演歌歌手?男性アイドル「藤正樹」
歌手になったきっかけは、1973年(昭和48年)3月に日本テレビのオーディション番組『スター誕生!』に出場したことです。持ち前の喉と中学生とは思えない歌唱で予選を通過して決戦大会まですすみました。
スタ誕では美川憲一の『新潟ブルース』を歌い歌唱力が評価され最優秀賞を受賞、第6回グランドチャンピオンとなりました。
事務所はホリプロに所属することになります。
「演歌の怪物ハイセイコー」の キャッチフレーズでデビュー
そして、1973年7月25日、キャニオンレコードより歌手としてデビューしました。
この時の詰襟学生服の衣装でデビュー曲の『忍ぶ雨」を歌いました。
当時の藤 正樹は15歳、高校1年生でした。
「ハイセイコー」とは、1972年(昭和47年)7月、大井競馬場でデビューした競走馬の名前です。ハイセイコーは、デビューした年に6連勝を達成。翌年の1973年(昭和48年)1月に中央競馬へ移籍し、「地方競馬の怪物」とその名を知らしめた。その後も連勝を続け競馬ブームの火付け役となり、競馬ファン以外にも人気を博しました。
ハイセイコーと藤 正樹の秘話・恩返し
そして、藤正樹はデビューの2か月前のある日、ダービーを1週間後にひかえた競走馬ハイセイコーと東京都府中にある鈴木勝太郎厩舎で初対面しました。この時にハイセイコーの手綱を持った写真が撮影されました。
事務所はハイセイコーにまたがった藤正樹の写真を希望しましたが、流石にハイセイコー背中に乗ることは勘弁してくれと断られたという。
1週間後のダービーでハイセイコーは負けてしまいました。そして「あんな写真を撮ったから負けたんだ」と言われたという。
その後藤正樹は、馬券を買える20歳になってから、25歳で結婚するまでの5年間にハイセイコーの血を引く馬の馬券を全部買って「ハイセイコー」に恩返しをしていたという。
そして、ハイセイコーの子供のカツラノハイセイコーはダービーで勝利をおさめました。
藤正樹のトレードマークは衣装の学ラン(詰襟学生服)
藤正樹がデビューしたのは1973年。当時の歌謡界は、1971年は全員デビューの同期生新三人娘 - 南沙織(1954年7月2日)、小柳ルミ子(1952年7月2日)、天地真理(1951年11月5日)がいました。
1972年には、藤より3歳年上の若手演歌歌手の三善英史(1954年9月2日)が『雨』を歌いデビューしました。
1974年は城みちるやあいざき進也、荒川務など出てきて、アイドル豊作の年となりました。
そんな中で、学制服姿の藤正樹は芋臭くて素朴な演歌系アイドル歌手という存在でした。