和菓子とは??

見た目の美しさも追求される和菓子(上生菓子)
和菓子 - Wikipedia
果子(くだものの意)から菓子に、そして和菓子へ
もともと、日本では木の果実、草の実を総称して「くだもの」と呼び、中国より文字や漢字が伝来すると、その当て字として「菓子」の字をあてるようになった。要するに、古くは「菓子」とは、果実のことで、果物と実を包括した言葉であったという。それらは主食である穀物などからの栄養分やビタミンなどの不足を補う役割があり、また、甘みを持つものもあったため、嗜好品としての役割もあったそうだ。昔も今も、甘い刺激には人間はもろに弱いところがあるようだ。
甘さの元は石蜜(蜜をかためた物)や甘蔗(サトウキビ)!!

石蜜

甘蔗(サトウキビ)
穀物を原料とした食べ物も加わる!!
奈良・平安時代になると仏教の伝来と共に大豆餅、小豆餅といった米や麦、胡麻などの穀物を原料とした食べ物も加わり始めた。この頃の砂糖の代わりとなる甘いものは石蜜(蜜をかためた物)や甘蔗(サトウキビ)などで、中国から運ばれ、餅類に加えて食されている。
奈良時代に唐より伝来した唐菓子の登場!!
奈良時代には果物を菓子と称していたため、中国からも菓子類が伝来し、唐菓子(からくだもの・からかし)と呼ばれた。そのような唐菓子が京都にはまだ伝統として残っている。

奈良時代に唐より伝来した日本の菓子のルーツの一つ 清浄歓喜団
これらの唐菓子の中から各々が進化をし、今日の団子、饅頭、煎餅などが生まれた。
時代は下り鎌倉時代には、茶の湯文化の広まりに伴う点心の一つとしての菓子作りも発達
鎌倉時代には、宋から茶苗を持ち帰った栄西によって茶の栽培と普及が進められて茶の湯文化が広まったことにより、点心の一つとしての和菓子作りも発達していった。1341年に日本にもたらされた饅頭(蒸し饅頭)は、現在も続いている最も古い菓子の一つである。
1970年初期ぐらいまではどの駅前でも2~3軒の甘味処が存在した!!

ほうじ茶の店「森乃園 甘味処」
甘味処の和菓子といってもいろいろ!!
読者の方もご存知だろうとは思いますが、甘味処のメニューで代表的なもの3つをおさらいしましょう!!
なつかしい方もおられるのでは・・・??。
甘味処のメニューって言えば何はなくとも「あんみつ」、「ところ天」、「おしるこ」でしょう!!

あんみつ
なお、小豆餡を入れないものをみつまめと言う。
また、あんみつにも色々なバリエーションがあり、
クリームあんみつ:ホイップした生クリーム、もしくはアイスクリーム(またはソフトクリーム)をのせたもの
白玉あんみつ:白玉をのせたもの
フルーツあんみつ:カットした果物(いちご、キウイフルーツ、サクランボ、パイナップル、ミカンなど)をのせたもの
など多種多様。

ところ天
甘味処では、ところ天に酢醤油をかけるか、黒蜜をかける、二つの食べ方があった。男性陣は圧倒的に酢醤油が多く、女性陣は黒蜜が喜ばれていた記憶が残っている。

汁粉(しるこ)
冬も本番になって、みなさんあったかいものが恋しくなってきた頃じゃないでしょうか?。そん時はコーヒーも良いですが、あったか~いおしるこが最高!!。また、おしるこの脇に出て来る、しょっぱい漬物やこんぶの佃煮のおいしいこと!!
私は個人的にはめちゃ辛いキムチと一緒におしるこをすするのがこの上なく幸せを感じるんですが・・・?!