”スパーク三人娘”とは??
スパーク3人娘(スパークさんにんむすめ)とは、当時渡辺プロダクションに所属していた中尾ミエ・伊東ゆかり・園まりの3人の総称で、1960年代中頃に名付けられた。「ナベプロ三人娘」や単に「三人娘」と呼ばれることもある。

三人娘(伊東ゆかり・中尾ミエ・園まり)
そもそも”三人娘”とは??
本来のグループ歌手(例えばキャンディーズやAKB48など)のように当初からグループ活動を意図して結成されたものではなく、後から所属芸能事務所・レコード会社・マスコミなどにより付けられた「三人をグループ的に扱うためのキャッチコピー」としての意味合いが強かった。
従って、結成時期(命名時期)は比較的はっきりしているが、「解散」、「卒業」などといった概念はグループ歌手と異なって無く、ユニットの解消は自然消滅のように起こる。芸能活動の性質としては、グループ歌手と比べて独立性が強いものから、ソロ活動よりユニットとしての活動が多かったものまで幅広い。また、同世代の同じジャンルの歌手で構成されているので、メンバー同士がお互いにライバルでもあり、世間から何かと比較もされやすい。ユニットが自然消滅した後でもしばしば比較される場合もある。中には、機会があるごとに再集結するユニットも存在する。
”元祖三人娘”の戦略的勝利で「三人娘」を勢いづかす!!
”元祖三人娘(美空ひばり・江利チエミ・雪村いづみ)”が人々の間に浸透し始めていた1953年~54年頃には”初代三人娘(黒柳徹子・横山道代(現・横山通乃)・里見京子)”や”NHK三人娘(馬渕晴子・冨士眞奈美・小林千登勢)が同時発生的に生まれていたが、世の中で広く呼ばれていたものではなかったようだ。さしずめ、NHKや放送界の中だけで通じることばだったのではなかろうか?!。

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輪唱 | NHK名作選(動画他)
テレビ放送初期のころ、NHK専属の女優であった馬渕晴子・冨士眞奈美・小林千登勢の3人がドラマ『輪唱』をきっかけに人気を獲得し、”NHK三人娘”と呼ばれた。

映画『ジャンケン娘』のポスター
そろそろ”スパーク三人娘に進みますか!?
”スパーク三人娘”はそれぞれの魅力があった!!
姉御肌で歌はピカ一だった”中尾ミエ”!!

ゴールデン☆ベスト 中尾ミエ
1961年に渡辺プロと契約。当時人気だったザ・ピーナッツの後継として期待され、クレージーキャッツ主演の『シャボン玉ホリデー』などに出演し、一時代を築く。確かな歌唱力で、人気を博し、アメリカンポップス系を得意とする。16歳にしてリリースした『可愛いベイビー』が大ヒット。一躍スターの座に。三人娘の中では姉御気質であり、伊東や園が毎回2人のケンカの仲裁に入っていたという。
女性らしい、愛おしさを含んだ声質で人気を博した和製ポップス歌手の”伊東ゆかり”

伊東ゆかり ベストセレクション2017
1967年にリリースした「小指の想い出」は爆発的なヒットとなり、その後も長く歌い継がれている。その後も「恋のしずく」「朝のくちづけ」「知らなかったの」と立て続けにヒット曲を飛ばした。
ムード歌謡を得意とし歌唱力と風貌で一世を風靡した”園まり”

ゴールデン☆ベスト 園まり[スペシャル・プライス] Limited Edition
元々はクラシックの歌手を目指していたが、1960年11月NET『あなたをスターに』で優勝。1961年4月渡辺プロダクションに入社。1962年5月「鍛冶屋のルンバ」でレコードデビュー。1964年「何も云わないで」が、歌謡曲の初ヒットとなる。
何も云わないで 園 まり - YouTube
実は、当初は”園まり”ではなく”沢りり子”だった!!
代わった理由は??
当時、沢りり子だけは渡辺プロダクションではなかったことと中尾ミエとキャラがかぶると言った所があったのでは・・・??。デビュー当時は二人とも似た感じで「可愛いベイビー」も競作してたしね!!。