やがてジョージ・フォアマンの突進力は弱まっていくとモハメド・アリは、ロープ際を離れ、攻め始めた。
8R、モハメド・アリのコンビネーションパンチで、ジョージ・フォアマンは大きくよろけた。
モハメド・アリが、とどめのパンチを放つとジョージ・フォアマンの巨体が、ゆっくり倒れていった。
このジョージ・フォアマンが41戦目にして初めて敗れ、モハメド・アリが2度目の世界ヘビー級チャンピオンとなった逆転KO劇は「キンシャサの奇跡」と呼ばれる。
転落、登攀
世界一強かった男にとって敗北とは、タイトルだけではなく自分自身を失うものだった。
試合のことが頭から離れなかった。
あのときバックステップで後ろに下がればよかった・・・
あのときガードを上げていれば・・・
もしかしたら10カウントの前に立てたかもしれない・・・
後悔ばかりが無限に浮かんだ。
世界中が自分を敗者だと嘲り笑っているように思えた。
たくさんの車や豪邸やお金も何の助けにもならなかった。
3ヵ月間、どこにも行けず、誰にも頼れず、しかしやがてジョージ・フォアマンは世界ヘビー級のタイトルを取り戻すことを決意しトレーニングを開始した。
そしてキンシャサの敗戦後4連勝し、1976年1月24日、強打者:ロン・ライル (Ron Lyle) との死闘に挑んだ。
フォアマンは、3Rにダウンを奪われ、完全に捨て身となり、ダウンを奪い返したものの、このラウンド終了間際に2度目のダウン。
フラフラになりながらも最後の最後まで切れることがなかったフォアマン選手の執念が5Rにライルをねじ伏せKO勝ち。
ジョージ・フォアマンはジョー・フレージャーと再戦。
フォアマンは低い前傾姿勢のフレージャーに右アッパーを突き上げた。
5R、フォアマンのパンチでフレージャーがマウスピースを口から飛ばし崩れ落ちた。
エイトカウントで立ち上がった数秒後、フォアマンのパンチを浴び再びダウン。
額から血を流しながら、立ち上がろうとするフレージャーをレフリーが止めた。
5RTKOで勝ったフォアマンは、フレージャーを見下ろし野次を飛ばしてくる客を睨みつけた。
これがジョー・フレージャーのラストファイトとなった。
32勝4敗27KO。
4つの負けはモハメド・アリとジョージ・フォアマンに2回ずつ負けたものだった。
神に出会う
この後、ジョージ・フォアマンはディノ・デニスとペドロ・アゴスタに連勝。
そして1977年3月17日、ジミー・ヤング と対戦。
しかしヤングを攻め切ることができず12R(最終ラウンド)、焦って放った右アッパーをヤングにカウンターをとられダウン。
すぐに立ち上がり、ラッシュしたが、判定負け。
ジョージ・フォアマンは、ヤング戦の試合後、ロッカールームで聖書的体験をする。
頭の中で神の声がして、どこか遠くに運ばれていくのを感じた。
そこは宇宙の底の底、無以外何もない場所だった。
フォアマンは自分が死んでいくのだと思い、自分を支えてくれた人たちに感謝の気持ちを伝えていなかったことを後悔した。
そして本当に死を覚悟したとき、巨大な手が自分を抱え上げ無の世界から運び出した。
瞬間、自分が控室のベッドで寝ていることに気づいた。
トレーナー、ドクター、ボディガード、マッサージ師、兄弟、みんなが自分を囲んでみていた。
フォアマンは自分を恐ろしい場所から救い出してくれた偉大な手を思い出していった。
「おい、イエス・キリストが俺の中に乗り移ったんだ」
「だがジョージ、あんたはそんなにクリーンじゃないぞ」
「クリーンにしなきゃな」
そういうとみんなを押しのけシャワールームに向かった。
シャワーを終えると裸のままスタッフ1人1人に感謝の言葉をかけキスをした。
もし勝てばモハメド・アリと再戦しタイトルを取り戻せるかもしれないという大事な試合だったが、ジョージ・フォアマンは敗れ神と愛に出会った。
28歳だった。
牧師
神に出会ったジョージ・フォアマンは、自分の家族を抱きしめ心の底からいった。
「愛しているよ」
みんなどうして急にこんなに優しくなったのか不思議がった。
教会に依頼されて、ジミー・ヤング戦での体験を話したことをきっかけになり、ジョージ・フォアマンは熱心な牧師となり、やがて自分の教会を持った。
急激に変わったフォアマンを気味悪がって避ける人もいたが、その人気はすさまじく講演やキリスト教の普及活動を全米および海外で行った。
ジョージ・フォアマン青少年センター(George Foreman Youth and Community Center )
1983年、ジョージ・フォアマンは、自分の教会の1ブロック離れた場所にあった倉庫を買いとり改装し、「ジョージ・フォアマン青少年センター(George Foreman Youth and Community Center )」を立ち上げた。
バスケットコートやボクシングリングがつくられ、トレーニング器具やスポーツ用具を運び入れた。
会費は年1ドル。
ルールは、スポーツマンシップとフェアプレー、そして自由だった。
多くの少年少女とその保護者が集い、スポーツだけでなく勉強や芸術を楽しんだ。
家庭に問題を抱えた子供、あるいは少年院を出たばかりの子供は、あいさつ、言葉遣い、読み書ききや算数、マナーなども教わった。
オドオドと気弱な初年が、真剣にスポーツの練習をするうちに自信を持ち、自尊心を持ち自重するようになることもあった。
挑戦
ジョージ・フォアマン青少年センター(George Foreman Youth and Community Center )は、講演料や寄付によって運営されていたが、やがてそれだけでは困難になってきた。
なんとか資金を集める方法はないかと考えたとき、ジョージ・フォアマンは思った。
「もう1度、世界ヘビー級チャンピオンになるんだ」
ジョージ・フォアマンは、もう1度、世界ヘビー級チャンピオンになるために10年ぶりに現役復帰すると発表した。
37歳。
145㎏。
25歳でジョー・フレージャーを倒し世界チャンピオンになったときより約45㎏増えていた。
この復帰には、家族を含めた世界中の人々が否定的で、不可能で、危険だといった。
信じているのはジョージ・フォアマンだけだった。
オリンピック以降、ボクシング用品はすべてスポーツメーカーから無償で提供されていたが、今回は自らスポーツショップに行き必要なものを選んで買った。
朝、車でジョージ・フォアマン青少年センター(George Foreman Youth and Community Center )から数㎞離れた場所まで送ってもらい、そこから走って帰る。
かつて世界チャンピオンになったときでさえ3㎞以上走ったことはなかったのに、5㎞、8㎞、10㎞と少しずつ距離を伸ばしていった。
そしてサンドバッグを打ち、ステップワークの練習、縄跳び、ミット打ち、スパーリング。
夜もルームランナーで走った。
その練習量はかつての全盛期を超えた。
プロボクサーは、試合を行う州で認可を受け、精神的・肉体的に不適格なボクサーはリングに上がれない。
ジョージ・フォアマンは、カリフォルニア州でカムバック試合を行うため、カリフォルニア州の体育委員会で審査を受けた。
メディカルチェックはクリアしていたが年齢を問題視する委員もいた。
しかし
「なぜまたボクシングがしたいのか?」
という質問に対して
「生きるため、自由のため、幸せになるためです」
というジョージ・フォアマンの答えを聞くと許可せざる得なかった。
最初はまともに相手にしないか、否定的だったマスコミも徐々に好意的な記事を書き始めた。
そして復帰戦のリングに向かうジョージ・フォアマンに、観客はスタンディングオベイション。
ジョージ・フォアマンは、これまで受けたことのない声援を受けた。
そしてスティーブ・ゾウスキーを4RTKOした。
その後も勝ち続け、復帰後24連勝23KO。
象をも倒すといわれた健在だった。
試合会場は満員となり視聴率も高かった。
記者にボクシングにおける脳の損傷について聞かれると
「俺はもうやられているんだ
だって4回も結婚したんだから・・・」
お金について聞かれたときは
「足の速い女と遅い馬のせいでなくなった」
以前のフォアマンなら絶対にいえないコメントだった。
そして彼はいった。
「俺を年寄り扱いするな。
夢を見ることができる者はなんでもできるということを教えてやる
俺は世界ヘビー級のチャンピオンになる夢をみたんだ。
誰も俺を止めることはできない。
俺は生きているし自由だ。
そして幸せになりたい。」
こうしてジョージ・フォアマンはファンに愛された。
The Battle of Ages(世代の対決)
1990年、WBA・WBC・IBF統一世界ヘビー級チャンピオン:マイク・タイソンが、東京でジェームズ・バスター・ダグラスに敗れた。
これで期待されたジョージ・フォアマンのマイク・タイソンへの挑戦はなくなった。
同年、ジェームズ・バスター・ダグラスはイベンダー・ホリフィールドに3RKO負けした。
1991年4月19日、新しくWBA・WBC・IBF統一世界ヘビー級チャンピオンとなった28歳のホリフィールドは初防衛戦の相手に41歳のジョージ・フォアマンを選んだ。
この試合は'The Battle of Ages(世代の対決)'といわれた。
ホリフィールドはパンチは危険なパンチを持つフォアマンと真っ向勝負し優勢に試合を進めて行き、3Rには左右の連打でフォアマンをグラつかせた。
5R、フォアマンは重いパンチでホリフィールドに冷や汗をかかせた。
7R、ホリフィールドが左右のフックを何発ももらいフォアマンは防戦一方になった。
9R、ホリフィールドの右がカウンターでヒットしフォアマンの体が大きく崩れた。
最終12R、ホリフィールドが少し距離をとってフォアマンの攻撃をフットワークとクリンチでかわした。
判定は116-111,115-112,117-110と3者ともホリフィールドを支持した。
ジョージ・フォアマンはいった。
「俺は逃げなかった。
堂々と戦った。
恥じる必要はない。」
心配された体力も闘志も最後まで全く衰えず激闘を戦い抜いた姿に全世界が感動し、その健闘を称える声は見事に防衛を果たしたホリフィールドを上回った。
45歳で2度目の世界ヘビー級チャンピオン
その後、ジョージ・フォアマンはジミー・エリスを3RKO。
アレックス・スチュワートに判定勝ち。
ピエール・クエッツァーを8RKO。
そして1993年6月7日、WBOヘビー級チャンピオンのタイトルをめぐってトミー・モリソンと対戦。
トミー・モリソンは、映画「ロッキー5/最後のドラマ」でロッキーの弟子トミー・マシン・ガンを演じている。
この試合で24歳の若者に判定負けした44歳は、その後1年以上試合をせず引退も囁かれた。