「ハドソン」と聞いて何を思い浮かべますか?
コナミに吸収された後、ブランドとしての「ハドソン」も2013年で終わりを迎えたファミコンゲームメーカーの雄、ハドソン。
私たちの世代にはあまりにも有名な同社ですが、ハドソンと聞いて皆さんが思い浮かべるのは何ですか?
個人的にはロードランナーですが、高橋名人にスターフォース。桃伝、桃鉄。ボンバーマンに全国キャラバン。さらにはPCエンジンと、イメージするのは人それぞれかもしれません。
ひとつ言えるのは、とくに1980~90年代に一世風靡したゲームメーカーであったということ。
この先、ハドソンの名を聞く機会は少なくなると思うと寂しくなり、ここにその軌跡をまとめたいと思います。
「バーイ ハドソン♪」のハチ助はハドソンの社章

初期CMに登場した「バーイ ハドソン♪」とハチ助
1973年、アマチュア無線ショップとして創業
札幌市豊平区にアマチュア無線ショップとして創業(創業者は工藤裕司氏)。
1970年代後半にはパソコン向けのソフトウェア制作を手掛け始め、1980年代になると高い技術力でパソコンソフトメーカーの大手となりました。
シャープのパソコン用のHu-BASICと呼ばれるBASICインタープリタや、あの至高のX68000搭載のOS「Human68k」などもハドソンによる開発でした。
しかし当時は主にシャープのMZシリーズ、X1シリーズ用のBASICを手掛ける一方「8it時代の圧倒的覇者」NEC向けのソフトを開発していなかったため、ハドソンの名前は当時のパソコンのライトユーザーには浸透しませんでした。
あのソフトバンク台頭のきっかけにも!
1981年には孫正義がパソコンソフトの流通会社として興した当時の日本ソフトバンク社と独占契約を結び、上新電機を始め全国のパソコン販売店の店頭でソフトウェアが販売される体制を確立しました。
これはソフトバンク社にとっても創業期の大きな出来事として認識されているそうです(ソフトバンク台頭にハドソンの存在は必要不可欠だった)。
1984年、ファミコン初のサードパーティーとして参入
パソコン向けソフトウェアで定評のあったハドソンは、任天堂がファミコンリリースの一年後に発表した「ファミリーベーシック」(1984年6月21日発売)の共同開発を機にファミコン向けゲームソフトの制作に舵を切りました。
ファミコン初期にヒット作を量産!
「ロードランナー」「ナッツ&ミルク」に始まり「バンゲリングベイ」「チャレンジャー」などの意欲作(一部ク〇ゲーとして愛され続けたものも)、シューティングの名作「スターフォース」「スターソルジャー」や「ボンバーマンシリーズ」「桃鉄シリーズ」など、枚挙に暇がないヒット作の数々でした。
また連射ブームを巻き起こし「シュウォッチ」を販売したりと、初期のファミコンゲーム界をリードする存在でした。
ハドソン - Wikipedia
「ハドソン全国キャラバン」
ハドソンが1985年から行っていたゲーム大会がハドソン全国キャラバンでした。
筆者も1986年に「スターソルジャー」で挑戦しました(笑
このキャラバンでハドソンは北海道から沖縄まで全国各地を巡業、各都道府県の政令指定都市にとどまらず他の都市でも行われました。
毎年のキャラバン公式ソフトはコチラ
1985年:スターフォース
1986年:スターソルジャー
1987年:ヘクター'87
1988年:パワーリーグ
1989年:ガンヘッド
1990年:スーパースターソルジャー
1991年:ファイナルソルジャー
1992年:ソルジャーブレイド
アニメのスポンサードも!
ハッキシ言って、おもしろカッコいいぜ!魔神英雄伝ワタル - Middle Edge(ミドルエッジ)
1987年、PCエンジンをリリース
PCエンジンというとPC-88などと同じ「PC」を冠することからも、私たちのイメージではNECのゲーム機というイメージが強いかもしれませんが、こちらも開発にはハドソンが大きく関わっていました。
創業からの系譜で分かる通りハドソンは高い技術力を持った集団であり、ファミコンサードパーティーの立場としての成功に甘んじる事無く、独自のハード作りにも乗り出したのです。
以後、PCエンジン、CD-ROM2、PC-FXなどの後継、拡張ハードにも携わりNEC陣営のファーストパーティー的存在として活躍しました。
【PCエンジン】ハドソンとNECが任天堂ファミコンの牙城に挑んだ意欲的なゲームマシン!! - Middle Edge(ミドルエッジ)
PCエンジンにも「PC原人」「天外魔境」といった代表作や「R-TYPE」「イースI・II」などハイクオリティな移植作品を手掛け、「桃太郎電鉄7」ミリオンヒットを達成するなど実質的なファーストパーティーとして存在感を示しました。
2つの名作が、1つの新たな名作に【イースⅠ・Ⅱ】PCエンジン版 - Middle Edge(ミドルエッジ)
コナミの子会社へ
1990年代末、金融大不況のなかでメインバンクだった北海道拓殖銀行の破綻で資金繰りが悪化します。
以後、i-modeなどの携帯電話向け事業に乗り出すものの厳しい状況が続き、2000年代に入ってコナミの資本が入り2005年にはコナミの子会社となりました。
コナミの完全子会社になった2011年にはあの高橋名人が退社、2012年にコナミデジタルエンタテインメントに吸収合併する形で会社としてのハドソンが消滅しました。
消滅後もハドソンブランドのサービスは継続されていたものの2013年末をもってブランドも消滅し、全てコナミブランドに統一されることとなったのです。