マクドネル・ダグラス DC-10とは??
ジャンボと同様、DC-10も軍用機開発からの転用だった!!

C-5A
1962年、当時の米国防省は米国本土から遠く離れた前線に兵士や物資を迅速かつ大量に輸送することができるような大型輸送機の開発計画(通称「CX計画」)を練っていた。この「CX計画」に、米国の大手航空機メーカーであるボーイング社、ロッキード社とともにダグラス社も巨額なビジネス獲得を目指して受注合戦を繰り広げた結果、ダグラスはロッキード(上記のC-5輸送機)に敗れてしまう。
ちなみに同じく受注に失敗したボーイング社は、ボーイング747の開発へと進んだ。
ダグラス社もアメリカン航空が1966年3月に出した座席数250席級、航続距離3400km程度の国内線の大量輸送を目的とした大型旅客機、いわゆるエアバスの要求仕様に基づき計画がスタート、当初は双発型を想定していたが、その後他の大手航空会社がアメリカ大陸を横断可能な航続力を要求、さらに一発停止時の推力低下の問題や洋上運航を考慮、結果、座席数最大330席、航続距離は大陸横断が可能な4,500km程度とした三発機という案に修正された上で、1967年11月からダグラス社において本格的な開発に着手したのだ。

全日空 トライスター (JA8508 大阪国際空港 1993年)
ちなみにトライスターと聞いて、「ロッキード事件」を連想された」方がおられたら、相当の飛行機通か事件通ですね!!。1972年に運航を開始したトライスターは、DC-10と共に中距離路線向けに開発された機体であったため、ダンピングを含む販売競争が繰り広げられ、日本では贈収賄事件まで起きている(ロッキード事件)。

マクドネル・ダグラス社有機

ハワイ航空のDC-10-10型機

ユナイテッド航空のDC-10-30型機

スイスエアのDC-10-30ER型機

日本アジア航空のDC-10-40型機

日本航空のDC-10-40D型機

日本航空のMD-11型機

ボーイングMD-10(1997年にマクダネル・ダグラスを吸収合併)
数多くのDC-10とMD-11を運航するフェデックスがボーイング(1997年にマクダネル・ダグラスを吸収合併した)へ提案し、「ボーイングMD-10」として共同開発を行なう。改造の対象になったのはフェデックスの保有するDC-10-10と-30で、操縦システムをMD-11と同様のものに改造(一部のシステムはボーイング777などの最新型ボーイング機のものが流用されている)。

KC-10 エクステンダー。DC-10-30型機がベース
内部からジャンボと比較すると・・・??(747とDC-10)

日本航空のボーイング747-100B機内座席配置表

日本航空のダグラスDC-10機内座席配置表
なお、日本航空のDC-10は国内線用機の座席を一時期10列にしていた(370人乗り)。まさに「デブは乗るな!!」ということだ!!。
それから、747にしてもDC-10にしても、アメリカから日本に帰るとなると10時間以上も缶詰にされるので、私なんかは早々に後ろの真ん中の4~5人席を占領し、酒をがぶ飲みして耳栓をして横になって”グースカパースカ”寝た記憶がある。
新技術は殆ど導入されず!!
既存の技術を最大限に活用するという開発方針の結果、操縦システムには特に目新しいものはない。これはコックピットの装備品にも及び、DC-8やDC-9と同じ大振りな部品が使用されることもあった。その中で、フラップの下げ角度は段階的にではなく、1度刻みに設定できる「Dial a Flap」システムが採用されていた。これは、離陸時には10度から25度まで、着陸時には35度から50度までをフレキシブルに設定できる仕組みで、当時としては先進的であった。

DC-10-30のコックピット
「またDC-10か?」とは「またお前か?」と同様の言葉!!
あまり声を大にして言いたくはないのだが、DC-10は機材設計の問題(機材の欠陥)に起因する重大事故を何度か引き起こしている。
しかもその重大事故(1974年 トルコ航空981便墜落事故 死者346人)を引き起こした欠陥は、開発時に既に判明していたものであったにも関わらず、ダクラス社がロッキード社との競争のため完成を急いだ故に黙殺され、更に就航後、実際にそれが原因で墜落する危険性が高い重大インシデントを起こしたにも関わらず、アメリカ政府と工作し改善を怠って放置されていたものであった。それゆえこの事故後、会社と政府の体質が厳しく批判され、DC-10は欠陥機だというイメージが強まった。さらにDC-10はその事故後も幾度と重大航空事故の当事機になったり、別の航空事故の要因になる事例が発生したため、「またDC-10か?」という不名誉な言葉を生んでしまった。
DC-10のおかげでダグラス製旅客機≒欠陥機と見られがちだが、むしろDC-10以前の機体は他社の機体と比較しても優れた機体が多く、ジェット黎明期にボーイング707と覇を競ったDC-8、レシプロ旅客機時代の最後を飾ったDC-6などの歴史に残る名機も数多くある。しかし、競合機との値下げ戦争の結果逆ザヤ地獄に突入し、結果的にダグラス社倒産の引き金となったDC-7という迷機もあるが・・・。