錦織の活躍で注目される伝説のテニスプレイヤー佐藤次郎の功績と悲劇的な最期

錦織の活躍で注目される伝説のテニスプレイヤー佐藤次郎の功績と悲劇的な最期

成長を続け、日本人初の記録を数々打ち立てる錦織圭。 そして彼が乗り越えるべき壁として比較される伝説のテニスプレーヤー、佐藤次郎。 今から80年前に活躍した彼の功績と悲しい最期について紹介。


成長を続け、日本人初の記録を数々打ち立てる錦織圭。
そして彼が乗り越えるべき壁として比較される伝説のテニスプレーヤー、佐藤次郎。
今から80年前に活躍した彼の功績と悲しい最期について紹介。

佐藤次郎(さとう じろう)

佐藤次郎のプレースタイル

1930年、世界トップレベルへ飛躍

1930年(昭和5年)の全日本テニス選手権でシングルス優勝。
1931年からデビスカップの日本代表となる。
同年の全仏選手権で初の4大大会準決勝に進出し、世界ランキング9位に入る。
この大会では、当時の男子テニス界でダブルスの第一人者だったジョン・バン・リン(アメリカ)を準々決勝で破った。

1932年、ウィンブルドンでベスト4に。

1932年(昭和7年)、ウィンブルドン選手権大会の準々決勝で前年優勝者のシドニー・ウッド(アメリカ)を破った。

ベスト4を達成し優勝も期待されたが、続く準決勝でイギリスのバニー・オースチンに敗れた。

この年は年末の全豪選手権でも、シングルスでハリー・ホップマンとの準決勝まで進み、混合ダブルスではメリル・オハラウッド(パット・オハラウッドの夫人)とのペアで準優勝を記録した。

1933年、テニスの神様『フレッド・ペリー』を破る

フレッド・ペリーに勝利

1933年(昭和8年)は佐藤にとって最高成績の年となり、全仏選手権とウィンブルドン選手権の2大会連続でベスト4に進出し、とりわけ全仏選手権の準々決勝では、イギリスの英雄フレッド・ペリーを破っている。

ペリーは今日でも“イギリスのテニスの神様”として称えられるほどの名選手であり、そのペリーを破ったことで佐藤の世界的な評価はさらに高まった。
抜群のフットワークでしぶとく球を拾い続けるプレースタイル、小柄でいかつい風貌から「ブルドッグ佐藤」との愛称が生まれた。

ウィンブルドンのダブルスでは布井良助(神戸高商卒)とペアを組んで準優勝となる。

世界ランキング3位に認定される。

1933年にはランキング3位に認定。
1位ジャック・クロフォード、2位フレッド・ペリー、佐藤は彼らに続く第3位にランクされた。

ただし、当時の男子テニス世界ランキングは、イギリスの『デイリー・テレグラフ』紙の評論家であったウォリス・マイヤーズ(Wallis Myers)が選定しており、現在のようなポイント制とは大きく異なっている。
このランキングの対象はアマチュア選手のみであり、プロ選手も含めた別のランキング統計では佐藤は6位であった。

国別対抗戦デビスカップのプレッシャーと不調

佐藤のテニスにかける情熱と姿勢は凄まじいものがあり、
『ラケットを握り、庭球をはじめしより以来、庭球は一つの戦争であると考えておりました。
庭球場は一つの戦場でもあります。
ラケットは銃であり、ボールは弾丸であります。
庭球とは人を生かす戦争なり。』という言葉を残している。

「国」を背負って戦うという意識が今と比べ物にならないほど強かった当時において、この佐藤が背負ったプレッシャーは尋常ではなく、1933年10月後半から、佐藤は慢性の胃腸炎に悩まされてきた。
しかし彼は日本のエースとしての責任感が強く、無理を押して試合出場を続行した。

また、日本庭球協会(現在の日本テニス協会)で主導権争いをしていた早稲田派幹部からのプレッシャーも大きく、当時「デビスカップ選手派遣基金」を募集するに佐藤は必要不可欠な存在であり、どうしてもデビスカップ出場を辞退することができない背景もあった。
協会は「個人戦、エントリーには予算を出せない。」「デビスカップでの出場以外は認めない。」などの圧力を佐藤にかけたという。

1933年、デビスカップの対オーストラリア戦で、当時の世界ランキング1位であったジャック・クロフォードを破った。
だが体調の優れない佐藤はシングルス第2試合で当時17歳のビビアン・マグラスに敗れてしまい、佐藤自身は日本チームが2勝3敗で敗退したことに深い精神的ショックを受けた。

さらに協会はそんな佐藤に対して追い討ちを掛け、"弁解の余地がない"、"実に醜態"などと面前で批判した。

このような協会の態度や過度な期待、デビスカップへのプレッシャーなどによって佐藤は次第に体調だけでなく精神を病むようになってしまう。

1934年、婚約直後の海外遠征で投身自殺…。

1933年11月の全日本テニス選手権で、佐藤は岡田早苗の試合でボールボーイ(球拾い)を務め、それを契機に岡田への好意を深めていった。
1934年(昭和9年)2月、全日本選手権準優勝4度を誇る女子テニスプレーヤーで雑誌「テニスファン」記者もつとめる岡田早苗との婚約を発表。

だが、協会はデビスカップを優先し、3月20日に佐藤を日本チーム主将として「箱根丸」でヨーロッパ遠征に出発させる。
その帰途にあった4月5日に、佐藤はマラッカ海峡にて投身自殺。
佐藤の船室には数通の遺書が残されていた。

「ブルドッグ佐藤」としてフレッド・ペリーやジャック・クロフォードなど世界の強豪に恐れられた男は26歳でその生涯を閉じた。

このことは、海外メディアでも大きく取り上げられ、オーストラリアのテニス・ジャーナリスト、ブルース・マシューズは「あまりにも、日本人的だった。天皇と国の期待に応えられなかったのか。優勝を義務づけられ過ぎていたのか、彼は生死を試合に掛けていたのだろうか」と記している。

錦織の活躍で再び注目を浴びる佐藤次郎。

四大大会でのベスト4が5回と四大大会シングルス32勝は日本テニス史上の最多記録であり、日本人男子の四大大会シングルスにおけるベスト4自体も1933年ウィンブルドンでの佐藤以来長らく途絶えたままだった。

しかし、2014年8月28日、全米オープンで錦織圭が3回戦に進出し、佐藤が持っていた四大大会シングルス32勝の記録を塗り替える33勝目を挙げ、9月3日には同大会で準決勝進出を果たし、佐藤以来81年ぶりとなるベスト4進出を果たし、更に決勝戦に進出して日本人テニス選手初となる四大大会シングルス準優勝を果たした。

今年の12月に錦織圭は26歳を迎える。
まだ若い錦織はこれから4大大会優勝などさらなる快挙を達成するのではと日本中から期待されている。

だが、「ブルドッグ佐藤」と世界の強豪に恐れられながらも、周囲のプレッシャーにより26歳の若さで命を絶ち自ら可能性を閉ざしてしまった男がいたことを決して忘れてはいけない。

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