映画『サウンド・オブ・ミュージック』に関するミニ情報、いろいろ

映画『サウンド・オブ・ミュージック』に関するミニ情報、いろいろ

映画『サウンド・オブ・ミュージック』は、1965年に初めて公開され、今まで何度もテレビで再放送されたかわからない程、超~有名なミュージカル映画ですよね。多分知らない方はおられないと言っても過言ではないでしょう。ここでは、映画自体のことも含めて、知っていれば、また見た時に10倍楽しくなる『サウンド・オブ・ミュージック』に関するミニ情報をお教えします。


映画『サウンド・オブ・ミュージック』の基礎知識!!

リチャード・ロジャース作曲&オスカー・ハマースタイン2世作詞によるブロードウェイミュージカルを、「ウエスト・サイド物語」のロバート・ワイズ監督により映画化された。出演は、ジュリー・アンドリュース(マリア)、クリストファー・プラマー(ゲオルク)、エリノア・パーカー(エルザ)、ペギー・ウッド(修道院長)、シャーミアン・カー(リーズル)ほか。
この映画は第38回アカデミー賞で作品賞、監督賞(ロバート・ワイズ)、編集賞(ウィリアム・H・レイノルズ)、編曲賞(アーウィン・コスタル)、録音賞(ジェームズ・P・コーコランとフレッド・ハインズ)の5部門を獲得し、リチャード・ロジャースとオスカー・ハマースタイン二世の最後の作品でもあった。また、主演女優賞(ジュリー・アンドリュース)と助演女優賞(ペギー・ウッド)がノミネートされた(おしい!!)。

映画『サウンド・オブ・ミュージック』の一場面

まずは、映画のあらすじから復習しよう!!

 主人公のマリアは修道女見習い

舞台はオーストリアのザルツブルク、1938年のドイツによるオーストリア併合及び第二次世界大戦の前夜であった。主人公のマリア(ジュリー・アンドリュース)は修道院で修道女見習いとして日々働いていた。お転婆で周囲の修道女にいつもからかわれていたが、ある日、修道院長に、ゲオルク・フォン・トラップ大佐(クリストファー・プラマー)の7人の子供たちの家庭教師をするように勧められ、トラップ邸へ向かうことになった。

映画『サウンド・オブ・ミュージック』の修道院での一場面

 ゲオルクはオーストリア=ハンガリー帝国海軍の退役軍人!?

ゲオルクはオーストリア=ハンガリー帝国海軍の退役軍人という設定だ。

当時、1930年代のオーストリアは、周囲をドイツ・イタリア・スイスに囲まれた、北海道ほどの面積しかない小国でした。周りに海のない大陸の中の国家なのに、なぜ海軍??、もしかして表記ミス??と思う方も多々おられるのではないでしょうか?
実は、その20年ほど前、第一次世界大戦以前のオーストリアは、「オーストリア=ハンガリー帝国」として、現在のクロアチア・スロベキアを領土としていた広大な国家で、海にも面していたので海軍が存在したのです。

彼は数年前に妻を亡くして以来、子供たちの家庭教師がどれも長続きせず困っていた。ゲオルクは、子供たちを軍隊のように厳しくしつけているが、子供たちはいたって快活。早速カエルをマリアのポケットに忍ばせて悪戯をする始末。しかし、その悪戯がマリアと子供たちの中を取り持つ一助となったのだ。

ゲオルクの子供たちとマリア

 同じ家に男と女がいれば、とかくこうなる!!

ゲオルグは子供たちの家庭教師であるマリアの献身的に子供たちと向き合っている姿に段々と好意を抱くようになり、また、マリアも威厳と優しさに満ち溢れたゲオルグの姿に次第に引かれて行くようになり、ついに二人は恋に落ち、結婚する。(実際の映画では、ひともんちゃくや、すったもんだがありましたが・・・それは映画を見てからのお楽しみにして下さい。それも面白かった!!)

”遠くて近きは男女の仲”とか!?

 自由を求めて山越脱出!!

ナチスドイツの侵攻の力が段々強大になってくるにしたがい、1938年3月、オーストリアはドイツ帝国に併合されてしまう。
当時オーストリアには、ドイツ人が多く住んでいましたので、併合は歓呼の声に迎えられた部分もあった。しかしもちろん、オーストリア人は、併合を歓迎する人ばかりではなかった。
トラップ大佐は、ナチスのドイツ帝国の支配には、賛同していませんでしたが、優秀な海軍将校であったトラップ大佐に、ドイツの第三帝国海軍から出頭命令が下るのです。

家族は亡命を企てます。ザルツブルク音楽祭に出演したトラップ一家は、協力者の力を得てマリアの修道院に逃げ込み、山越えをして亡命します。(行く先は永世中立国であるスイスかな??)

山越えをして亡命

出演俳優を紹介しよう!!

デイム・ジュリー・エリザベス・アンドリュース(デイム・ジュリー・アンドルーズ、Dame Julie Elizabeth Andrews, DBE, 1935年10月1日 - )は、イギリス生まれの女優、歌手、 作家、演出家、ダンサー。2000年、エリザベス2世より舞台芸術の功績で大英帝国勲章デイムの称号を叙された。
本名はJulia Elizabeth Wells。学校教師の父親と、ピアニストの母との間に生まれる。その後、両親は離婚。母親の再婚相手が旅芸人だった影響で旅興行の舞台に立ち、12歳で子役として舞台デビュー。ロンドンなどの舞台で活動を続け1954年に渡米。ブロードウェイで「マイ・フィア・レディ」等の主役を繰り返し注目される。映画デビューは1964年、「メリー・ポピンズ」。この作品でアカデミー主演女優賞を獲得。一躍映画界でもミュージカル・トップ・スターに踊り出た。そして次作「サウンド・オブ・ミュージック」も大ヒットし、その地位を揺るぎなきものとした。しかし1969年、ブレイク・エドワーズと再婚してから映画界とは距離を置くようになり、童話作家として活躍していた。1979年に復帰するが、その後の作品にはあまり恵まれず、1997年には喉の病気が見つかりファンを心配させたが1999年に復活。2001年のアカデミー賞で元気なところを見せていた。

ジュリー・アンドリュース(Julie Andrews)

クリストファー・プラマー(Christopher Plummer, 1929年12月13日 - )はカナダ・トロント出身の俳優。
本名はArthur Christopher Orme Plummer。幼い頃はピアニストを夢見ていたが、学校で舞台に立ったことから俳優を志す。1950年頃に舞台デビューし、1953年にブロードウェイへ進出。世界各地でシェイクスピアなど多くの舞台に出演し、トニー賞ほか数々の栄誉に輝く。幾つものTV作品に出演後、1958年の「女優志願」で映画デビュー。そして、不朽の名作となった「サウンド・オブ・ミュージック」のトラップ大佐役で一躍有名に。以降、多数の作品で悪役をはじめ幅広い役柄を演じる。2009年の「終着駅 トルストイ最後の旅」が意外にもオスカー初ノミネートとなった。そして、主人公の息子に自らがゲイであることをカミングアウトし、余生を謳歌する父親を好演した2011年の「人生はビギナーズ」でアカデミー賞助演男優賞に輝いた。私生活では、1956年に結婚した舞台女優のタミー・グライムズと1960年に離婚。その後2度再婚している。娘は「フィッシャー・キング」「パルプ・フィクション」の個性派女優アマンダ・プラマー。

クリストファー・プラマー(Christopher Plummer)

映画『サウンド・オブ・ミュージック』にはモデルの家族が存在した!!

私が改まって書かずとも、言わずとしれた名作、『サウンドオブミュージック』、実は この映画が実話だってこと知っておられますか!?しかも映画の中に本人が登場してるんですよ!

ジュリー・アンドリュースがトラップ邸を初めて訪れる直前に『自信を持って』を唄いながら街を歩く場面で、原作者のマリア・フォン・トラップ本人がワンシーンだけ通行人として映画に出演している。マリアが姿を見せるのは、ヒロインがドームとレジデンツをつなぐアーチをくぐるシーンの際である。後ろで民族衣装の女性3人が左から右に歩くのであるが、それがトラップ夫人と娘ロースマリー、孫娘バーバラである。

実はマリアもトラップ大佐も実在の人物で、みんなで合唱団をつくり好評を得るのも、ナチスへの抵抗から亡命するのも、全部実際にあったことなんです!

それにも増して、マリアたちの生涯は映画よりもはるかに波瀾万丈だったのです!!

the trapp family singers

では、実際のゲオルク・フォン・トラップ大佐ってどんな人物なのか??

騎士の家系だったトラップ家はゲオルク・フォン・トラップの親の代からオーストリア=ハンガリー帝国海軍の将校だった。前にもお話ししましたが、当時のオーストリア=ハンガリー帝国の領土には列記とした海があり、現在のクロアチアに相当する地域であり、イストリア半島には立派な軍港があった。
1914年、34才の若き潜水艦Uボート艦長として第一次世界大戦を迎えたゲオルクは、敵国フランスの巡洋艦・イタリアの潜水艦やあまたの武装商船を撃沈して大活躍し、一躍、国民的英雄のひとりとなっていた。しかし、1918年にドイツ帝国と共に敗戦を迎えると、共和国となったオーストリアの領土は縮小され、海にも面さない小国となってしまった。当然海軍も大幅縮小。少佐だったゲオルクは1919年39才の若さで退役を余儀なくされ、やむなくドナウ川の水運会社を共同設立するが、1922年に11年連れ添った妻が7人もの子を残して病死。年端のいかない大勢の子供を抱えた男やもめになってしまった。

実際のゲオルク・フォン・トラップ

そんなおり、娘たちの家庭教師を修道院に頼んだ所、修道院の暮らしになじめず体調を崩していたマリアに白羽の矢が立ち、彼女がフォン・トラップ家に住み込みで働くことになった。
細かいことではあるが、映画ではマリアは修道女のまま、修道院の紹介でトラップ家に家庭教師にやってくるが、史実では家庭教師になった時、すでにマリアは修道院をやめている。体調を崩しての転職であった。また、マリアが家庭教師として教えたのは最初は次女(名前は同じマリア)であり、後に長女(母と同じアガーテ)に教えていて、7人の家庭教師ではなかった。

ジュリー・アンドリュースとマリア・フォン・トラップ

ゲオルグに婚約者はいなかった!!

25才の年齢差があったが、ゲオルクは1927年に47才でマリアと再婚。映画では、ゲオルグに婚約者がいて、マリアとすったもんだがあったが、それはないようです。
結婚してから、さらに3人の子をもうけて、夫婦に子供10人という大所帯のファミリーとなった。(これも映画にはありません)
しかし、1929年アメリカのウォール街に始まった大恐慌の影響がオーストリアも襲った。ゲオルクは亡妻の兄弟が設立に関係し友人が経営する銀行を支援していた(亡妻はイギリスの魚雷開発者の孫で、その特許権を相続していた)が、1933年その銀行は敢えなく倒産。ゲオルクは老境間近の53才にして破産、ほとんどの資産を失い、意気消沈してしまいます。
ここで踏ん張らねばと、28才の若さながら子沢山の肝っ玉母さんマリア・フォン・トラップは立ち上がった。貴族の誇りは捨て、住んでいた屋敷の空室を貸室に模様替え。生活のため神学生向けに部屋の賃貸を始める。
これだけなら驚くほどのことではない。驚くのは、それまでファミリー共通の趣味であった合唱音楽を収入の道にしようとしたことだ。音楽の都・ウィーンを首都に持ち、モーツァルトを生んだ街・ザルツブルクに住んでいたファミリーがこう考えたのだから、相当な腕前と自信だったのだろう。
幸運なことに、ザルツブルクの大司教からトラップ家の神学生用貸室に派遣されて来た宿舎付き神父は、ローマで教会音楽を学び、グレゴリオ聖歌にも精通していたのだ。やがて、神父はトラップ一家の合唱を指導するようになり、その合唱の技量はいよいよ本格的なものになっていったのである。

マリアとゲオルグ

マリアは肝っ玉母さん!!

そして、あるイベントでトラップ・ファミリーが合唱を披露したところ、当時ウィーン宮廷歌劇場の名ソプラノのロッテ・レーマン(後にナチス・ドイツのオーストリア合邦を嫌い、ニューヨークのメトロポリタン歌劇場に移籍)の目に留まる。
レーマンの紹介で1935年のザルツブルク音楽祭に参加。神父の指揮により子たちとマリアとで合唱すると、何と音楽祭に優勝してしまった!(真実は小説より奇なり!!!)
トラップ・ファミリーの合唱はヨーロッパ中で大人気となったが、あのナチスを政権の座に押し上げた当時の最新の電信技術が幸いしたのしょうか??。マリアの望み通り、1936年『トラップ室内聖歌隊』が誕生する。ゲオルクの破産から、わずか3年後の快挙であった!!。 

トラップ・ファミリー室内聖歌隊

当時のオーストリア政情は映画のような「”悪玉ナチス”と”善玉自由主義者”の争い」ではなかった!!

1933年1月に“民主主義国”であったドイツ共和国でヒトラーが首相の座に就くと、同じドイツ民族のオーストリア共和国では“民主主義”に対する危惧が広まった。つまり「オーストリアは、ドイツ共和国と同じような民主主義国家でいると、ナチスに乗っ取られてしまう・・・」と。そこで、時のオーストリア共和国のエンゲルベルト・ドルフース首相は、ナチスの先手を打って1933年3月に議会を停止し、6月にはオーストリア・ナチスの活動も禁止し、ナチスが共和国で政権奪取を成し遂げた道を塞いだのだ。そして、ドルフース首相は1934年4月に新憲法を公布する。イタリア・ファシズムを参考に、政府が立法と行政の2権を掌握し、カトリックと中世ドイツの伝統と価値観に基づいた安定して平穏な社会建設を目指すこととしたのだ。
現代からすれば、「何だよ!!、これじゃあナチスと同じ独裁政権ではないのかよ!!」と横槍してくるかもしれないが、隣国ナチス・ドイツの侵略的な独裁体制から逃れるためには、当時のオーストリア共和国政府が採り得る現実的政策であって、この政策へのオーストリア国民の支持も高かったのだ。しかし、手段を選ばないナチスは、この3ヶ月後の1934年7月に首相官邸にわずか8名で押し入り、ドルフース首相を射殺し、クーデターが起こってしまった。このナチスの暴力には、多くのオーストリア国民は激怒し、ナチスのクーデターは直ぐに鎮圧され逮捕者は処刑された。そして、クルト・シュシュニックがオーストリア・ファシズム政権を引き継ぐことになった。

事実は小説よりも映画よりも奇なりであった!!。

1934年7月のオーストリア・ナチスによるクーデター失敗から3年半後の1938年2月、これまでオーストリアを虎視眈々とねらっていたヒトラーは、オーストリアのシュシュニック政権に対してアンシュルス(合邦)を要求。
シュシュニックはイタリア王国の支援と介入を期待したが、ムッソリーニは動かなかった。さらに、シュシュニック政権が温めて来た「24才以上の国民による合邦賛否を問う国民投票」という秘策も、ヒトラーに事前に知れて不発に終わった。
翌月の3月、ついにナチス・ドイツ軍はオーストリアの首都ウィーンに無血進駐。オーストリア連邦はナチス・ドイツにアンシュルス(合邦)され、オストマルク州というドイツの一州となってしまったのである。
そして、ナチス・ドイツがまず始めたことは、ハプスブルク家以来のオーストリアの文化・伝統の否定(歴史あるウィーン・フィルも危うく解散の憂き目を見るところだった)とアンシュルスに反対していた人たちの逮捕・粛清。とまあやりたい放題であった。
 
こうして、アンシュルスは受け入れ難いと考えるトラップ・ファミリーのような人たちは、ユダヤ人でなくても“亡命”するかどうか、の深刻な判断を迫られることになったのであった。

ドイツとのアンシュルス(合邦)に喜ぶウィーン市民

1938年3月にオーストリアはナチス・ドイツにアンシュルスされても、ゲオルクは屋敷にナチスの旗を掲げることすら拒否。第一次世界大戦でのUボート艦長としての武勲を知るドイツ海軍は、ゲオルクを58才でも招集したが、これも拒否。
さらに、8月のヒトラーの誕生日にトラップ室内聖歌隊がミュンヘンで祝福の歌を歌うことを要求され、これ以上抵抗すれば一家は無事には済まないことを悟ったトラップ・ファミリーは、ようやくオーストリアを離れることを覚悟したのだ。

ドイツ語圏の都市部の若年層にナチスかぶれが多かったのに、10人の子供たちに1人も親ナチスを出さなかったことには驚かされる。父ゲオルクへの尊敬と誇りがあったのでしょう。私もこんな親父だったらね・・・。
ちなみに映画では、厳格で頑固なゲオルグが描かれていましたが、実際はあまりに違うと家族はみな映画に失望してたようです。脚本を読んで家族は一斉に異議を唱えましたが、「それではストーリーにならない。」として押し切られたということです。かえって大家族の切り盛りにマリアが時々参ってしまってヒステリーを起こすと、なだめるのがゲオルクだったといいます。トラップ家の次女マリアがこう描写しています。
「父はほんとうに父親らしい人で、子供たちに囲まれているだけで幸せそうでした。暖炉のそばで一緒に歌ったり、お話ししてくれたりしました。アドリア海で帆船の操縦も教えてくれました。心豊かな楽しい毎日でした。」と。

トラップ・ファミリー

そんな中、『トラップ室内聖歌隊』はアメリカのエージェントからアメリカ公演の依頼を受けていた。トラップ・ファミリーと合唱指導の神父は、渡りに船と、鉄道でイタリア・スイス・フランスと移動し、イギリスからアメリカへ出航。そして、アメリカで公演してビザが切れると、ヨーロッパに戻ってナチスの勢力圏外を公演して回っていた。そして、1939年9月ナチス・ドイツのポーランド侵攻による戦争の開戦を見て、翌月10月には再びアメリカ・ニューヨークに向かうのであった。ついにアメリカを亡命先に決めたのだ。ゲオルク59才、マリア34才・・・。

映画では、山を越えて徒歩で亡命(おそらくスイスへ)するが、実際には鉄道に、船まで使ったようですね。

イギリスとアメリカの定期航路

トラップ・ファミリーはアメリカに渡り、1940年になると、大手プロダクションが家族のプロデュースを引き受けるようになったが、その時に辛気臭いとの理由で「トラップ・ファミリー聖歌隊」(Trapp Family Choir)という名前を「トラップ・ファミリー合唱団」(Trapp Family Singers)に改名し、曲目から聖歌を減らしてフォークソングを中心にするよう改められた。こうしてアメリカ中をまわるようになると再び評判を呼び、1956年までコンサート活動を行った。ゲオルクは1947年に亡くなったが、マリアは家族の歴史をつづった The Story of the Trapp Family Singers(1949年、『トラップ・ファミリー合唱団物語』)や Around the Year with the Trapp Family (1955年、『トラップ一家の一年』)などを次々と出版し、ベストセラーになった。1948年、一家はようやくアメリカの市民権を得たのだった。
一家がコンサート活動を終えると、マリアは数人の子供たちとバーモント州ストウにトラップ・ファミリー・ロッジを開き、自給自足の傍ら、訪問者をもてなしながら各地で講演活動を行った。

米国バーモント州ストウでのトラップ・ファミリー

映画『サウンド・オブ・ミュージック』の魅力は何と言っても旅情的な音楽だ!!

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