国鉄から蒸気機関車が消滅
国鉄では、列車の動力を煙の多い蒸気から、電気やディーゼル機関などに移行する「動力近代化」を1950年代から推進。1975年12月、国鉄の営業線上からすべての蒸気機関車牽引列車が消滅しました。
国鉄では、京都の梅小路機関区を整備して「梅小路蒸気機関車館」を開設。蒸気機関車の動態保存を行っていました。そして1979年8月1日、蒸気機関車の復活を求める声に応えて、山口線で観光列車「SLやまぐち号」の運行を開始しました。
牽引機に選ばれた蒸気機関車は、細身のボイラーと大きな動輪からなる美しいプロポーションで、「貴婦人」と呼ばれていたC57形の1号機。客車は急行形の12系が使用されました。沿線への迷惑を少しでも減らすため、C57形の煙突には、煙が横に広がるのを防ぐ集煙装置が取り付けられました。
翌80年にはC58形1号機も加わり、2両を連ねた重連で牽引したり、交代で牽引にあたったりしました。しかし、1984年1月をもってC58形は運転を終了してしまいました。

煙突に集煙装置を取り付けたC57形1号機と、オリジナルな姿の12系客車
SLやまぐち号 - Wikipedia
JR西日本が継承、マイテ49形も連結
1987年4月1日に国鉄は分割民営化され、「SLやまぐち号」の運行はJR西日本に継承されました。12系客車は「SLやまぐち号」用として、車体色がぶどう色(焦げ茶色)に白帯を巻いた色調に変更されました。
さらに、国鉄末期に復活した往年の展望車、マイテ49形や旧型客車が連結されたり、同じくJR西日本に継承された梅小路蒸気機関車館の動態保存車、C56形160号機と重連で牽引することもあり、話題を集めました。
1988年には、12系の内外装をレトロ調に改造した編成が登場。編成の端部はマイテ49形のようなオープンデッキの展望車となりました。当時は各地にジョイフルトレインが登場し、復活SLも増え始めていましたが、この客車の登場で「SLやまぐち号」も負けず劣らぬ魅力を持つ列車となりました。
また、JR化後はお座敷列車や欧風列車などのジョイフルトレインを牽引する機会も増え、「ゆうゆうサロン岡山」「サロンカーなにわ」「あすか」などの先頭にも立ちました。

C56形160号機とC57形1号機の重連で牽引する「SLやまぐち号」
SLやまぐち号 - Wikipedia

1988年に登場した、レトロ調に改造された12系を牽引する「SLやまぐち号」。
SLやまぐち号 - Wikipedia

レトロ調客車の最後部は、マイテ49形のようなオープンデッキの展望車となった。
SLやまぐち号 - Wikipedia

岡山地区の欧風客車、「ゆうゆうサロン岡山」を使用した「SLやまぐちゆうゆう号」。
SLやまぐち号 - Wikipedia
新しい旧型客車が登場、D51形も復帰間近
2014年10月、JR西日本は梅小路蒸気機関車館(現・京都鉄道博物館)で保存しているD51形200号機の本線復帰を発表しました。山口線は勾配が厳しく、蒸気機関車の現役時代は、D51形が牽引していた路線でした。実はC57形にとって、性能的には不向きの路線だったのです。
D51形200号機は、もともと動態保存されている機関車でしたが、構内で「SLスチーム号」を牽引するくらいなら問題ありませんが、本線復帰に耐えられるほどではないので、ボイラーや足回りが徹底的に修繕されました。すでに2017年5月から本線試運転を実施しており、11月25日から営業運転に入る予定です。
さらに、2017年9月から開催される「幕末維新やまぐちデスティネーションキャンペーン」に合わせて、客車の新造も2015年3月に発表されました。12系客車も登場からすでに40年以上経っており、末永い運転のため、旧型客車をモチーフにした35系を投入することになり、9月2日から営業運転に入っています。
「SLやまぐち号」は子どもの頃から知っていても、遠すぎて連れて行ってもらえなかった読者が多いのではないでしょうか? 新しくなったのを機に、「SLやまぐち号」に乗りに、撮りに出かけてみてはいかがでしょうか?

11月から「SLやまぐち号」に使用される予定のD51形200号機。
持続的なSL動態保存の体制の整備について:JR西日本

新しい35系客車の展望車、オロテ35形。
JR西日本35系客車 - Wikipedia