「映像なんかじゃ驚かない!」
民族、風俗、習慣、環境、宗教、食事、観光・・・・・・。
いくらインターネットが普及したとしても、体感しなければわからない・伝わらないものの方が多い。
おそらく2025年は見て回る展示物型式主体から、ほとんどがVR(ヴァーチャルリアリティ)を中心とした体感主体や実物可動主体型の展示へと移行しているはずだ。
2017年の現在だって、単に映像ならプロジェクションマッピングであろうと16Kモニターを使っていかに美しかろうと、リアルであろうとデカかろうと、立体だろうとVRだろうとさほど驚かない時代なんです。
単に経験が無いだけでその存在や基本概念は知られているのだから驚きが小さいといった方がいいのかもしれないが、とにかくバーチャルはバーチャルだ。
2025年の万博は「展示物を見る」・「バーチャルという仮想体験」だけではおよそ長期間は成り立たず、会場や各パビリオンで「本物を体感してもらう」「来場した証を手に入れる」ことこそが、来場者の満足度を高めることに繋がるのだろうと予想する。(一例として70年にも“来場スタンプ”なるものがありました。おそらく日本初の広域スタンプラリーでしょう。私は集めるのに必死になった経験あり)

大阪万博1970スタンプ
【来場スタンプとは】
ここまで読み進めていく途中途中に各スタンプをご覧いただいてきましたが、そもそもこれらのスタンプは大阪万博1970会場内のパビリオンをはじめ随所に来場記念用として設置され自由に押せたものでした。その数実に92個!(ちなみにパビリオンの総数は77館ですからパビリオンに限ったサプライズではなかった訳です。パビリオン以外の15個のスタンプを探してみて下さい)
【フルコンプリート】「大阪万博1970」来場スタンプ全コレクション! - Middle Edge(ミドルエッジ)
会場は甲子園球場の約83個分の広さがありましたから、1甲子園球場に対して1.11スタンプ……およそ1個のスタンプということになります。
会場移動にモノレールや動く歩道もありましたが、その場所が外周部や中央の一部だったのでスタンプ集めにはほぼ役に立たず、ひたすら徒歩で集めなければならなかったものです。スタンプは概ね辿り着いたパビリオンに入場して出口手前で押すことになっていましたから、そのハードルの高さ故にこれまで存在は広く知られていたもののフルコンプリートの紹介はおろか、長い間総数さえよくわからない……などと言われ続けてきました。
まったくの来場者用記念スタンプとしての役割だけで一応作ったけど、「その先は集めたい人だけで考えてね!」的な大阪万博1970のスタンプは、まさに日本のスタンプラリーの元祖にして最大規模であったといえるのではないでしょうか?ソ連やビルマのように今は無い国名のスタンプや、キリスト教館など「こんなパビリオンがあったんだ!」まで楽しんでいただければと思います。

大阪万博1970スタンプ
「来場者に本当の体感を!」
それは食を味わったり、民族衣装に袖を通すことであったり、1970年では「お祭り広場」でやっていた民族舞踊やパビリオン前外でやっていた楽団演奏など色々ありましたが、さらなる民俗行事の疑似体験。
いかがだろうか?基本的に「展示」しか出来なかった1970年とたいして変わらないと言われればそれまでだ。
でも様々なモノが大量空輸しやすく、空港が3つもあるのだから1970年とは規模が違うのだ!アイデアがゼロベースの現在なのだから、全く何も分からない2025年なのだから、世界の社会観をちゃんと見て感じてとらえたいではないか。
もちろんパビリオンの建物そのものに求められる個性を軽んじているわけではない。しかし博覧以上に、その国を体感したいではないか!インターネットでは味わえないのだから。
そして、日本ではいまや一つの産業となったキャラクター・コラボレーションのグッズや持ち帰れるノベルティなど、体感型パビリオンには「手に出来るモノ」を多数用意すればこそ来場者を望めるのではないだろうか?幸い8年後、2025年の日本のお客様はこのサービスがよくわかっている方でいっぱいなのだから。(もちろんそれは莫大な量になるとは思うがそう簡単に集めることが出来るモノでも困るし、何よりデザイナー広告、生産、印刷……様々な業界が売り上げを望めるのだ)
加えて、パビリオンでは各国自慢の美味しい食材(食材が重なるとは思いますが)で作られた、それぞれ異なる味覚を楽しませてくれる料理に(店は小さくても)舌鼓を打ち、気に入れば(その場で食べられなくても)メニューからその場でネット注文。翌日には自宅へデリバリー。
美しい民族衣装に袖を通し、気に入った服をその場でネット注文。翌日には自宅へデリバリー。
心ときめく民俗行事を疑似体験したなら、その国への旅行をネット予約。後日改めてその国を旅行訪問……、いわば体験型旅行パンフレットだ。1970年代に比べて海外はずっと近いのだからあとは「行きたい!」と思うきっかけを用意するだけだと思うのだがいかがだろう?
おそらくパビリオンが提供するプレゼンテーション、デモンストレーションの質が異なっているはずの2025年。
これが全てだと言いたいわけではないが、「パビリオンの中に売店があるのか」「売店そのものがパビリオンなのか」、そんな万国博覧グッズ展示会という巨大ショッピングモールに、文化・風俗・伝統・習慣をミックスするかのような絵姿は欲しい。
なぜ?って
につながるからだ。

大阪万博1970スタンプ
大阪万博1970の来場者数は延べ6,000万人(国民のおよそ2人に1人)と書いた。それは莫大なリピーターによって成立する数だ。
現在でも幕張メッセやビッグサイトでもやれるような展示や“大きな見本市”くらいではリピーターを望むことはおろか、
だからこその苦肉の策ともいえるのが前述の話。
そう、やることが仮に同じなら、もっと高いクオリティともっともっと巨大な、複雑で雑多な見本市にするのだって有りだと思う。
どんなにその場で珍しくともその場で撮影されて、その場で世界発信されるのだからこそ、いささか古典的ともいえる考えをモーレツ的に大規模に展開し、しかも品を次々と替えて乗り越えたいのだ。
ただし現在のアメリカを参考とするなら、ショッピングモール型式(集中型小売店と呼ぶべきか)はやがてピンチに立たされている可能性が高い。しかし、8年後の2025年の日本ならギリギリまだ大丈夫ではないか?……と付け加えておきたい。
諸外国誘致のセールストークはズバリこれだ。
当然日本の万博に限ったセールストークではない。というかフランスのパリだって当然やるだろうってことばかりを書いているのは承知している。しかし、海外へのプレゼンよりも国内企業のパビリオン誘致の方がもっと大変になるのでここは軽く流しておいていただきたい。
なぜ日本開催で日本企業のパビリオン誘致が大変なのか?それは「高齢者大国」だからですよ。

大阪万博1970スタンプ
ここまで熱心に読んで下さった方なら御承知の通り、47年前の1970年は様々な企業が競うように独自のパビリオンを出展しています。
では2025年は、果たしてどんな企業がパビリオンを出展させたいと思うのだろうか?
現在隆盛を誇る巨大メーカーに、2025年時点でパビリオンを出すメリットはあるのだろうか?
進歩の具合がちっともわからない「人類」ならともかく世の中の進歩は早い。
1970年では家庭どころか個人の掌にコンピューターがやってくるなんて誰も想像だにしていなかったのだから……未来は分からないことだらけだ。
ともするとAIもロボットも、2025年には日常生活(お金持ちの)に溶け込んだ世の中となっているかもしれない。
さらにいえば高齢者大国なのだから、労働力不足を補うためにむしろ企業製品として溶け込んでいるべきかもしれない。いやいや生活や社会をデザインするならば、ファイナンシャルプランニングやライフプランニング企業に出展していただくほうがテーマ性にふさわしいのではないだろうか?パビリオン内に申込や商談ブースが併設される可能性すら否めないだろう。
あぁ、やはり企業の話であればあるほど幕張メッセやビッグサイトでなんとかなるから、わざわざ万博である必要を感じなくなる。
そう!つまりここが国内企業パビリオン出展のネックだと思うのだ。
だとすれば高齢者大国として国内で出展すべきは「段差はもちろん天候、悪路だってヘッチャラの最新型車イス」や「多機能ステッキ」、さらにはベッドやおむつ、肌着など、来るべき世界的な超高齢化社会のニーズに応えられるノウハウや戦略を持った企業・・・・・・もしくは、これらのジャンルへの参入を担う企業である可能性が高い。
高齢者大国はすなわち長寿大国であり、健康大国、医療大国なのだ。
海外に見せたい、伝えたい、感じていただきたいモノが山ほどあるはずの2025年なのだ。
いずれにせよ開催期間「半年間」の万国博覧会に出展し続けるには、ここでも体感型に結び付けた創意工夫が不可欠なのだ……。
なんとしても映像・画像だけではわからないという点で頑張っていただきたい。(開催が決まっての話だが)

大阪万博1970スタンプ
もう一度書いておきたいが、我々は65歳以上が3人に1人だからと言って2025年に車イスや杖を持った人が急増したりすると言いたいわけではない。しかし、その万博の後3年、5年、10年先の日本はどうなるのだろうか?と考えるにつけ高齢者に対する産業やテクノロジーまで視野に入れるとともに、保険産業まで一応は考えるべきだと思うのだ。
万博の謳う「未来社会」とは必ずしも「未来福祉」や「未来介護」の姿を含んではいないだろう。とはいえ世界中の人々が集い国民も多く集まる中で、全く触れなくて良いのかどうかが2017年の現在は不明のままだ。
だからこそ書いておきたかったのだ。
大ゲサな話ではない。開催国を競う相手はフランスだ。
テーマで謳っているのだから自国の現状、未来をデザインしないわけにはいかない。その上でフランスに勝たねばならないのだ。
話を戻してまとめよう。移動に優しいいくつかの総合ビルディング型、その場で食事、買い物を可能としたショッピングモール型のハード構成と、体感展示主体型と記念品・グッズ購買型で来場者を満足させるソフト構成。さらに日本政府・企業には「高齢者が輝く未来社会」にマッチしたパビリオンの出展を各国に求めるべきであろう。(ように思う)

大阪万博1970スタンプ
ここでまた視点をちょっと変えてみたい。次は駐車場だ!!(なんでこうも話が散らばるのだろう……)
2025年の日本は、かなりの電気自動車(EV=エレクトリックビークル)が普及している社会の可能性が高い。
大阪万博の駐車場には当然、充電用電源がフル装備で備わっていなければならない。さらに高齢者にやさしい駐車場であることは言うまでもない。
つまり駐車場は広々としていて駐車台数のみを気にしている時代ではなくなっているといいたいのだ。先に述べた駐車と充電の両方を満たす必要もそうだがさらなる問題が……ここでまた高齢者大国問題を考慮する必要があると思うからだ。
平地の広大な駐車場の端から長い距離を高齢者に歩かせては会場に着いた時点で体力がなくなってしまう可能性が高い。(会場に続くモノレールの駅までとしても)
ましてや天候だってある。海上の人口島ならば風だって強い日も少なくはない。
会場近くに併設された、地下から地上までのいわゆる高層型駐車場だ。土地の多い人口島であるメリットを生かしてはいないと思うが、後々解体される可能性が高い運命のパビリオンに対して、跡地を何に使うにしても独立した島に電源を配備した駐車場は必要だ。
高齢者には駐車場から天候に関係なくフラットな通路を通ってモノレールに乗り換え、会場にスムーズインしていただきたいと考える程に、軽く考えてはいけない建築物といえよう。

未来型駐車場もこれまた「立体型」が然るべき型
どんなもんですかね?「万博好きやん(scan)研究所」が考えた、大阪万博2025会場-地上編-は?
異論は当然あるとは思うが、ここは一つ想像ってことで許していただきたい。しかし、まあなんだか東京・丸の内のような高層ビルや、あるいは超巨大ショッピングモールの中にパビリオンがあるおかしな万博全景だ。
でも、そうまでして我々「万博好きやん(scan)研究所」は2025年に大阪で万博を開催して欲しいし、1970年の大阪万博とは異なる機能的な地上の景色を見たいのだ。

大阪万博1970スタンプ
1970年、日本の底力が大阪万博に集結したその熱量。これから一年を通してお伝えする前に2025年を予想するならば、かくもおかしな前提が必要となるのだ。だって空想や想像はタダですからね。
これを企画にするなら予算だのスケジュールだのまで計算しなきゃいけないのだから、遊ぶのならこの段階でやらないと……。
然るべき立場の方々が本気で取り組んで日本国民を巻き込んだオールジャパンで戦ったとしても、2025年の開催どころか2018年の11月に開かれるパリとの開催地争いさえ危うい訳なんだから。せめてこの想像上の取り組みくらいは本気で(まぁ……出来る限りで)と考えるのがこの第一章というわけなのだ。くどいようだがフランスのパリはそれほど手強いということをくれぐれも忘れないでいただきたい。
さて次回の第5回目は、大阪万博1970には考えられなかった2025の“型”を想像したい。
本コラムの第一章もいよいよ半分を越える。ここからが勝負だ!
木原浩勝氏がワシントン・ポスト誌に語った日本アニメのこと、宮崎駿監督のこと。 - Middle Edge(ミドルエッジ)