大野さんには、「打たれても毅然としていろ」と伝授。
投手に必要なのは、「ポーカーフェイス」である。と伝授。
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江夏さんが大野さんに伝授したことは、「打たれても毅然としていろ」ということだったそうです。試合で打たれて肩を落としてベンチに帰ってくると、必ず叱ったとのこと。
「そういう態度は相手チームにも味方にも見せるな。だれだっていつも抑えられるわけじゃない。打たれることがあって当然なんだから。俺なんてこれまで何百本ホームランを打たれたと思っているんだ。マウンドでは常に堂々としていろ。」と教え込まれました。
ポーカーフェイスが身についてきた大野さんは、打たれても下を向いたり、マウンドにヒザをついたりするような態度は絶対にしないように心がけたそうです。
確かに、表情豊かで喜怒哀楽を強く表すピッチャーは、長く活躍している人には少ないかな、というイメージがあります。
あっという間に広島を去っていった江夏さん。
大野さん、達川さんにいろいろな基本を教えてくれた江夏さんは、トレードによって1980年のオフに日本ハムに行ってしまいます。
わずか数年の間に様々なことを伝授してくれた江夏さんがいなくなった後、大野さんが江夏さんの後を任され、ストッパーになったのですが、「この3年間(81年から)は、オレの野球人生の中で一番苦しい時期だった。」と言っています。
おそらく、頼りにしていた師がいなくなってしまい、独り立ちするまでの苦労だったのでしょう。
「江夏監督」が実現していれば・・・。
【スポーツ異聞】江夏豊は一度の過ちで立ち直った その「事実」こそが清原和博へのメッセージだ!(1/3ページ) - 産経ニュース
これだけプロ野球を知り尽くし、「優勝請負人」とも言われた江夏さんが監督になれないのは、残念な事件があったからではないかと思います。しかし名球会に復帰できた(永久追放だと私は思っていました。)のは、更生の誓いと、そのあまりにも輝かしい業績にあるのだと思います。
江夏さんが監督をしていればどうなったのか、歴史にもしもはありませんが、すごいチームになっていたであろうことが、この大野さんと達川さんの対談でもわかります。
野球のことでありながら、人生訓のようなことを教えてくれた江夏さん。
上の本はまだ読んでいませんが、おそらく何か「空虚なもの」を感じて、過ちを犯してしまったのかもしれません。
江夏さんは立ち直り、名球会への再加入を果たしましたが、数年前世間をにぎわせた清原和博氏も、江夏さんに続き、立ち直り、野球界へ貢献してもらいたいと思います。