加山雄三

加山雄三 オフィシャルサイト
加山雄三「君といつまでも」
1965年12月に映画「エレキの若大将」の主題歌として発売された『君といつまでも』が350万枚の大ヒットになり、1966年の第8回日本レコード大賞の大本命とされました。しかし結局大賞は同曲に比べ売り上げ面で劣る橋幸夫の「霧氷」が受賞、「君といつまでも」は特別賞に留まります。
加山雄三は元祖イケメン俳優?!
神奈川県横浜市神奈川区幸ヶ谷の家に生後8か月まで、次の東京都大田区田園調布には1歳9か月まで住んでいました。幼少期は大腸カタルを患い病弱だったため、子煩悩な父・上原謙は息子のために、空気の良い神奈川県茅ヶ崎へ引っ越しました。お手伝いさんは必ず2人はいたそうです。

茅ヶ崎市立茅ヶ崎小学校、茅ヶ崎市立第一中学校、慶應義塾高等学校から慶應義塾大学法学部政治学科へ進み卒業後の1960年春に東宝へ入社。同年『男対男』で映画デビューします。お坊ちゃま育ちで、頭もいい、更に美男子と、恵まれた人生です。

1960年4月に東宝へ入社してからの数年間は実家の茅ヶ崎から、砧撮影所の最寄り駅である成城学園前まで電車通勤し、母の持たせる土方が持つような巨大な弁当箱をいつも持っていたたことから「ドカ弁(土方の弁当の略)」というニックネームをつけられていたそうです。
加山雄三は芸能人一家!
父は俳優の上原 謙(うえはら けん)
奇跡の後期高齢者加山雄三もすごいですが、父親の上原謙はもっとすごいです。
上原謙は、涼やかな目元、すっと物差しで引いたように通った鼻筋、薄い唇といった完璧な容姿でした。ですから女性のみならず男性からも追い掛け回され続け、二枚目俳優、美男子でしたから映画の世界に入ってからも大変な人気でした。兵役についた際にも、なんと所属部隊宛にファンレターが山のように届いたそうです。

加山雄三は父親が上原謙、母親が小桜葉子という映画スター同士の間に生まれた二世俳優です。最近ではTV番組などで、二世タレントをよく目にしますし、アレコレ文句を言われている場面を目にしますが、加山雄三クラスの成功をおさめてしまえば、文句をは言う人間は誰もいません。
母は女優の小桜葉子(こざくらようこ)

1936年、女優の小桜葉子と人気絶頂だった上原謙は、周囲の反対を押し切って結婚します。いかし撮影現場での上原謙は共演者などに細やかな気くばりをして人の心をつかむ人間で、結婚後も女性関係の噂が絶えず、気の毒な小桜葉子はそれを苦に何度も自ら命を絶とうとしたといいます。

役者にとって色恋は芸の肥やしと言われて容認されていた時代ですから、小桜葉子が爵位を持つ家の出で曽祖父が岩倉具視であってもだからといって、上原謙は彼女だけを大切にする気はなかったようです。小桜葉子は数々の心労がたたったのか52歳の若さで病気で亡くなってしまいます。
加山雄三の曽々祖父は岩倉具視
加山雄三とバイオハザード
初代バイオハザードでは、なんとナイフ使用限定クリアができる腕前を持っています。また、『バイオハザード リベレーションズ2』のためにプレステ4を購入するなど、とにかくバイオハザードシリーズが大好きなのです。
ゲーム歴自体も、1978年に登場したスペースインベーダーからだそうで、ファイナルファンタジーなども当然プレイしています。いつどこでも遊べるように、自身が所持している船にもゲーム機を置いているなど、休暇で時間がある時にがっつりプレイするやりこみ派のようです。
加山雄三とサライ
日本の夏の風物詩、日本テレビのチャリティー番組『24時間テレビ』。その24時間テレビと言えば、エンディングで歌われるテーマソング「サライ」が有名です。この曲は谷村新司が作詞し、加山が作曲したものです。

加山雄三は2017年に80歳を迎えます!
俳優、歌手として現役で第一線を走り続け、2017年、芸能生活58年目の『若大将』こと加山雄三は、4月に80歳の誕生日を迎えます。それを記念して、一夜限りのスペシャルライブや、自身が司会を務める音楽トーク番組の新春特番、BS朝日「歌っていいだろう 2017年春 君といつまでもスペシャル」(午後9時)が放送されました。

80歳になっても話題はつきません
加山雄三は1966年6月にビートルズが来日した際、東京ヒルトンに宿泊していた4人を訪ねてスキヤキを一緒に食べた数少ない日本人です。また、初対面の際にジョン・レノンから後ろから目隠しされたという逸話も残っています。
加山雄三の80歳を記念して、REMIXアルバムが発売される
加山雄三の生誕80周年を記念して、REMIXアルバム「加山雄三の新世界」が発売されます。今人気の若者アーティストたちも加わり、素晴らしい一枚になっています。

加山雄三の新世界