BOØWYの氷室京介(かつては氷室狂介)は、山田かまちとは幼稚園から中学校までが同じという幼馴染だった。
お互いの家に行き会う仲で、怪獣ごっこなどをして遊んでいたそう。
中学生になってからは、BOØWYのメンバーとなる松井常松も含め、よく音楽の練習を行っていたという。ギターの弾ける山田かまちは電話で呼び出されては参加していた。
1977年8月10日、山田かまちが亡くなった日。
氷室はBOØWYの前身バンドの合宿で志賀高原にいたが、朝山田かまちの訃報を知り、すぐに高崎へと戻った。氷室はすぐに山田かまちの実家を訪れ、祭壇の前に座り込んだ。
そして、山田かまちの母親に「おばちゃん、かまちはハードロックでした……」と言った。それからは俯いたままだったと、母親がメディアの取材で述べている。
氷室京介が山田かまちに向けて書いた手紙
山田かまちの死後、氷室は80年代を席巻するロックバンド・BOØWYのボーカルとして、1982年3月にファーストアルバム「MORAL」(モラル)を発売する。
このアルバムの10曲目に収録されたアルバム名と同じ「MORAL」は、人間の二面性をテーマにした2分20秒の曲であった。一般に同曲は山田かまちの事故死を元に歌詞が作られたと言われている。
”人の不幸は大好きサ ””あいつが自殺したって時も俺はニヤッと笑っちまった”など、一見友人の死に対して不謹慎と思われる歌詞であるが、氷室流の親しい友人を偲ぶ、ロックでモラル(道徳的)な方法なのかもしれない。
宮沢賢治やゴッホのように死後、名声を得た山田かまちであるが、彼らと異なる点はまだ大人になっていない思春期ど真ん中で亡くなっている点である。
彼の絵を観ると、その将来の可能性をどうしても期待せざるを得ない。その若くして未完で終わってしまった背景がより、私たちを山田かまちへと惹きつけてしまうのだろう。
2004年には映画「かまち」が制作され、公開された。また、2014年には山田かまち水彩デッサン美術館が高崎市の市営施設となり、「高崎市山田かまち美術館」に改称されるなど、没後約40年が経ってもその人気ぶりは今なお健在だ。
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追記
群馬県高崎市の老舗楽器店「赤羽楽器」が2016年2月に閉店した。
同店には氷室京介、布袋寅泰、松井恒松といったBOØWYの面々も通っていたという。
また、山田かまちの最後のギターも同店で購入されたという。
さらに山田かまちの作品を起用した「ドローイングンマ」の企画が2019年3月末から開始された。“ドローイング”と”群馬”を組み合わせた造語で、「自画像」を通して「自分らしく生きることとは何か」を考えるというもの。
「ドローイングンマ 〜激しく美しく生きろ〜」特設サイト
https://www.jomo-news.co.jp/drawingunma/