「虫プロ」とは何ぞや??

手塚治虫(てづか おさむ)
Amazon.co.jp: 手塚 治虫:作品一覧、著者略歴
もともとディズニー映画に憧れていた手塚は、いつかアニメーションに挑戦したいという願望があった。そしてマンガで成功を収めた後、その資金を元手にアニメーション制作会社である虫プロダクションを設立した。手塚は当時普及しつつあったテレビを使ったアニメーション放映に目を付け、1話30分の連続アニメ放映を構想した。そしてアニメの題材にはマンガ『鉄腕アトム』を選んだ。1952年月刊誌『少年』にて連載が続いていたマンガ『鉄腕アトム』は当時人気を博していたこと、連載から10年が経ち原作としての蓄積があったこと、過去に紙人形劇と実写で2度放映され好評であったことなどがその理由とされた。
純国産TVアニメは『鉄腕アトム』から始まった!!

『鉄腕アトム(白黒版)』
『鉄腕アトム』(てつわんアトム、日本での英題はMighty Atom)は、手塚治虫のSF漫画作品及び同作を原作としたテレビアニメ、特撮テレビ番組の作品名、並びに作品内の主人公である架空のロボットの名称である。
本作は、1951年(昭和26年)4月から翌年3月に連載された『アトム大使』の登場人物であったアトムを主人公として、1952年(昭和27年)4月から1968年(昭和43年)にかけて、「少年」(光文社)に連載された。
1963年(昭和38年)1月1日から1966年(昭和41年)12月31日までフジテレビ系列にてアニメ放送された。全193話。一部を除きモノクロ作品。
日本で最初の本格的な1話30分の連続TVアニメ、日本で初めての国産テレビアニメとしてアニメ化された。この『鉄腕アトム(第1作)』は平均視聴率30%を超える人気を博し、その後、世界各地でも放映された。
ちなみに、1980年(昭和55年)10月1日から1981年(昭和56年)12月23日にかけて、全52話を日本テレビ系でカラー版の『鉄腕アトム(第2作)』が制作・放送されたので、読者の方はこちらの方がなじみがあるでしょうか?。

『鉄腕アトム (アニメ第2作)』
アニメ『鉄腕アトム』は結果として大成功だった。視聴率面では、初回は27.4%で、カラーアニメとして放映された回では最高40.3%に達した。ビジネス面では、放映開始から4年間で、当時のレートで5億円の著作権収入を虫プロダクションにもたらした。
虫プロ製作TVアニメの第2弾は『ジャングル大帝』!!

『ジャングル大帝』
アフリカのジャングルを舞台に、白ライオンのレオを中心とした一家三代とムーンライトストーンを巡って争奪戦を演じる人間たちの群像を描く大河ドラマである。
フジテレビ系列で1965年(昭和40年)10月6日 - 1966年(昭和41年)9月28日まで全52話を放送。日本国産初のカラーテレビアニメシリーズとされることが通例だが、半年前、1965年4月から、カラーによるテレビアニメ『ドルフィン王子』が放送されている。しかし、全3話に過ぎなかったため、あまり話題にならず、忘れ去られて行った。よって本格的なカラーテレビアニメのシリーズは本作という評価が一般的である。
西遊記をギャグアニメに変えた『悟空の大冒険』!!

『悟空の大冒険』
ここに登場する三蔵法師なんですが、見た目どおり痩せこけて、フニャフニャとしたキャラクターなんですが、喋り方も、現代語で言うと”ニューハーフ系”だった。
実はこれ、三蔵法師の声を担当した野沢那智のアドリブだったのだそうだ。もしかしたら、この「オカマっぽさ」もPTA不人気の原因かも??
宝塚歌劇に魅了された手塚治虫がその影響下で描き綴った『リボンの騎士』!!

『リボンの騎士』
実は、私はこの『リボンの騎士』が当時放送していたと認識はしていたが、裏番組の方を見ていて、実際に見たのは、再放送か再々放送ぐらいでではなかったかと推測している。原因はやはり私が”男”だったことと、裏番組である「シャボン玉ホリデー」が面白かったことであった。当時小学校ではこの番組を見なかったら、みんなに”村八分”にされそうなくらい人気の番組であった。