安くて良い家電が多かったAIWA製品プレイバック
ミドルエッジ世代が学生時代、今の子と違って購買意欲が旺盛だった人も多いのではないでしょうか。まだバブルの残り香があったかもしれません。しかし、バブルの恩恵を受けていない世代が多いため、欲しいものが多々あれどお小遣いではなかなか厳しい現状でした。そんな時に安くてカッコ良い商品を出していたAIWAは救世主的存在でした。
AIWAの歴史を見てみよう!
AIWAの始まりは、1951年、愛興電気産業株式会社として産声を上げ、1959年にブランド名として使用していたアイワという社名になりました。
その後、1960~70年代にかけて急成長、日本で初めてのカセットテープレコーダーやラジカセを製造し、安くて良い日本製品として日本の若者を始め、アジア各国でも人気が高まっていきました。
1969年にSONYと資本提携を結んだのちも、しばらくはウォークマンの廉価版と言われたカセットボーイを始め、SONY製品には手が出せないものの最新家電が欲しいと言った若者を中心としたニーズに応え続けてくれていました。
その後、SONYの完全子会社となり、徐々に親ブランドであるSONY製品との住みわけが難しくなり、007年には完全にAIWAブランドの商品販売が終了しました。
AIWAの名前の由来は?
「アイワ」という単語はアラビア語エジプト方言でYes(はい)の意味です。
中国語名では、愛華(Ai Hua)と表記します。中国語で「中国を愛する」と言う意味もあることから、中国や東南アジアなどではSONYを凌ぐ人気と知名度を誇っていました。
懐かしいAIWA製品を振り返っていきましょう!
カセットレコーダー
今のように好きな音楽をダウンロードなんて想像すらできなかった時代、テレビやラジオにカセットレコーダーを近づけて、物音一つ立てずに録音するなんてシーンが日常茶飯事だったミドルエッジ世代も多いと思います。
数あるAIWA製品のなかでも、カセットレコーダーが一番ど真ん中!と言う人も少なくないのでは?
AIWAのカセットレコーダーでは、日本初のカセットデッキ「TP-1009」を始め、コンパクトで持ち運びもできるカセットレコーダーの先駆者的存在で、若者でも手が届く、音楽をより身近なものにしてくれた存在でした。
では、まずはAIWA製のカセットレコーダーから振り返っていきましょう。
ラジカセ
続いては、テレビの中に映るちょい悪のアメリカ人若者が持っていて憧れた人も多いのではないでしょうか>ラジカセです。
街中にラジカセを持って出かけるのを夢見たものの、価格は高価で手が出せなかったものです。
ラジオとカセットと言う当時の2台エンタテインメントを持ち運びできるタイプに凝縮した、まさに夢のようなマシンですね。