羽鳥慎一(元日本テレビアナウンサー)⇒横浜平沼高校(神奈川)
元日本テレビアナウンサーで、現フリーの羽鳥慎一は、横浜平沼高校・野球部時代、エースピッチャーだったといいます。夏の神奈川大会4回戦まで進出した経歴を持ち、後に横浜ベイスターズで2年連続首位打者になる鈴木尚典を、二打席連続三振に切って取ったこともあるのだとか。

羽鳥 慎一
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羽鳥慎一(高校球児時代)
羽鳥慎一インタビュー|ヒューマン|WEB GOETHE
林正浩(元TBSアナウンサー)⇒桜美林高校(西東京)
4回の甲子園出場経験を誇る桜美林高校。林は野手として活躍し、夏の甲子園には出場を果たせなかったものの、1973年に行われた春の大会には、「5番・一塁手」のレギュラーメンバーとして、甲子園の土を踏んでいます。
立教大学進学後も野球部に所属したものの、肩の故障から選手生活に別れを告げ、代わりに放送研究会へ所属して、アナウンサーを志すようになったのだとか。

林正浩(現在)
アナウンサーもオリンピアンなんです/林正浩 - 300人リレーコラム - 五輪コラム : 日刊スポーツ
伊藤慶太(NHKアナウンサー)⇒県立秋田高校(秋田)
秋田県立秋田高校は、全国高校野球選手権大会の前身となる、全国中等学校優勝野球大会の栄えある第一回大会で準優勝、第47回の夏の甲子園ではベスト4進出も果たしている高校野球の古豪。NHKアナウンサーの伊藤慶太は、夏の甲子園こそ出場できませんでしたが、1989年春の選抜大会には甲子園の地に足を踏み入れています。

伊藤慶太(現在)
伊藤慶太 - アナウンサーを探す - NHK アナウンスルーム
大越健介(NHK元キャスター)⇒県立新潟高校(新潟)
NHK夜の報道番組『ニュースウォッチ9』でキャスターをつとめていた大越健介。彼は、県立新潟高校で、2年次には捕手だったところから、3年次には、その強肩を買われて投手へ転向。しかし、春の県大会では準優勝、の県大会はベスト8と、結局、悲願だった甲子園出場は叶いませんでした。

大越健介
野球発祥の地 学士会館 大越健介氏講演会
東京大学文学部国文学科進学後も、野球部に所属。投手として、通算50試合登板し、8勝27敗、防御率3.52、142奪三振という、六大学の中で弱小で知られる同大学において、抜群の成績を収めます。

大越健介(大学時代)
◆大越健介 NHKの「ニュースウォッチ…:東大出身ですが、なにか? 写真特集:時事ドットコム
その活躍が認められ、1983年には、明治大学の広澤克己、日本大学の和田豊らと共に、大学日本代表メンバーへ選出。後に大リーグで通算583本塁打を記録するマーク・マグワイアとも対戦したといいます。

マーク・マグワイア(セントルイス・カージナルス時代)
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なお、大越の長男・遼介も日大三高のエースとして活躍した球児であり、父が果たせなかった甲子園出場も成し遂げています(記録はベスト8)。

大越遼介
硬式野球部 明スポ記者のイチオシ選手 (3)大越遼介…明大スポーツWEB 明大スポーツ-明治大学のスポーツ新聞
田中大貴(フジテレビアナウンサー)⇒県立小野高校(兵庫)
フジテレビの情報番組『とくダネ!』のリポーターとしてお馴染みだった田中大貴アナ。彼の出身校は、兵庫県立小野高校。地域のトップの進学校として知られる同校ですが、野球においては、決して名門の部類に入るわけではありません。
田中アナはこの学校で、2年次から4番の定位置を確保し、3年次からは主将に抜擢。高校最後の年に臨んだ、春の兵庫県大会でベスト16、夏の東兵庫大会でベスト8、強豪ぞろいの兵庫県ブロックで結果を残します。この実績が買われて、兵庫県高校野球優秀選手に選出されたりもしました。
高校卒業後は、AO入試で慶應義塾大学へ進学。同校の野球部に所属します。ここでも、4年生に春のリーグ戦でホームラン王になるなど大活躍。ちなみに、大学の先輩で憧れの存在でもある高橋由伸とは、今でも親交があるのだとか。

田中大貴(現在)
田中 大貴 | フジテレビアナウンサー公式サイト アナマガ - フジテレビ
富川悠太(テレビ朝日アナウンサー)⇒都立国立高校(西東京)
『報道ステーション』のメインキャスターが、すっかり板についてきた富川悠太アナ。彼の母校は、1980年に、早稲田実業、国士舘、日大三高など、強豪ひしめく西東京ブロックを勝ち抜き、夏の甲子園大会出場を果たしている都立国立高校です。
そんな同校野球部において、富川アナは3年次に副主将であり、かつ、ショートのレギュラーポジションに付いていたといいます。

富川悠太
テレビ朝日 アナウンサーズ 富川悠太

富川悠太(高校球児時代)
上重聡(日本テレビアナウンサー)⇒PL学園
小中学時代は共に全国大会優勝、高校の時は、AAアジア野球選手権大会日本代表に選出されここでも優勝を経験、立教大学時代は、東京六大学野球で36年ぶり史上2人目となる完全試合を達成…。
日本テレビアナウンサー・上重聡が辿ったアマチュア野球人としての経歴は、あまりにも華々しすぎます。その中でも特に語り草なのは、名門・PL学園時代。3年次に臨んだ1998年、夏の甲子園・準々決勝における横浜高校戦でしょう。
延長17回までもつれたこの試合で、上重は7回から登板。17回を投げ切った松坂大輔と熾烈な投手戦を繰り広げ、あと一歩のところ及ばず、敗戦投手となってしまいます。しかしながら、高校野球史に残る熱戦を繰り広げた上重は、紛れもなく松坂と並ぶ、1998年・夏のヒーローでした。

上重聡
地上波復帰は無理!?日テレ・上重聡アナに噂されるトンデモ左遷先とは? | アサ芸プラス

上重聡(高校球児時代)
1998年夏1回戦 PL学園vs八千代松陰 14/19 - YouTube
(こじへい)