デビュー曲が販売禁止?!

やしきたかじん
歯に衣着せぬトークで司会者やタレントというイメージが強いたかじんですが、1971年に京都レコードという会社から「娼婦和子」という曲でレコードデビューしたやしきたかじん。自費出版という手法でリリースするも歌詞の内容が際どすぎて社会通念上の問題から即日販売禁止となった逸話を持っています。

娼婦和子
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この曲は発売即日に禁止となったため自主制作分500枚の中から購入した人のみ知っている幻のデビュー曲とされていました。実際、自主制作したたかじん本人ですら所持していないという超レアものです。そんなたかじんのデビュー曲「娼婦和子」ですが、2014年発売の「シングル・コレクション 1976-1982」には収録されているので今では自由に聴くことはできます。
まぁ、デビュー曲が販売禁止となっていることがレアな話ではあるのですが・・・。
再デビューは5年後で俳優業も?
レアな体験をしていたたかじんの再デビューは発売禁止、廃盤となったデビュー曲から5年が経った年の1976年でした。

ゆめいらんかね
ゆめいらんかね|音楽・曲|ときたんく
この曲を聴いた草野旦はその歌唱力と作曲センスを高評価し鳳蘭のリサイタルで共演したという話は有名です。その時の歌は「うわさ」「ゴロ寝」「ゆめいらんかね」「ひょっとしたらのお話」「ラスト・ショー」となっています。作詞作曲をし自主制作した幻のデビュー曲の歌詞が社会通念上の問題になるほどだったので考えられないような大抜擢だったのでしょう。

歌手としての道が開けてきたときにたかじんの黒歴史と言ってもいいほどの演技力でのちの番組で笑いを取ったことがあったことを知っていますか?
この画像も何を隠そうやしきたかじんその人で、中村敦夫が主演で放送されていた人気ドラマ「新 木枯し紋次郎」に中村敦夫推しで出演が決まり本人は散々な結果を悔やみノイローゼになったとされる俳優デビュー作品での一コマなのです。
俳優として出演した作品に対して「生涯最大の汚点」と言い放ち、以降のドラマ出演や芝居をしなくてはならない仕事に関しては断り続けたとされています。確かに素人目から見ても「とても上手!」とは言えません・・・。
歌手としてのやしきたかじん
歌手・やしきたかじんと言えば関西の女歌を歌っている男性というのが一般的なイメージだと思います。そんなたかじんが一般的に認知されるようになったヒット曲と言えば「やっぱ好きやねん」や「東京」だと思います。そんな歌手としてのやしきたかじんを耳で振り返ってみましょう。
「新 木枯し紋次郎」の主題歌をたかじんが歌っているということは知っている人は知っているという感じで、主演の中村敦夫の推薦で歌うことになったとされています。話す時の声と歌う時の声が異なるので別人と思っている人も今では多いのではないでしょうか。

砂の十字架
sunanozyuzika
砂の十字架 - Dailymotion動画

あんた
【あんた】 やしきたかじん 青いレイ・ラウンド2/ウェブリブログ

やっぱ好きやねん
やしきたかじん やっぱ好きやねん - ♪てるさんの「☆ふぉーけんろっくけんぶる〜す!」 - Yahoo!ブログ

泣いてもいいか
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東京

その時の空
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作詞:秋元康、作曲:小室哲哉というビックネームが並ぶこの曲はたかじんの遺作となってしまったラストシングルです。
OSAKAあかるクラブテーマ曲としても有名で亡くなるまでキャプテンとしても活動していました。
迷?明?名司会者
晩年は司会業で大活躍しているたかじんの姿をよく見ることができました。
歯に衣着せぬトークで言いたいことをズバッと言うそのスタンスは大阪を始とした関西人に好まれ、そのスタンスを面白いと思う人は多くなり全国的に好まれるようになりました。

やしきたかじんという名前が番組名についていることで視聴率を取れるタレントとして如何に人気が高いかということがわかるかと思います。
代表的なものとしては「たかじんnoばぁ〜」「たかじんTV非常事態宣言」「たかじん胸いっぱい」「たかじんのそこまで言って委員会」「たかじんNOマネー」など聴いたことのある番組ばかりです。特に亡くなるまで出演していた「たかじん胸いっぱい」「たかじんのそこまで言って委員会」「たかじんNOマネー」は亡くなった後もしばらく冠番組として存在していました。
各番組で亡くなった後に追悼番組を放送しています。その内容を見るとついついその話術に吸い込まれ時間を忘れて見入ってしまうほどです。
この人が出演する番組は視聴率の高いことから「浪速の視聴率男」と呼ばれたり、親交の深さから多彩なゲストが出たりといつもハラハラドキドキさせられるところが視聴者の楽しみの一つでもあったと感じます。確かにクセも強い人なので関東で放送されていた番組では何者なのかも知らないという人も多かったことでしょう。ですがその人柄は見る人にも伝わっていたと思います。
病気との闘い
たくさんの人に愛された視聴率男たかじんは2012年に自ら食道がんに侵され闘病することを選択すると公言しレギュラー出演していた番組などから姿を消しました。芸能活動の一切を休止し闘病していた時に教えられていたのはがんの中でも初期段階のものだということなので入院中もたかじんらしい豪快さを繰り広げていたと言われています。

たくさんの思い出とたくさんの笑いとたくさんの歌を届けてくれたやしきたかじんが2014年に天に還って逝きました。
食道がんとの闘いに勝ち芸能活動も再始動し番組などにも復帰し、これからあのトークを聴き続けられると思った矢先のことです。その訃報は新聞各社、テレビ局各社が一斉に伝え早すぎる死を悼みました。

再婚相手が騒がれたこともありましたが、今は亡きやしきたかじんんのご冥福をお祈りいたし記事を終わりたいと思います。
最後までご覧いただきありがとうございました。