ」
と診断された。
薬を処方され痛みは治まったが相変わらず頻尿だった。
2013年12月31日、血尿で便器が真っ赤になった。
A医師に報告すると、休み明けに紹介状を書くから総合病院の泌尿器科へ行くようにいわれた。
B医師
2014年1月6日、A医師に紹介された病院で、血液検査、エコー検査、尿検査、尿細胞診(尿中の細胞を鏡検し悪性の細胞の有無を調べる)などを受けたが、結局、この日は、血尿の原因はわからなかった。
しかし尿細胞診の結果がわかるのは1週間以上かかるという。
この病院のB医師は
「様子をみてみましょう」
といい、竹原慎二は漢方薬をもらって、次の予約を入れることもなく帰った。
2014年2月2日、2度目の大量の血尿が出たため翌日、再診を受けた。
するとB医師はパソコンの画面をみて急に慌てだした。
医師は1ヵ月前に受けた尿細胞診の結果を確認していなかった。
そして
「よく調べたら尿細胞診の結果はクラス5って数値出てるね。」
尿細胞診は、クラス1(陰性)、クラス2(陰性)、クラス3(偽陽性)、クラス4(陽性)、クラス5(悪性腫瘍)である。
つまり竹原慎二は強くガンが疑われる検査結果が出ていたにも関わらず1ヵ月も放置されたことになる。
「うーん・・・・ガンだね」
あまりにあっさりといわれて竹原慎二はわけがわからなかった。
(えっ?はっ?ガン?)
「どうする?今日時間ある?検査する?」
「あ、はい」
何事もなかったように内視鏡検査したB医師は
「膀胱内をみるかぎり腫瘍らしいものは見当たらない」
といった。
そしてCT、超音波、胸部レントゲンを撮った。
尿路上のどこかにガンがあることは間違いないが、それが腎臓なのか尿管なのか膀胱なのかわからないからである。
「1ヵ月後内視鏡手術をしましょう」
さらに詳しく調べるには2~3日入院して内視鏡手術が必要だという。
(1ヵ月も放っておいて大丈夫なのか?)
竹原慎二はあまりに突然のことに不安でたまらなかった。
ガン=死という思いが頭をよぎったが、帰宅後、仕事のために茨木に移動した。
夜になりA医師が電話をかけてきてくれた。
「いやいやーまいちゃったねえ。
でもね初期ガンだから内視鏡でチョッチョッととればおしまいだよ」
竹原慎二は、その後もガンのことは誰にもいわずに仕事を続けた。
2月19日、B医師による内視鏡検査手術を受ける。
全身麻酔で行われたため、竹原慎二は気がつくと病室で寝ていた。
膀胱の右壁に2.5㎝ほどの腫瘍がみつかり、肉眼でみえる限り削り取られた。
採取した組織は病理検査に回された。
顕微鏡でみてガンの進行度と悪性度(グレード)が確定されるのは2週間後だった。
もしガンが筋層まで浸潤していれば膀胱の全摘出しかないという。
膀胱ガンは、腫瘍の深達度と広がり方、リンパ節やほかの臓器への転移の有無によって、0a、Ois~Ⅳ期の6段階のステージ(病期)に分類される。
数字が大きくなるほど進行した状態で、0a期とⅠ期はガンが筋層まで到達していない表在性ガン、0is期は上皮内ガン、Ⅱ期、Ⅲ期はガンが筋層まで達している浸潤性ガン、Ⅳ期は骨盤壁、腹壁まで到達しているか、リンパ節やほかの臓器まで広がっている転移ガン。
その夜、A医師が見舞いに来た。
「膀胱全摘して体に袋をつけたらどうなるんですか?
今まで通り飲みに行ったり遊んだりできるんですか?」
「大丈夫だよ。
チャンピオンは今まで人の何十倍も遊びまくったんだから。
もう大丈夫でしょう。
夜遊びできなくても」
(ガンを見逃しておいてよくいうわ)
退院後、竹原慎二はネットで情報を集めた。
膀胱をとるのは避けたかった。
そして浸潤性の膀胱癌でも温存治療を行う病院がいくつかあることを知り、片っ端から電話し自分の状況を説明した。
そして都内と北関東の2つの病院に予約を入れた。
いわゆるセカンドオピニオンであるが、セカンド・オピニオンは「診療」ではなく「相談」になるため健康保険給付の対象とはならず全額自己負担となる。
竹原慎二の予約した病院はそれぞれ、1時間43200円と32400円だった。
誤診に続くルーズな対応
3月3日、A医師より電話があった。
「さっきB先生から聞いたんだが、チャンピオン、浸潤していなかったって。
よかった。
よかったねえ」
竹原慎二は天に昇るほどうれしかった。
妻と2人で泣いて喜び、その日のうちに畑山隆則と祝杯まで挙げた。
3月5日、内視鏡検査手術のときに採取した組織の検査の結果が出る日、竹原慎二は明るい気持ちでB医師に正式な結果を聞きに行った。
するとB医師は信じられないことをいった。
「A先生から第一報が入ってるかもしれないんだが、今朝もう1回いろいろ確認してみた。
そしたらやっぱり浸潤しているようでね」
ギリギリながらT2aの浸潤性膀胱癌です。
できる限り早く治療を始めた方がいい。
まず抗ガン剤から・・」
「待ってください。
どういうことですか?
A先生は浸潤していないと」
「A先生はポジティブな人だからねえ。
でも今朝もう1度確認したところ浸潤していることに間違いないです」
「・・・・・」
言葉を失った竹原慎二の横から妻はセカンドオピニオンを受けることを告げた。
「セカンドオピニオンを受けますので検査データをください」
「そうだね。
他の医者の意見を聞くことは大事なことだ。
こちらで病院、紹介しようか?」
「結構です。
すでに2つの病院に仮予約してあります」
(お前らの紹介する医者なんぞ信用できるか!)
竹原慎二と妻は、不信感でいっぱいになりながら、書類と検査データを看護師から受け取り、郵便局にいき2つの病院に速達で送った。
温存治療不可能 膀胱全摘 何もしなければ1年
3月11日、北関東の大学病院を受診。
この病院は、陽子線を使った治療を実践していた。
竹原慎二はそれによって膀胱の温存治療を期待していた。
しかし医師は、温存治療を行った場合、治療途中で転移が起こってしまう危険性があり、1番根治が期待できる膀胱全摘をすすめた。
「どうか過去ではなくこれからできることを考えてください。
もしここで手術を希望するなら予定に入れておきます。
とりあえず来週、外来予約を入れておきますのでよく考えて決めてください。
予約は電話でキャンセルしてもらってもかまいません。
ただしどこで治療を受けるにしてもあまり時間をかけてはいけない。
今週、来週あたりまでには結論を出すべきです」
竹原慎二は黙って聞いているだけだった。
なんとか膀胱全摘を避けたいという希望の光は消え、落ち込んだ。
2日後の3月13日、もうひとつの病院を受診。
この病院では、膀胱の部分切除によって浸潤ガンの膀胱温存を試みていた。
しかしこの病院の医師も、膀胱全摘しかないといい、
「このまま何もしなければ、最悪1年」
と告げた。
竹原慎二には、時間も手段もなく、膀胱温存はあきらめるしかなかった。
膀胱癌の多くは、「表在性ガン」で、早い段階で血尿が出ることが多く、早期発見されやすく、悪性度も転移の可能性も低く生存率が高い。
しかし竹原慎二は「上皮内ガン」で、血尿のサインは出ず、症状は排尿痛で膀胱炎と似ている。
しかし悪性度が高いことが多い。
竹原慎二は、1年間、尿検査をし続け、菌が出なかったため、発見が遅れた。
念のために細胞診検査をしていれば、早期発見されていた可能性が高かった。
後悔、悔しさ、不安、恐怖がこみ上げてきて涙が出た。
免疫療法
膀胱全摘しか道はない。
あとはそれをどこの病院で行うかだった。
また手術後に、自己の免疫力を活性化、強化させてガン細胞を退治する「免疫治療」を受けようと考えた。
3月15日、免疫治療のクリニックを訪れた。
クリニックの医師は
「検査手術したときに採取した組織のプレパラートを借りてきてください」
といった。
治療を受ける前にリンパ球を採取し、それを培養し竹原慎二の体に戻すが、その前に組織を検査して分子標的薬が効くタイプのガンかどうか調べるという。
3月17日、セカンドオピニオン、サードオピニオンの報告書、クリニックの依頼書を持って、B医師の病院にいった。
B医師は、免疫治療について
「そういうのはねえ、エビデンス(科学的根拠)がないんだ」
といったが、何もしなければ1年の竹原慎二はやることをきめていた。
(なにかといやぁ、エビデンス、エビデンスとうるさいんじゃ!
なんじゃそのエビデンスってやつは?
それがなんだっていうんじゃ!
ないなら自分でエビデンスとやらをつくってやるわい)
またB医師は、今後は抗ガン剤で徹底的に叩くという治療方針を示した。
(この人を信用しても大丈夫なのか?)
そう思ったものの、迷っている暇はなく、竹原慎二は、3月25日に入院の予約を入れた。
東大病院(東京大学医学部附属病院)へ
その直後、畑山隆則から電話があった。
「俺、竹さんのこと、早川先生に相談してみたんだけど、東大病院はどうかっていうんだ」
早川先生とは、早川浩太郎という皮膚科の医師で、「オヤジファイト」というアマチュアの試合に出たこともあるほどボクシング好きだった。
「入院日も決まったし、もう遅いわ」
「そんなこといわず話だけでも聞いてみたらどう?」
3月23日、早川医師、早川の友人で内科の竹入医師、竹原慎二と妻の4人は会って話した。
「なんてひどい話なんだ」
これまでのいきさつを聞いて早川医師は怒った。
そして竹入医師は、翌日、東大病院で受診できるように手配した。
3月24日、竹原慎二は東大病院で初診を受けた。
「この画像をみる限り、浸潤度はT2にみえる。
みようによってはT3にもみえなくはないが、この画像だけではこれ以上は断定できない。
治療計画はT2なら術前抗ガン剤なしで手術。
T3なら術前抗ガン剤の後、手術。
最終判断は(以前の病院で)先週撮ったCTとMRIをみて判断する」
この病院の医師は、浸潤度が浅く抗ガン剤を使わない場合は、すぐに手術の準備に入るが、先に抗ガン剤を使う場合は、体を回復させるために1ヵ月ほど空けなくてはいけないという。
また抗ガン剤は、2クール(1クール=3~4週間)やって、そこでCTを撮って結果次第で、もう1クール追加か、手術に踏み切るという。
「尿路変更は選べますか?」
「今のところ尿道にガンはないようだから医学的にはどちらも選べます」
「尿道を残すと転移の確率は上がりますか?」
「まあ残す以上、その可能性はゼロではない。
だが上皮内ガンからの浸潤度が尿道への転移の可能性は高いとは思えないな」
膀胱ガンなどで膀胱を適出した場合、尿路を再建する必要がある。
(尿路変向術)
再建方法として、回腸導管造設術、尿管皮膚瘻造設術、自排尿型新膀胱造設術の3つがあり、ガンのある位置、病態、全身状態などによって選択される。
(この病院で治療を受けたい)
竹原慎二は思った。
これまでで1番希望を聞いてくれたからである。
「先生、実は僕、明日から入院予定が入っていて、抗ガン剤を4クールやるっていわれてるんです。
だけど僕はここで治療を受けたいです。
先生、どうか助けてください。
お願いします」
「わかりました。
ではとりあえず3月28日から入院予約を入れましょう。
その前に明後日(3月26日)に前の病院からCTとMRIをもらって外来に来られますか?」
「ここで確認していいですか?」
そういって妻は診察室からB医師の病院に電話した。
「明日入院予定の竹原です。
急に申し訳ないですが明日からの入院キャンセルしてください。
転院します。
昨日撮ったCTとMRIをもらいにできるだけ早く行きたいのですが、いつ行けばいいでしょうか?」
絶対に勝つ
東大病院を出て駅まで歩いているとき、A医師から電話が入った。
「どうして?
明日からの入院をキャンセルしたんだって?
東大行くの?
どういうつもり?
まだ膀胱温存したいとか甘いこといってんの?
もう命の問題なんだよ。
そろそろガンと向き合わないとダメじゃないか」
竹原慎二はA医師にもB医師にもいいたいことはいっぱいあった。
しかし今は治療が先だった。
(この人は自分がガンを見落としたことで僕が命の危険にさらされていることに気づいてないのか?
誰のせいでこうなっていると思っているのか。
ガンとはとっくに向き合っとる!
向き合えないのはお前らとじゃ!)
その夜、妻はB医師に電話した。
まず急な入院キャンセルをわびた。
そして長い間、A医師が発見することができなかったガンを見つけてくれたことを感謝した。
「ただこちらも命がかかっているので妥協はできません。
そちらの病院に命を預けるわけにはいきません。
だから転院を決めました。
主治医のあなたからではなくA先生から先に不確かな情報を聞かされて本当に苦しみました」
「A先生は紹介者だったから知らせたのだが、でもはやりまずかった」
また妻は、竹原慎二にいった。
「ノートにプラスになる言葉ややりたいことを書いてみたらどう?」
竹原慎二は、広島県でヤンチャをし過ぎ、一念発起し、プロボクサーになるために16歳で上京した。
7時から内装業の仕事をやり、仕事後、ジムで練習し、仕事場の先輩と2人で暮らすアパートに帰った。
広島に帰りたくなったり、練習をサボりたくなったが、
「絶対に世界チャンピオンになる」
「絶対に勝つ」
と何度も何度も心の中でつぶやいたり、実際に口に出して自分に言い聞かせ、頑張った。
試合のポスターにも「勝つ!勝つ!」と書いた。
T2~3 N2 M0 ステージ4 5年生存率25~33%
2014年3月28日、竹原慎二は、東大病院に入院した。
竹原慎二の膀胱ガンは、T2~3 N2 M0 ステージ4と診断された。
Tは浸潤度、Nはリンパ節への転移の数、Mは遠隔転移の数で右側の骨盤リンパ節に2つの転移があった。
このレベルの5年生存率は25~33%といわれていた。
しかし竹原慎二は元世界チャンピオン、世界最強になった男である。
(所詮、他人の集計だ。
少なくとも自分はまだこの中にカウントされていない。
極端なことをいえば、たとえ生存率が80%あったとしても自分が残りの20%に入ってしまえば死亡率100%なわけで、どちらに入るかなんてわからない。
だいたい僕は今までずっと良くも悪くも多数派に属さない人生を送ってきた。
今更こんな統計が当てはまるのか?)
竹原慎二が世界タイトルに挑戦したとき、誰もが『ミドル級の世界タイトルなんて獲れるはずがない』といった。
だからテレビの生中継もなく深夜に録画放送された。
(あのとき僕が世界チャンピオンになれる確率なんて何%あっただろう?
それに比べたら25%なんてむちゃくちゃ高いじゃないか)
「勝てる」
「大丈夫」
「絶対勝つ」
竹原慎二はノートに書き続けた。
ガン≠死
また抗ガン剤治療は、GC療法が採用された。
G=ジェムザール。
点滴で行う治療薬で、ガン細胞の増殖に必要な物質とよく似た構造をしているため、ガン細胞の中に取り込み細胞分裂に必要なDNAの合成を阻害してガン細胞を死滅させ、ガンの
分裂や増殖を抑える。
C=シスプラチン。
点滴で行う治療薬で、プラチナ(白金)を含む金属化合物。
ガン細胞内のDNAと結合してガン細胞の分裂を止め、やがて死滅させる。
副作用に腎臓の働きを悪化させるため、腎臓を保護するために水分補給の点滴を行う。
1日目 - C
2日目 - G
8日目 - G
以上を1クールとして2クール行い、CTを撮影し効果をみて、結果次第で1クール追加するか検討するという。
1クール、たった3回の抗ガン剤治療。
竹原慎二は
(こんなの余裕だわ)
と思った。
しかし
(もし抗ガン剤が効かず、遠隔転移が起こってしまえば、手術で膀胱をとる意味がなくなってしまう)
ネガティブなことを悶々と考え、夜は眠れなかった。
(いったい何がこわいんだろう?
死ぬことか?
肉体的な痛みか?
社会的な孤立か?)
恐怖の原因を探っていくと、その答えは、
(自分がこれからどう弱っていき、どう死んでいくか)
ということだった。
それがわかった竹原慎二は、ガンに立ち向かおうとした。
それが恐怖心を和らげる方法だと思ったのだ。
自分のガンの正体を知ろうと、ネットで情報を求め、本を読み、不安や不明なことはなんでも医者に訊ねた。
そしてどんな名医でも14%、一般的には30%くらいの誤診があることを知った。
何より「ガン=死」ではないと確信した。
「ガン≠死」
竹原慎二は前向きに笑っていこうと決めた。
抗ガン剤
4月2日、抗ガン剤治療が始まった。
シスプラチンが146ml投与される。
少量だが劇薬のため、その前後に生理食塩水や電解質や吐き気止めなど大量の点滴をしなければならなかった。
また抗ガン剤を投与後、体重が2㎏以上、増えていると利尿剤を使って排出させなければならなかった。
9時から点滴が始まり、15時にシスプラチン、すべて終わったのは22時だった。
4月3日、ジェムザールが投与された。
4月4日、投薬はないが、抗ガン剤の影響か全身に力が入らず強い倦怠感が襲ってきた。
この後、食欲も落ちていった。
4月7日、翌日に予定されている1クール目最後の投薬が行えるかどうかの血液検査があった。
抗ガン剤は、細胞分裂が活発な細胞に作用するため、骨髄にも影響し、血液をつくる働きが低下する。
竹原慎二の身体は、検査の結果、2回の投薬で白血球は半分に激減していることがわかった。
翌日の投薬はギリギリ行えるということだった。
これ以上下がると休薬しなければならないという。
また下半身に発疹が出てきたため、かゆみ止めの薬をもらった。
4月8日、ジェムザール投与。
4月9日、一時退院が許された。
自宅に帰り、久しぶりに風呂に入ると、鼻血が出た。
病院に連絡すると
「抗ガン剤で血管が弱っているため、熱い風呂や激しい運動は控えるように注意してください。
鼻血がすぐ止まるようならいいですが、あまりに頻繁だったり値が止まらなかったりする場合は、止血剤を使うので連絡してください」
と注意された。
へその下から大腿ま出ていた発疹がひどくなり、かゆみに耐えきれずボクシング好きの早川医師に診てもらった。
「発疹は抗ガン剤の反応だから効いている証拠。
いい兆候だから頑張れ」
4月19日、髪の毛が大量に抜けはじめる。
軽くつまむだけで抜けるので、なるべく触らないようにする。
4月21日、本来は入院日だったが、所属選手の上林巨人の試合があったため1日延期。
竹原慎二は、抵抗力が弱っているため、外出時は必ずマスクをつけ、人混みは避けなければならないが、この日は、試合が始まる直前まで車の中で待機した。
そして上林巨人は、アニス・セウフィンを一方的に攻め、レフリーは5Rに試合をストップした。
そして4月22日、竹原慎二は2クール目の抗ガン剤治療を受けるために再入院。
4月23日、ジェムザール投与。
4月24日、シスプラチン投与。
翌日から副作用が始まった。
たびたび倦怠感に襲われ、日によって調子のよい日と悪い日があった。
4月29日、2クール目最後のジェムザール投与の日だったが、血液検査で、白血球が基準値を下回り、1週間の休薬が決まった。
そして白血球を増やすための注射が背中に射たれた。
そして4月30日、投与可能なまでに回復したため、最後のジェムザールが投与され、2クールが終了した。
5月1日に一時退院した。
入院前に88㎏あった体重は、この頃には80㎏になっていた。
ダヴィンチ手術
一時退院して1週間後の5月7日、外来で受診し血液検査を行った。
そして医師から
「手術はダヴィンチでやっていないか?」
と提案された。
通常の開腹手術は、臍の上から30~35㎝を切り開くが、ダヴィンチ手術、正式には「内視鏡下手術用ロボット(da vinchi s)支援下膀胱全摘術」では、臍の下数㎝と数ヵ所の穴を空けるだけでよい。
拡大鏡カメラを入れて、肉眼では見えづらい神経などを傷つけずガンを取り残しにくい。
患者の肉体的な負担は少なく、術後の痛みは1/10~2/10に軽減され、回復も早くなる。
しかし膀胱癌へのダヴィンチ手術は、保険適応外で、費用350万円は全額自己負担となる。
またまだ東大病院でも1人、全国的にも臨床例が少なかったため、未知の不安があった。
その分、臨床試験として大学側が100万円を支払ってくれるため、手術費は安くなるという。
「ダヴィンチ手術でお願いします」
竹原慎二はいった。
そして手術は、抗ガン剤の効果が順調であれば、6月12日に決まった。
5月21日、抗ガン剤の効果をみるため、血液検査とCT撮影が行われた。
結果は、骨盤のリンパ節にあった転移ガンは1/4ほどに縮小していた。
肺、腎臓、肝臓、その他への遠隔転移はなかった。
医師はいった。
「ここで抗ガン剤をやめて予定通り6月12日の手術へ向けて準備を進めていきましょう」
5月30日、執刀医から手術の説明を受け、同意書を渡された。
最後に医師はいった
「今日は1度にいろいろ説明しちゃったから家に帰ってまた疑問点などが出てきたらいつでも聞いて」
それから心電図と肺活量を測定し、採血して保存し自己血輸血に備えた。