清水由貴子

欽ちゃんの週刊金曜日で見せた、一生懸命な姿が印象的な清水由貴子さんのプロフィールからご紹介します。
本名:清水由貴子(しみずゆきこ)
生年月日:1959年9月7日
没年月日:2009年4月20日
出身地:東京都台東区
キャッチフレーズ:ほほえみスイング まごころハミング
デビューのキッカケ:1976年に日本テレビ系「スター誕生!」でグランドチャンピオンとなりました。
イルカさんの大ヒット曲「なごり雪」を歌い、14社からスカウトのプラカードが上がりデビューが決まります。
ちなみに同じ決戦大会で、後にピンクレディーとなる根本美鶴代さんと増田恵子さんを抑えてグランドチャンピオンとなったというから、凄いです。
それにしても豪華な回ですよね。
翌1977年3月に「お元気ですか」をリリースし、デビューします。
この曲で数々の新人賞を受賞しましたが、「速報!レコード大賞」の新人賞では最後の1枠を争って榊原郁恵さんと決戦となりましたが、僅差で逃してしまいました。
この年の「速報!レコード大賞」新人賞の5人は、清水健太郎さん、高田みづえさん、狩人さん、太川陽介さん、榊原郁恵さんですから、層が厚かったですよね。
残念です。
太川陽介さんにLui-Luiされたら、ちょっと敵わないです。
その後もシングルは順調に発売されましたが、ヒットせず…。
次第に活躍の場所を、ドラマやバラエティー番組に移していきます。
清水由貴子さんというと、アイドルよりも週刊欽曜日で共演したコニタンこと小西博之さんとデュエットで「銀座の雨の物語」をリリースした、欽ちゃんファミリーとしての活躍のイメージが強いですよね。
1990年代は朝ドラ「春よ、来い」への出演や、情報番組のリポーターの仕事が多く、女優やリポーターとして活躍しました。
2003年には2度目となる朝ドラ「こころ」への出演や、映画「ランドセルゆれて」の主演など2000年代に入っても活躍しましたが、母親の介護をきっかけに事務所からの独立を決意します。
清水由貴子のその後
事務所独立後は、山梨放送の情報バラエティー番組『ともちゃん家の5時』の仕事のみを受けていましたが、2007年の番組のリニューアルを機に芸能界から完全に引退します。
そして…2009年4月21日に静岡県駿東郡小山町の冨士霊園にある父親の墓前で、硫化水素が充満した黒いポリ袋を顔に被り、他界した状態で発見されました。
死亡時刻は前日の20日午後5時頃で、傍らには要介護状態の母親が意識不明の状態で残されていましたが、命に別状はなかったそうです。
享年49歳…あまりに早すぎる清水由貴子さんの訃報でした。
榊原郁恵のプロフィール

次は渡辺徹さんとの夫婦の絆が美しかった榊原郁恵さんです。
本名:渡辺郁恵(わたなべいくえ)旧姓・榊原
生年月日:1959年5月8日
出身地:神奈川県川崎市
キャッチフレーズ:1億円のシンデレラ
デビューのキッカケ:1976年の第1回ホリプロスカウトキャラバンで優勝し、デビューが決まります。
1977年1月に「私の先生」をリリースし、デビューしました。
そして、太川陽介さんや清水由貴子さんらと共に新人賞レースに参戦しています。
翌1978年に「夏のお嬢さん」が大ヒットし、一躍トップアイドルの仲間入りを果たしました。
歌手としてだけでなく、明るいキャラクターで学園ドラマ「ナッキーはつむじ風」など女優としても活躍します。
当時「生徒諸君」というナッキーという元気な女の子が出てくる漫画があり、榊原郁恵さんの「ナッキーはつむじ風」も榊原郁恵さん演じるナッキーが同じく元気な女の子なので、セットで思い出されます。
また1981年からはミュージカル「ピーター・パン」の座長を7年間務め、合計76万人を動員しています。
1984年には「風の中のあいつ」で、渡辺徹さんと共演し後に結婚しました。
二枚目俳優だった渡辺徹さんですが、このころからポッチャリとし始めていて、2人のコミカルな掛け合いが楽しかったです。
芸能界きってのおしどり夫婦と呼ばれた、榊原郁恵さんと渡辺徹さんですが、2022年11月28日に敗血症のため、逝去しています。
2021年には、「いい夫婦パートナー・オブ・ザ・イヤー2021」に選ばれて、家族で朗読劇に取り組むなど公私ともに協力しあえる、素晴らしいご夫婦でした。
高田みづえのプロフィール

歌唱力の高さがピカイチだった高田みづえさんです。
本名:日髙みづえ(ひだかみづえ)
生年月日:1960年6月23日
出身地:鹿児島県揖宿郡頴娃町(現南九州市)
デビューのキッカケ:1976年のフジテレビのオーディション番組「君こそスターだ!」で、グランドチャンピオンとなってデビューが決まります。
1977年3月に「硝子坂」をリリースし、デビューしました。
清水由貴子さん、榊原郁恵さんと共にフレッシュ3人組と呼ばれ人気を博しましたが、そのずば抜けた歌唱力で「だけど…」「ビードロ恋細工」などデビュー曲から3曲続けてヒットしています。
また1977年の紅白歌合戦にも「硝子坂」で出場しました。
高田みづえさんと言えば、1980年にサザンオールスターズのカバー曲で「私はピアノ」が有名ですよね。
日本歌謡大賞放送音楽賞を受賞するなど、高田みづえさんの最大のヒット曲となりました。
また歌手としてだけでなく、TBSの『8時だョ!全員集合』や、フジテレビの『ドリフ大爆笑』にも出演し、バラエティー番組でもコミカルな姿を見せて大活躍しています。
1985年に大相撲の人気力士若島津関と結婚し、惜しまれながらもスパッと芸能界を引退しました。
1987年に若島津関が引退すると、おかみさんとして部屋を切り盛りし内助の功を発揮しています。
2022年1月に夫の二所ノ関が定年を迎えて部屋経営から引退し、同時に高田みづえさんもおかみさん業を引退しました。
長い間、本当にお疲れ様です。
これからはご夫婦でのんびり過ごして欲しいですね。
まとめ
今回は「1977年デビューのフレッシュ3人娘(清水由貴子・榊原郁恵・高田みずえ)の活躍と現在は?」についてご紹介しました。
それぞれ別の人生を歩んだフレッシュ3人娘。
一生懸命なところが共通しているように感じます。
これからも応援していきたいですね。