斉藤哲夫
斉藤哲夫です。斉藤哲夫といえば、一般的にはやはり何といってもミノルタのCMで使われた「いまのキミはピカピカにひかって」でしょうね。
「いまのキミはピカピカに光って」は、オリコン最高位9位、売り上げは20万枚を突破するヒット曲となりました。
それにしてもこのCMの宮崎美子はカワイイ。彼女がこれで大ブレイクしたのもうなづけますね。
この曲がヒットしたのも宮崎美子のおかげと言えなくもありませんが、曲は曲でやっぱりポップでいい曲です。
いい曲ですが、斉藤哲夫のキャリアの中ではこれはかなり異質な曲なんですよね。実に味わい深い斉藤哲夫の世界をデビューから振り返ってみましょう。
悩み多き者よ
斉藤哲夫のデビュー曲は1970年2月にURCから早川義夫のプロデュースによる「悩み多き者よ」です。
早川義夫というところが、何とも言えないところですが、それは置いといて、如何です?「いまのキミはピカピカに光って」とまったく違うでしょう?あまりの違いに驚いたでしょう?もしかするとこれ以上聴く気が失せたかもしれませんね。
時代?それもあるとは思いますが、「悩み多き者よ」ですものね。暗い。テーマは確かに暗く重いです。しかし良く聞くと結構ポップなメロディだし普遍的なテーマを歌っているんですよね。実に味わい深い曲です。
君は英雄なんかじゃない
ファーストアルバム「君は英雄なんかじゃない 」が発売されたのは1972年6月です。デビュー曲から2年後に当たるわけですが、今の感覚からすると遅いように感じますね。「悩み多き者よ」が2000枚しかプレスされなかったということを考えるとレコード会社もアルバム発売に二の足を踏んだのかもしれません。

君は英雄なんかじゃない
君は英雄なんかじゃない といきなり言われても戸惑ってしまうばかりですが、こうした斉藤哲夫の書く歌詞が文学性が高いと評価され、「若き哲学者」や「歌う哲学者」などと呼ばれることになります。哲学者ですか。斉藤哲夫は当時22歳です。
2枚目のシングルとなったのは「されど私の人生」です。
この「されど私の人生」は、吉田拓郎のバージョンの方が知られているのかもしれませんね。実は斉藤哲夫のオリジナルで、詩も曲も彼が作っています。
この後、レコード会社をCBS・ソニーレコードへと移籍し充実期を迎えることになります。
バイバイグッドバイサラバイ
CBS・ソニーレコード移籍第一弾となるのが代表作と言ってもいい「バイバイグッドバイサラバイ」です。発売は1973年10月です。

バイバイ グッドバイ サラバイ
このアルバムの1ケ月前に かぐや姫が200万枚の大ヒットとなる「神田川」を発売し、日本中にフォークソングブームが巻き起こります。
商業的にみると斉藤哲夫はこのブームにうまく乗ることは出来ませんでした。しかし、当時斉藤哲夫が作っていた曲はあか抜けているんですよね。
当時の映像が残っていなくて残念ですが、アルバムタイトル曲「バイバイグッドバイサラバイ」は素晴らしすぎます!
アルバムは、岡田徹、白井良明、チト・河内、後藤次利といった素晴らしいミュージシャンがバックを務めています。
グッド・タイム・ミュージック
1974年7月に発売の「グッド・タイム・ミュージック」。CBS・ソニーレコード移籍第二弾で、通算3枚目。

グッド・タイム・ミュージック
ビートルズ『アビー・ロード』B面をイメージした(本人談 とてもそう思えないくらい自分の音にしているけど)、コンセプチュアル・アルバム。
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前作でもビートルズの影響を感じさせたのですが、今作も同様で実にポップ。デビュー当時と比べると同じミュージシャンとは思えないほどですが、もともと斉藤哲夫はメロディメーカーとしてそういった資質を持っていたのでしょうね。
特筆すべきはやはりタイトル曲でしょう。

グッド・タイム・ミュージック
当時の映像がないのが非常に残念ですが、まあ、最近でも元気に歌っているという姿が見られるだけでOKですね!
名曲中の名曲。ですが、デビュー当時の悩み多き哲学者としての斉藤哲夫を支持していたファンにとっては失望というか、大いに戸惑ったようです。
ポップすぎたんですね。それだけに、これはもっとヒットしても良かったと思いますけどね。いえ、こうした曲こそヒットしてほしかった。
僕の古い友達
CBS・ソニーレコード最後となるアルバム「僕の古い友達」。1975年9月の発売です。

僕の古い友達
シングル・カットされたのは「さんま焼けたか」。大きなヒットにはなりませんでしたが、これも良い曲です。例によって当時の映像はありませんが、幸いにも1988年にテレビ出演時の映像が残っています。
1988年と言えば、日本はバブル。こうしたフォーク・ソングは時代との隔たりをどうしても感じてしまします。今聴くと味わい深くていいのですけどね。
斉藤哲夫のテレビ出演は嬉しいのですが、これによって「さんま焼けたか」が大ヒットしたという話はあまりききません。
いまのキミはピカピカに光って
CBS・ソニーレコードからレコード会社をポニーキャニオンに移して、1979年7月「一人のピエロ」、1980年7月「いつもミュージック」と2枚のアルバムを発売します。
CBS・ソニーレコード最後のアルバム「僕の古い友達」が1975年9月の発売ですから、ポニーキャニオンとの契約に至るまでなんと4年。脂の乗り切っていた時期に4年のブランクは痛い!斉藤哲夫にとっては不遇の時代と言えるのかもしれません。
しかし、やっと契約したポニーキャニオンからのアルバムもヒットしていませんでしたから、契約後も不遇は続いていたということですね。
そんなある日、1980年6月に「いまのキミはピカピカに光って」が出るわけです。

いまのキミはピカピカに光って
作詞が糸井重里、作曲が鈴木慶一。古くからの友人である鈴木慶一からの勧めだったとはいえ、オリジナル曲しか歌わない斉藤哲夫にとっては少なからず葛藤があったことでしょう。むしろ鈴木慶一がムーンライダーズで歌っても良かったでしょうにね。
めでたく大ヒットした「いまのキミはピカピカに光って」に続いて「ひょんなことから有頂天」という自虐的ともいえるタイトルのシングルを発売した後、斉藤哲夫は今日に至るまでメジャーからオリジナル・アルバムを発売していません。
それはまるで他人の曲を歌いヒットした自分に「君は英雄なんかじゃない」と言っているかのようです。