ボニー・タイラーとは

ボニー・タイラーはジャニス・ジョプリンやティナ・ターナーに感化され、10代の頃から人前で歌を歌っていました。
最初に注目を集めた曲は「Lost in France」(パリに消えた恋)であり、イギリスのポップチャートにランクインしています。
1977年にファーストアルバムをリリースしますが、その後に声帯ポリープが見つかり切除します。その時、完治する前に発声してしまった為、ボニー・タイラーの声はかすれてしまいました。
声がかすれてしまった為、歌手生命が終わると思っていたのですが、次のシングル「It's A Heartache」(愛は哀しくて)が大ヒットし、一躍スターダムに登り詰めることになります。
そんなボニー・タイラーは数々のヒット曲を残してきました。
この記事では、そのヒット曲をあらためて聴き直したいと思います。
1976年 「Lost in France」(パリに消えた恋)

1枚目のシングルがヒットしなかったものの、2枚目のこの曲では、ボニー・タイラーとしての試みがありました。紙の上では無意味な言葉が歌の中では外見上はどれぐらい豊かな意味を持つことができるか実証しようと思ったそうです。
ちなみに、この曲をリリースした直後に、ボニー・タイラーはポリープの手術を受けています。医者から6週間は声を出さない様に言われていたのですが、発声してしまったんですねぇ・・・
1977年 「It's A Heartache」(愛は哀しくて)

セカンドアルバム『Natural Force』の1曲目に収録されていたこの曲。
ボニー・タイラーの一番初めに大ヒットした曲です。
きっとボニー・タイラーにとっても大切な曲なんだと思います。
「it's a heartache」とは、心が張り裂けそうに痛いという歌詞です。相手を心が痛む程思っているという歌でした。
私は和訳を見て、ようやく歌詞の内容が分かりましたが、なかなか心に沁みる名曲です。
1983年 「Total Eclipse of the Heart」(愛のかげり)

前作の大ヒットから、満を持してリリースされたボニー・タイラーの5枚目のアルバム『Faster Than the Speed of Night』に収録されていたこの曲。
私の個人的な見解ですが、この曲がボニー・タイラーの曲の中で最も有名なのではないでしょうか。
この曲は、ボニー・タイラーがミート・ローフのライブを観て感銘を受けて、ミート・ローフの名プロデューサーであるジム・ステインマンに書きおろして貰った経緯があります。
ミート・ローフといえば、日本ではあまり名が知れてはいませんが、世界的には超ビックアーティストです。私もミート・ローフの「Rock And Roll Dreams Come Through」が大好きでした。
言われてみると、確かにこの曲はミート・ローフの世界観があちこちに散りばめられています。
流石はジム・ステインマンといったところでしょうか。
1984年 「Holding Out For A Hero」

この曲は『フットルース』というミュージカル映画の挿入歌に起用されました。
皆さんもご存じの通り、この曲がスクールウォーズの主題歌「ヒーロー」の原曲です(^^)/
日本語でカバーしているのは葛城ユキさんと麻倉未稀さん。お二人とも素晴らしい歌唱力で歌いこなしていましたよね。
ボニー・タイラーの曲の中では、日本で最も有名なのかもしれません。
Here She Comes

この曲はドイツの映画『メトロポリス』のサウンドトラックとして起用されました。
ボニー・タイラーはこの曲でグラミー賞最優秀女性ロックボーカリストにノミネートされることになります。
世界的な知名度を誇っていたボニー・タイラーなら、グラミー賞にノミネートされたのも頷けますね(^^)/
ボニー・タイラーを聴き直してみて
代表的な5曲を振り返ってみたのですが、いかがだったでしょうか?
「Holding Out For A Hero」は勿論ご存じだったと思いますが、「Total Eclipse of the Heart」もご存じの方が多かったのではないでしょうか?
ポリープの手術の為に、一時期は歌手生命も危ぶまれたボニー・タイラーですが、不死鳥のごとく蘇ったことに、彼女の素晴らしさがあると思いました。
今でも活動を続けているボニー・タイラー。
これからも世界中にその歌声を届けて欲しいものですね(^^)/