解散して約半世紀…いまだ絶対的人気を誇るビートルズ
言わずと知れた世界的モンスターバンド・ビートルズ。1970年の解散から、半世紀近くが経過した今もなお愛され続ける理由は、いったい、何なのでしょうか?
楽曲が革新的だから?メンバーそれぞれのキャラが立っているから?…もちろん、それもあるでしょう。それと、同時期デビューのストーンズやビーチ・ボーイズとは異なり、ほとんど絶頂期に解散したこと、そして、もう2度と再結成できないという事実が、ビートルズのカリスマ性・偶像性を強めているのではないでしょうか。なぜ再結成できないのかといえば、もう、オリジナルメンバーが2人しかいないからに他なりません。決定的だったのは、言うまでもなく、ジョン・レノンの死でした。

メンバーはお馴染み、こちらの4人
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ジョンの死によって永遠に絶たれた“再結成の夢”
1980年12月8日。ニューヨークのダコタ・ハウス前でジョン・レノンは、マーク・チャップマンが放った5発の凶弾に倒れました。懸命の処置もむなしく、そのまま帰らぬ人に。ビートルズ解散以降、長らく不仲だったポールとも徐々に雪解けし、ついに、再結成か?などと言われていた矢先の悲劇。世界中が大きな悲しみと失望に包まれたのは、言うまでもありません。

日本でもトップニュース扱いだった、ジョンの死
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ジュリアンやショーンを入れてみては?という意見も…
この事件により、事実上、再結成は不可能となったビートルズ。90年代に入ると、父親とそっくりで、それぞれがミュージシャン活動をしている、ジュリアンかショーンを代役として入れたらどうか?という話も出ましたが、結局は、実現せず。というよりも、やはり、ジョンの声や演奏、ビジュアル、それらすべてを含めたカリスマ性は唯一無二。「ジョンあってこそのビートルズ」。そんな想いをファン以上に、ポール・ジョージ・リンゴは強く抱いていたに違いありません。

ジュリアン(左)とショーン(右)
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ヨーコがポールに渡した、ジョンのデモテープがすべてのきっかけに
そんな風向きが少し変わったのは、1994年、ビートルズのドキュメンタリー作品及び未発表音源集『アンソロジー』のプロジェクトが進んでいるときのことでした。このアルバムにおける目玉企画として、「ビートルズの新曲制作」を模索していたポールが、ヨーコに「ジョンの未発表の楽曲はないか?」と持ちかけます。するとヨーコは、1977年ごろにジョンがレコーディングしていた未発表曲のデモテープを手渡したのです。そのテープこそ、『フリー・アズ・ア・バード』のもととなる音源でした。
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ヨーコの協力なくして、ビートルズの新曲は完成しなかった
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雑音だらけのテープから、ジョンの声を抽出した
テープは市販のカセットテープで、雑音だらけ。おまけに、モノラル録音で、ピアノの伴奏音がジョンのボーカルよりも大きいという酷い有り様でした。
このテープからジョンの声だけを抽出する作業にあたったのは、ジョージ・ハリスンの友人で音楽プロデューサーのジェフ・リン。彼はこの難題に細心の注意を払って取り組み、なんとかジョンの声を抽出することに成功します。

ジェフ・リン
Jeff Lynne - Wikipedia, la enciclopedia libre
感傷的な気分になりながらも、レコーディングに臨んだポール・ジョージ・リンゴ
ポール・ジョージ・リンゴの3人は、ジョンの残した音源をベースにレコーディングを開始。曲作りを進める中で、感傷的な気分になりながらも、「またジョンが調子を外した」などとジョークを言いあって、気を紛らわせていたのだとか。
こうして3人がレコーディングした曲に、ジェフ・リンがテープから抜き出したジョンの声を入れ込んでいきます。作業は、ポール・ジョージ・リンゴが帰ったあとも続けられ、異なるテンポの声に微調整を加えに加えて、ようやくカタチになっていったようです。
翌日、その音を聴いたポールは、「よくやってくれた!」と言い、思わず、ジェフ・リンにハグをしたといいます。その直後、ポールはジェフをソロ・アルバムの共同プロデューサーに抜擢。余程、その仕事ぶりに感銘を受けたのでしょう。

いまや2人だけになってしまいました…
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ジョンとまた曲をつくりたい…その想いが結実した『フリー・アズ・ア・バード』
こうして、『レット・イット・ビー』以来、ビートルズ25年ぶりの新曲『フリー・アズ・ア・バード』は完成したのです。発表当初、「期待外れ」「こんなのビートルズじゃない」など、否定的な意見もあったようです。ジョンがビートルズ解散後の1977年にレコーディングした音源をベースとしているため、「ジョンの曲」という見方もされたといいます。
しかし、この楽曲の出発点にあるのは、ポール・ジョージ・リンゴの「ジョンとまた一緒に曲をつくりたい」という想い。この想いを結実させるべく3人(ジョンを含めて4人)が、再び昔のように一つのグループとなり、協力し合って楽曲をつくった事実にこそ、価値があるのではないでしょうか。
(こじへい)