ジョージ・フォアマン 「老いは恥ではない」45歳で2度目の世界ヘビー級チャンピオンとなった象をも倒すパンチを持つ男

ジョージ・フォアマン 「老いは恥ではない」45歳で2度目の世界ヘビー級チャンピオンとなった象をも倒すパンチを持つ男

1968年、メキシコシティオリンピックで金メダル獲得。 1973年、無敵のジョー・フレージャーを倒し世界ヘビー級チャンピオンになる。 1974年、モハメド・アリにノックアウトされ、やがてリングから消えた。 1994年、マイケル・モーラーを逆転KOで倒して再び世界チャンピオンなる。 アーチ・ムーアやロベルト・デュランなど40歳を超えても戦い続けたチャンピオンはいた。 しかしジョージ・フォアマンは10年間のブランクを経てカムバックし、しかも世界チャンピオンになった。 彼はその間、牧師をしていて、復帰の理由も慈善活動の費用を稼ぐためだった。 少年時代、小学校を留年し中学校を卒業できず犯罪にさえ手を染めた彼が・・・ 圧倒的な強さ、栄光、勝利、すべてを失うような敗北、そして奇跡のカムバック。 まさにアメリカンドリーム。


中学中退

ジョージ・フォアマンが育ったアメリカのテキサス州ヒューストンの5番区は、かつて「血の5番区」と呼ばれ、貧困と絶望が街を支配し、毎週、誰かがストリートファイトやリンチによってケガをしたり命を落としていた。
フォアマン家には、父と母、そして7人の子供がいた。
ジョージ・フォアマンには4人の兄姉と2人の弟がいたが自分だけ父親が違った。
彼は母親と浮気相手の間に生まれた子供だった。
父親(実父ではなく育ての親)のJ.D.フォアマンは、ジョージを自分の子供のように、むしろ他の子供よりも特別に可愛がった。
母親と喧嘩するときも決してジョージのことを武器にしなかった。
しかし何もなかったフリをすることはできなかった。
鉄道会社で働いていたが給料を家に入れず、すべて酒と道楽に使った。
母親は、コックの仕事を2つ掛け持ちし週7日働いたが、家は貧しかった。
ジョージ・フォアマンはプライドが高く、常に心に怒りを充満させ、なにかあれば誰彼なしにすぐに暴力をふるった。
学校へ朝いくフリをして、親が仕事に出た後、窓から家に入ってベッドで寝た。
そして授業が終わる頃に学校にいき、友達と帰ってくるフリをした。
単位が取れず留年し、年下の同級生と小学校を卒業した。
中学ではアメリカンフットボールと出会った。
高い理想と目標を持った指導者の下で、厳しい練習に耐えレギュラーとなった。
しかしある日、タバコをくわえているところを喫煙を嫌っていた指導者にみつかってしまう。
信頼を裏切ってしまったという自己嫌悪に陥った彼は、その後、練習にも学校にも行かなくなってしまう。
こうして中学校を卒業できないまま義務教育を終えた。

犯罪者

イライラと欲求不満にとりつかれていたフォアマンは、ある夜、仲間と建物の窓に石を投げつけ誰が1番多くガラスを割るか競争をした。
これが最初の犯罪だった。
悪事はすぐにエスカレートし、ある夜、仲間2人と公園を1人歩く男を襲い、財布を奪って逃げた。
2人が男を押さえつけ、1人が財布を盗み、後で山分けにした。
これは13歳から15歳まで2年間続いた。
この頃のフォアマンは、他人のお金を奪うことはそんなに悪いことだとは思わなかった。
186㎝84㎏の巨体でタックルし押さえつけ財布を奪った。
またケンカも絶対に負けなかった。
「いまなんていった?」
「別に」
「いいや、聞こえたぞ」
ガツーン!
「貴様何みてる」
ガツーン!
何かと言いがかりをつけては殴り倒した。
自分の行く手を阻むものは誰一人許さなかった。
5番区の乱暴者の中でもその腕力は抜きん出ていた。
みんなの怯えた目をみてフォアマンはふんぞりかえった。
中学を中退した後、いくつか仕事に就いたが、飲酒が原因による無断欠勤などで長続きしなかった。
未来に何の光もみえなかった。

職業部隊(Job Corps)

1963年11月22日、テキサス州のダラスでケネディが暗殺され、副大統領だったリンドン・ジョンソンは第36代アメリカ合衆国大統領となった。
ジョンソンは南部出身(ケネディが撃たれたテキサス州出身のため、暗殺の黒幕説もある)だったが、南部の黒人に対する人種隔離に対し憤りを感じ、ケネディの志を継ぎ「公民権法」を成立させようとした。
また貧困問題や失業問題のために10億ドルを拠出。
キャッチフレーズは「Great Society(偉大な社会)」だった。
1964年7月2日、「公民権法」成立。
1964年8月、南ベトナムを軍事援助していたアメリカの駆逐艦が攻撃を受ける。
(トンキン湾事件)」が起こる。
ジョンソン大統領は南ベトナムを全面支援することを表明。
アメリカはベトナムへの軍事攻撃を強めていった。
1965年、1億300万ドル。
1966年、60億ドル。
1967年、200億ドル。
ベトナムの戦費はアメリカを圧迫し、アメリカ国内、そして世界中で反戦運動が活発化。
支持率が落ち込んだジョンソン大統領は次回の大統領選に出馬しない意向を示し、ベトナムは和平への道へと進んでいく。

ジョージ・フォアマンは、ジョンソン大統領の「Great Society(偉大な社会)」計画の一環である「職業部隊(Job Corps)」に入った。
これはトレーニングセンターに入り、一般教育と職業訓練を受け、1日に3度の食事、月30ドルの小遣い、月々50ドルが積み立てられ、2年のコース終了時に全額渡されるというもの。
16歳のフォアマンは、初めてヒューストンを出て、オレゴン州の郊外にあるフォート・ヴァニー・トレーニングセンターに入った。
センターは、隊員に品位ある態度と自己修練を求めたが、フォアマンは、気に入らない者がいればすぐさま殴り、自分をなめるとどうなるか教えた。

やがてフォアマンはボクシング指導者:ドク・ブローダスに出会った。
初日、ドクはいきなりフォアマンをリングに上げ、スパーリングをさせた。
相手は、モヤシのように痩せた男でフォアマンは1発で倒せると思った。
しかしフットワークを踏むモヤシ男にパンチは1発も当たらず、空振りして転ぶこともあった。
一気に間合いを詰めようと突っ込んでいくと、ジャブを鼻にもらって倒された。
フォアマンは恥ずかしくてもうボクシングジムには行かなかった。
しかしその後、センター内で警察沙汰になるような大きな暴力事件を起こした。
ついに除隊かと覚悟していたとき、ドクがかばってくれたおかげで、センターは「最後のチャンス」として除隊は見送った。
「なんでもやります。
絶対サボりません。」
そういってフォアマンはドクにボクシングを教えてほしいと頼み込んだ。
そしてヘトヘトになるまで練習した。
数週間後に行われた試合で海軍に所属する相手を、1RでKOした。
勝ったとき、大声でわめきリングを跳びはねた。
これまでこんなに誇らしく嬉しかったことは1度もなかった。
この勝利を境にジョージ・フォアマンは変わった。
急に目の前が明るくなった。
その後も試合で勝ち続けた。
ゴングと同時にラッシュし力いっぱい殴りつけ、あらゆる角度からパンチを浴びせてダメージを与えるか、KOパンチをヒットさせ、勝負は1Rでついた。

フォアマンは、職業部隊を卒業するとジューストンの実家へ帰った。
プロボクサーになる気がなかった。
多くの友人はベトナムへ送られていたが、フォアマンはドクの口利きで徴兵を免れた。
職業部隊で身につけた技術を活かせそうな会社に書類を送り採用通知を待った。
そして友人の家で、センターにはなく2年間飲まなかった酒を飲んだ。
そして女の子を口説き始めた。
するとその女の子のボーイフレンドと兄がきた。
「俺の彼女だぞ」
フォアマンは兄弟まとめて殴った。
そして告訴された。
「ジョージ、道は1つしかないわ」
母親は示談金を支払い、ドク・ブルーダスに電話した。
「うちの息子を何とかしてください
ここから連れ出してください」
こうしてフォアマンは、職業部隊のトレーニングセンターに住み込みで働き、ジムではドクにビシビシしごかれた。
19歳のジョージ・フォアマンの目標は、1968年に開催sれるメキシコオリンピックの金メダル。
高い目標を持ち、小学生から続けてきたタバコと酒を断つことに成功した。

オリンピックでアメリカ国旗を振る

フォアマンは、国内予選を勝ち抜き、ボクシング競技のヘビー級のアメリカ代表となった。
1年前、モハメド・アリがベトナム戦争への徴兵を拒否しタイトルを剥奪された。
何人かのアメリカ代表も、オリンピックで反戦の意志を示した。
バスケットボールアメリカ代表のカリーム・アブドゥル=ジャバーも代表入りをボイコットした。
トミー・スミスは200mを19秒83の世界記録で走り優勝。
同じくアメリカ代表のジョン・カーロスは3位に入った。
トミー・スミス、ピーター・ノーマン(オーストラリア)、ジョン・カーロスはメダル授与のため表彰台に向かった。
2人のアメリカ人選手は黒人の貧困を象徴するため、シューズを履かず黒いソックスを履いてメダルを受け取った。
スミスは黒人のプライドを象徴する黒いスカーフを首に纏い、カーロスはクー・クラックス・クランなどの白人至上主義団体によるリンチを受けた人々を祈念するためロザリオを身につけていた。
オーストラリア代表のノーマンも2人に同調し、3人共、OPHR(Olympic Project for Human Rights、人権を求めるオリンピックプロジェクト)のバッチを着用した。
後にスミスは
「もし私が勝利しただけなら私はアメリカ黒人ではなくひとりのアメリカ人であるのです。
しかしもし仮に私が何か悪いことをすればたちまち皆は私をニグロであるといい放つでしょう。
私たちは黒人であり黒人であることに誇りを持っている。
アメリカ黒人は(将来)私たちが今夜したことが何だったのかを理解することになるでしょう。」
と語った。
IOC(国際オリンピック委員会)会長:アベリー・ブランデージは、トミー・スミスとジョン・カーロスをアメリカ・ナショナルチームから除名。
オリンピック村から追放を命じた。
アメリカオリンピック委員会はこれを1度は拒否したものの、命令を受け入れ、スミスとカーロスは出場停止となり、オリンピックから追放された。
彼らは帰国後、非難・中傷され、家族にも脅迫文が何通も届き、長い間スポーツ界から追放された。
しかしスミスは陸上競技を続けると共に黒人の権利獲得への運動を続けた。
アメリカンフットボールチームに入団した後、大学の体育学助教授に着任。
1995年のバルセロナ世界室内陸上選手権ではアメリカナショナルチーム補助コーチに就任した。
カーロスも陸上競技を続け、オリンピック翌年に男子100mの世界記録に並ぶ記録を打ち立てた。
1970年にはアメリカンフットボールチームに入団したが、膝の怪我で1年で退団。
1977年には妻が自殺。
不遇の時を過ごした。
1985年からはパームスプリングスの学校で陸上のコーチに就任し、現在に至る。

ジョージ・フォアマンは、メキシコシティオリンピック、ボクシングヘビー級で勝ち進み、決勝戦の相手は、ソ連代表のイチオス・チェピュリス。
1969年、冷戦の真っただ中での米ソ対決となった。
フォアマンは、ガウンのポケットにアシスタントコーチがくれた小さなアメリカ国旗を押し込みリングに上がった。
そして試合に勝利したあと、四方に向け礼をするとき、その国旗を取り出して振った。

翌日、リチャード・ニクソンは大統領選挙のスピーチでいった。
「オリンピックのあの青年は我々に誇りを与えてくれた
彼は恐れることなく愛国心を表明してくれた」
さらに数週間後、ジョージ・フォアマンは、リンドン・ジョンソン前大統領と会見させてもらった。
通常なら何か贈られるべきところ、逆に盾を元大統領に贈った。
「リンドン・ジョンソン大統領へ
1968年、オリンピックヘビー級金メダリスト、ジョージ・フォアマンより
私のようなアメリカの若者に希望と威厳と自尊心を与えてくれた職業部隊の設立に感謝の気持ちを込めて」

しかし故郷では惨めな思いも経験した。
フォアマンは通った小学校で表彰式を受けた。
そして5番区を金メダルをぶら下げて歩いた。
しかし訪問先にはトミー・スミスとジョン・カーロスを称賛している人もいた。
彼らにとってフォアマンは裏切り者だった。
ある友人はいった。
「おい、兄弟たちがひどい目にあっているのに、よく自分だけ国旗が振れたな」
その後、ジョージ・フォアマンは、職業部隊の仕事に戻ったが、数ヵ月、リンドン・ジョンソンからリチャード・ニクソンに政権が移り、職業部隊のセンターは閉鎖された。

A MAN 哀しいくらい誇り高いソニー・リストン

ジョージ・フォアマンは、ボクシングトレーナーであり、マネージャーであり、プロモーターでもあるディック・サドラーと契約した。
日本はジム制で、プロボクサーは所属ジムと契約し、ジムが試合交渉やマネジメントを行う。
アメリカは選手は、トレーナーやマネージャー、プロモーターと個人的に契約を結ぶ。
ジムはあくまで使用料を払って練習をする場所である。
ディック・サドラーの傘下には、ソニー・リストンがいた。
ジョージ・フォアマンとソニーリストンは一緒にトレーニングした。
ソニー・リストンは生まれた年さえ正確にはわからない。
服も 靴も 食べるものもなく教育を受けることもなく父親に虐待されながら育った。
その背中には鞭を打たれた傷跡が残っていた。
暴力に耐えかね逃げ出した母を追うように家を出た。
武装強盗や警官襲撃など幼い頃から犯罪に手を染め19回逮捕された。
その間に刑務所でボクシングを覚えた。
身長184cmで213cmという長いリーチと周囲38cmという大きな拳、そして放たれる殺気にたくさんのボクサーが飲まれ倒されていった。
1962年9月25日、前チャンピオン:フロイド・パターソンを1RKOし世界ヘビー級王者となる。
1963年、再びフロイド・パターソンにKO勝ち。
1964年、カシアス・クレイ(モハメド・アリ)の挑戦を受け、6回終了時棄権しTKO負け。
1965年、カシアス・クレイ(モハメド・アリ)にリターンマッチを挑むが、初回2分12秒でKO負けした。
リストンは「最強」の男として称えられるより「最凶」と恐れ憎まれた。
「みんな俺に勝ってほしくねぇみたいだったんだ」
無口なリストンが フォアマンに告白した。
フォアマンはリストンに同情した。
リストンは 決して 冷酷でも残酷でもなく、深く傷ついた 誇り高い男だった。
フォアマンは もし自分も運命がもっと辛かったら自分もこうなっていたかもしれないと思った。
フォアマンは貧しいながらも愛情を受けてれ大人になった。

1971年1月5日、最後の試合に負けた半年後、帰省していた妻がラスベガスの自宅のベットの下でリストンが死んでいるのを発見した。
キッチンでヘロインが見つかり、リストンの腕に注射痕があった。
死因は、ヘロインの過剰摂取、心臓麻痺、マフィアに殺害されたなど諸説ある。
いつ生まれたかもわからない男は どうやって死んだかもわからなかった。
哀しいくらい誇り高いソニー・リストンの墓碑には「A MAN」とだけ刻まれている。

キングストンの惨劇

ジョージ・フォアマンは、1969年にプロデビュー後、13連勝11KO。
1970年も12連勝11KO。
1971年には NABF(北米)ヘビー級チャンピオンになる。
1972年は5試合して、すべて2Rで終わらせた。
ここまで37勝0敗34KOのジョージ・フォアマンは、1973年1月22日、WBA・WBC世界統一ヘビー級チャンピオン:ジョー・フレージャーに挑戦した。
ジョー・フレージャーは29戦0敗25KO。
鉄壁のディフェンスの低い姿勢から伸び上がりものすごいパンチを打つ。
何より肉体的にも精神的にもタフだった。
ジョージ・フォアマンは、ジョー・フレージャーを1Rに3度、2Rにも3度のダウンさせ、TKO勝ち。
その叩き潰すような試合内容から「キングストンの惨劇」といわれた。

1973年9月、最初の防衛戦の相手はジョー・ローマンだった。
試合は東京で行われた。
ジョージ・フォアマンはラフなパンチでローマンを追い詰め、何度も殴り倒した。
倒れているノーマンにパンチを見舞うこともあった。
そしてついに立てなくなったローマンを見下ろし睨みつけ1RKO勝ちした。
日本の観客は、その圧倒的な強さに畏敬の念を抱くとともに、挑戦者にに対してまったく敬意のないチャンピオンに嫌悪感を持った。
ジョージ・フォアマンは自分の強さに酔いしれ、他人に対しては横柄で不愛想で怒りっぽい男になった。
すでに1度目の結婚をしていたが、他の女性ともためらわず一線を越えた。

ジョージ・フォアマンは、5番区のガキの頃から、自分が最強であることに誇りを持ちこだわっていた。
自分の強さに疑いを持つ人間がいたら力でわからせた。
1974年3月26日、2度目の防衛戦の挑戦者はケン・ノートンだった。
モハメド・アリの顎を砕いて完全勝利したこともあるボクサーだったが、2RTKOに下した。
ジョージ・フォアマンはリング上から、実況解説席にいたモハメド・アリに向かっていった。
「次はお前を殺るぞ」

キンシャサの奇跡

1974年10月30日、アフリカのザイール(現:コンゴ)の首都:キンシャサ市外のジャングルを切り開き建てられたスタジアムで、ジョージ・フォアマンは、元世界ヘビー級チャンピオン:モハメド・アリと3度目の防衛戦を行った。
ジョージ・フォアマンは25歳。
メキシコオリンピックボクシングヘビー級で金メダルを獲得。
プロ転向後は、ジョー・フレージャーやケン・ノートンをKOし、統一世界ヘビー級王座を獲得・防衛。
そのパンチは、「象をも倒す」といわれる。
対するモハメド・アリは32歳。
全盛期は過ぎたと思われる。
彼はベトナム戦争に反対し徴兵を拒否したことで、世界チャンピオンのタイトルを戦わずして剥奪された。
ベトナム戦争が長期化してくるとアメリカを含む世界中でベトナム戦争に反対する人が多くなり、モハメド・アリは悲劇のヒーロー、信念の人と称賛されるようになった。
そして彼は不当に奪われた世界チャンピオンのタイトルを取り戻すべくジョージ・フォアマンに挑む。
ジョージ・フォアマンは、1Rから圧倒的に攻め続け、モハメド・アリを追い込んで強いパンチを打ち込んだ。

モハメド・アリは、ロープによりかかったり、ロープの弾力を利用してジョージ・フォアマンの強打に対応する「ロープ・ア・ドープ(ロープ際のまぬけ)」作戦に出た。
ロープ・ア・ドープ(ロープ際のまぬけ)とは、ロープ際で防御している自分を攻め続けるまぬけ(ドープ)な相手という意味。
アリはロープを背負って、頭をリングの外に大きく出してボディーを両手でカバーした。

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