今でも日本のポピュラー音楽界を牽引する存在の元祖「三人娘」の一人、雪村いづみを振り返る

今でも日本のポピュラー音楽界を牽引する存在の元祖「三人娘」の一人、雪村いづみを振り返る

2014年にはデビュー60周年、そして喜寿を迎え、現在もますます活発に活動している雪村いづみ。1953年に16歳でデビューし、以来数々のヒット曲を飛ばした。故人の美空ひばり、江利チエミと共に元祖「三人娘」としても人気を博し、半世紀以上にわたり、日本のポピュラーミュージック界を牽引してきた。そんな彼女を振り返ってみよう!!


”雪村いづみ”という歌姫をご存知ですか??

雪村 いづみ(ゆきむら いづみ)は、日本の歌手、女優、画家。一般社団法人日本歌手協会相談役。同年代の人気少女歌手であった故江利チエミと故美空ひばりと共に元祖「三人娘」の一人として称されている。日本歌謡界の重鎮。

本名	朝比奈 知子 (あさひな ともこ)愛称は本名の”ともこ”から「トン子」、又は「トンちゃん」
生年月日	1937年〈昭和12年〉3月20日(81歳)
出生地	東京府東京市目黒区大岡山(現:東京都目黒区大岡山)
血液型	B型
職業	歌手、女優
活動期間	1952年 -
著名な家族	妹:朝比奈愛子
      長女:朝比奈マリア

最近の雪村いづみ

裕福な家庭に育つ?!・・・

1937年(昭和12年)3月20日、東京府東京市目黒区大岡山(現在の東京都目黒区大岡山)に商社員の朝比奈愛三とその妻千恵子の長女として生まれる。
父:愛三は事業の傍らハワイアンバンド「カルア・カマアイナス」に参加する熱心な音楽家でもあり、ギターやウクレレは、セミプロ級の腕前を持っていた。そのせいだろうか、いずみは戦時下においてもモダンな音楽に日常的に接することができたようだ。また、戦後は進駐軍の関係者が家に出入りし、生の英語が飛び交うような家庭だったため、いずみは、日常的に音楽や英語に触れる環境で育たれたのだ。

1950年代の画像

いづみの父が自殺したことがいづみの歌手転進を後押し!?

いづみの人生は幼児期までは、順風満帆だっだに違いない。しかし、天は彼女に対してそのままの人生を許さなかった。1946年いづみがが9歳の時、父:愛三が自殺したことによって、いづみの人生は一転してしまう。母が洋裁店を開いて生計を立てようとするも、経営はうまく行くはずもなく生活は困窮し、いづみは、高校に通うことすら困難になってしまった。(高校受験には合格したが、学費が払えず、入学を断念したとも言われている)

そんないづみは、1952年15歳の時、麻布の知人宅でお手伝いさんを募集しているとのことで、家計の支えになればと雇ってもらおうと訪ねたそうですが、小柄で弱々しく見えたため、断られてしまったのだった。

いづみ本人は回想録の中で、「大きいマイクを前に一生懸命歌ったら、ダンスしていた人たちがみんな踊りを止めて、ステージに寄ってきてくれて、拍手してくれちゃったの!、それで、『明日からおいで』って言われた」そうだ。

結果的に見ると、他界した父が引き合わせたのだろうか?!

同年5月には日劇ミュージックホールのレビュー『サンマー・スキャンダル』の煙草売りの少女役に合格、7月には初舞台を踏みプロ歌手としてデビューした。8月下旬には当時最大の芸能プロダクションだった木倉音楽事務所の社長・木倉博恭に見出されて同プロ入り。同年秋には日劇『秋のおどり』に出演する。進駐軍クラブにも出演し、いづみのパフォーマンスは好評だったという。

想い出のワルツ(雪村いづみ) - YouTube

"三人娘”と称される!!

同年代の人気少女歌手である江利チエミ・美空ひばりと共に「三人娘」の一人として称され、その人気を不動のものにしたのだった。

この「三人娘」と称された江利チエミ・美空ひばり・雪村いづみが主演した1955年(昭和30年)公開の東宝映画『ジャンケン娘』は空前の大ヒットを記録。以後、『ロマンス娘』(1956年)、『大当り三色娘』(1957年)、少し期間を置いて『三人よれば』(1964年)も製作された。

監督	杉江敏男
脚本	八田尚之
製作	杉原貞雄、福島通人
出演者	美空ひばり
    江利チエミ
    雪村いづみ
音楽	松井八郎
主題歌	美空ひばり・江利チエミ・雪村いづみ「ジャンケン娘」

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★60thアニバーサリー★ジャンケン娘(美空ひばり、江利チエミ、雪村いづみ) - YouTube

武者修行のような渡米!?

その後、雪村いづみは、米国の歌手であり女優のシャーリー・マクレーンの尽力もあり、1959年に渡米して、1950年代から1960年代にかけて人気を博した歌手・女優のダイナ・ショアの人気番組、「The Dinah Shore Chevy Show」に出演し、芸能各紙から絶賛される。

米国に渡った理由としては、大きく二つが考えられる。
まず一つ目は、歌手としてポピュラーやジャズ音楽を極めてみたいという向上心だろう。私も、若い頃大学を卒業した時、専攻分野をもうちょっと極めたい欲求があって、米国に留学した覚えがあるから、このような行動は理解できる。

二つ目は、母親の膨大な借金を返済するための行動だったのではなかろうかと私は推測する。
当時、母親の借金が8500万円(当時高卒の初任給が5000円くらいなので、現在の貨幣価値に換算すると約25億円位になる!)にまで膨れ上がり、にっちもさっちも行かない状況だっだのだ。それで少しでも見入りの良い米国で公演を行うためだったのではなかろうか?!!。

$(ドル)を稼いだ始めての日本人歌手!!

いづみはあるインタビューで、「アメリカでいわゆるオーディションを受けなくちゃいけなくて、そのために先生を捜してレッスンを受けたわ。自分で探さなきゃいけなかったから大変だったけど、ラスベガスのホテルのラウンジで歌っていた時、ナンシー・ウイルソンのピアニストが、「1日25ドルで3日間レッスンしてみませんか?」と声をかけてくれて、喜んでレッスンを受けたの。そうしたら最初は真ん中のCが出るか出ないかだったのが、その3日間で上のCまで出るようになっちゃったの。1オクターブ上まで。そこで声の響かせ方が全然変わっちゃいました。」と回想している。

実際、同じ曲でも1950年代のものと1970年代以降のものを比べると、音の領域が全然違うことに気づいたのは私だけでしょうか??

1960年、ニューヨークのタイムズ・スクエアにあるナイト・クラブ、ラテン・クォーターで行われた雪村いづみ出演の『ホリデー・イン・ジャパン』は連日大盛況となり、ラテン・クォーターでは8週間の契約が成立し。その後、フィラデルフィアやデトロイトなど各地から申し込みが殺到し、シカゴでは半年以上の契約の申し込みがあり、最終的に1年に渡り全米12都市を回る大評判のツアーとなった。1961年5月にはあの『LIFE』誌の表紙を飾り、「ドルを稼げる初めての日本人歌手」と賞賛された。
その後、全米で人気のTV番組『エド・サリバン・ショー』、『ダニー・ケイ・ショー』、『アンディ・ウィリアムス・ショー』、『パット・ブーン・ショー』などにゲスト出演し、その歌唱力は大絶賛された。

『LIFE』誌の表紙として

私生活もそんな甘くはなかった!!

1959年(昭和34年)頃には「ロカビリー3人男」の一人として一世を風靡したミッキー・カーチスとの熱愛が話題を呼び、婚約にまで至った。しかしミッキーとはその後、進展がなく1960年には、ミッキーに相談することなくアメリカ公演「ホリデイ・イン・ジャパン」のため渡米してしまい、それを知ったミッキーが慌てて出発直前に婚約指輪を贈ったとかいう裏話があるが、後に婚約解消している。

1961年(昭和36年)には、アメリカ公演時に知り合ったテンプル大学の学生ジャック・セラーを日本へ連れ帰り電撃結婚。長女・朝比奈マリアをもうけるが、1966年(昭和41年)に離婚。翌1967年(昭和42年)にはアメリカでバリトンサックス奏者の原田忠幸と再婚するも、後に離婚。1970年代には劇団四季の飯野おさみとの同棲も話題を呼んだが、これも後に破局し、以後は独身を貫いている。

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