泉谷しげる登場
泉谷しげる がシーンに登場したのは1971年。デビュー・アルバムにしてライブ・アルバムの「泉谷しげる登場」でした。まぁ、まさに登場したわけです。
もしかすると若い人には役者のイメージが強いのかもしれませんが、当時は勿論バリバリの歌手。フォークシンガーとしてくくられることが多かったですね。

泉谷しげる登場
ファースト・シングルは「泉谷しげる登場」から1ヶ月遅れで発売された「帰り道」です。まぁ、なんというか、日本のフォークですね。貧しい若者の歌。現在ではなかなかこの種の曲を聴くことは出来ません。
現在でも大活躍している泉谷しげる ですが、音楽的なピークとなるとやはり70年代となるでしょう。毒と共にロックテイストをたっぷり含んだ泉谷しげる独特のフォークソングを振り返ります!
春夏秋冬
デビュー曲「帰り道」から4ヶ月後、早くもアルバム「春夏秋冬」がリリースされます。最初のスタジオ録音アルバムですが、プロデュースは加藤和彦が務めています。

春夏秋冬
アルバムにはデビュー曲の「帰り道」や話題となった「黒いカバン」(これはコミック・ソングといってもいいでしょうね)などが収められていますが、白眉となるのは何と言ってもタイトルチューンの「春夏秋冬」ですね。

春夏秋冬
シングルの「春夏秋冬」はライブ音源です。スタジオ録音も良いですが、ライブはやっぱり臨場感があっていいですね。
このシングルは、オムニバス・ライブアルバム「野音 唄の市」に収録されているバージョンが使われています。
光と影
1972年11月に2枚目のスタジオアルバム「地球はお祭り騒ぎ」がリリースされます。

地球はお祭りさわぎ
「地球はお祭り騒ぎ」には、「巨人はゆりかごで眠る」や「大通りを横切って」などの代表曲が収録されていますが、このアルバムからはシングル・カットはされていません。
「春夏秋冬」に次ぐシングルは翌年11月リリースの「春のからっ風」です。

春のからっ風
「春夏秋冬」と同じタイプの曲です。もしかすると、2匹目のどじょうを狙ってレコード会社からの要望があったのかもしれませんね。
しかし、それがどうしたと言わんばかりの良い歌です。
「春のからっ風」は、アルバム「光と影」に収録されています。
このアルバムのプロデュースは再び加藤和彦で、彼が当時結成していたサディスティック・ミカ・バンドが録音に参加しています。

光と影
フォークシンガーといいながらも、音はロック。しかも、加藤和彦の意向なのでしょうが、アルバムではレゲエまでも披露しているんですよ。
黄金狂時代
1974年10月、ロックテイストを前面に押し出した傑作アルバム「黄金狂時代」がリリースされます。バックを務めたのは「イエロー」と「ラストショウ」。
曲によってふたつのバンドが使い分けされていますが、アルバムを通して聴いても違和感はありません。

黄金狂時代
このアルバムからシングルカットされたのが「眠れない夜」です。4枚目のシングルにして遂にロック。それも極上のロックを演ってくれました!

眠れない夜
この曲でバックを担当しているのはイエローです。
イエローのドラムスはジョニー吉長で、後にChar、加部正義とともにバンド「ジョニー・ルイス&チャー(その後にピンククラウドと改名)」として活躍することになります。
う~ん、流石にドラムス、カッコイイですね!
家族
1975年6月 に、小室等、井上陽水、吉田拓郎、泉谷しげる の4人はフォーライフというレコード会社を設立し世間を驚かせます。その第1弾アルバムが「ライブ!!泉谷-王様たちの夜-」でした。
そして1975年8月には5枚目のシングル「寒い国から来た手紙」をリリース。

寒い国から来た手紙
「春夏秋冬」や「春のからっ風」のような感じの曲です。
ロック路線の曲を出してほしかったと思わないでもありませんが、「眠れない夜」の後ですし、新レコード会社としてはヒットさせなければならないという事情などもあったのでしょう。手堅い一曲といった感じでしょうか。
通算5枚目のスタジオ・アルバムもこの流れを感じさせます。

家族
しかし、アルバム「家族」は素晴らしい出来栄えです。1曲目の「野良犬」からしてロックを感じさせるフォークという泉谷しげる の真骨頂がよく出ています。
シングル・カットされたのは「彼と彼女」。しっとりとした曲ですが、曲調、詩の内容共に「春夏秋冬」などとは明らかに違い、新境地を感じさせます。

彼と彼女
「家族」は、泉谷しげる の音楽のピークを示すアルバムと言っていいのかもしれません。少なくとも、それまでのキャリアを総括するアルバムと言えるでしょう。素晴らしいです。
次のアルバムは問題作「光石の巨人」で、以降フォーク・ソングからロックへと大きく舵を切り、泉谷しげる は80年代へと向かうことになります。