広島総合球場での対広島東洋カープ戦後に、大敗に激高した広島ファンがグラウンドに投げ込んだビール瓶により木戸美摸投手が負傷した。
結果
球場で販売する飲料物が紙コップ類に限定され、ビン・カン類の持ち込みが制限されるきっかけとなった事件。
1973年
甲子園球場阪神ファン乱入乱闘事件
ジェット風船を飛ばす阪神ファン
甲子園での対阪神タイガース戦で巨人がセ・リーグ9連覇を達成した直後、激昂した阪神ファンが多数グラウンドに乱入し巨人選手やよみうりテレビの放送席などに襲いかかった。
このとき王貞治は下駄で顔を殴られたといわれる。このためグラウンドでの胴上げは中止され、宿舎の大広間で行われた。
湯口事件
湯口敏彦
読売ジャイアンツに投手として所属した湯口敏彦が1973年3月22日に急死したことをきっかけに、監督の川上哲治はもとより、球団全体へのバッシングに発展した事件。
発生に至るまでの経緯
1973年3月22日夕、湯口は病院のベッドで変死体となって見つかった。
球団・病院は「湯口敏彦投手の死因は心臓麻痺」と発表したが、湯口の死因を巡り、
マスコミからは「湯口の死は自殺で、その原因は球団にあるのではないか」と非難されることとなる。
週刊ポストは湯口の急死を「事件」と報じ、死から約2週間後「巨人軍・湯口敏彦投手の死は自殺だった」という特集記事を掲載。湯口の父親の手記を登場させるなどバッシング報道を展開した。これに報知新聞以外のスポーツ新聞・週刊誌も追随したため、スポーツマスコミのほぼ全体から非難を受けることになった。
1978年
江川事件
作新学院 江川卓
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1978年のドラフト会議前日にプロ野球セ・リーグの読売ジャイアンツとの電撃的な入団契約を結んだ投手・江川卓の去就をめぐる一連の騒動である。江川問題(えがわもんだい)、江川騒動(えがわそうどう)、空白の一日(くうはくのいちにち)とも言われる。