悲劇は突然に!!
全勝優勝を飾った1971年7月場所前後に急性虫垂炎を発症、俗に言う”もうちょう”である。夏巡業の最中にその痛みに耐えきれずに途中休場するなど容態が芳しくなく、早急な手術が必要だった。
しかし横綱としての責任感と、同年9月場所後に大鵬の引退相撲が控えていたため、手術して本場所を休場すれば大鵬の引退相撲にも出場できなくなるため、痛み止めの薬を刺し続けながら9月場所に強行出場した。この場所ではさらに肋骨を折ったにも関わらず12勝を挙げているが、これが結果として玉の海の生命を縮めることになってしまったようだ。
1971年10月2日の大鵬引退相撲では、最後の横綱土俵入りで太刀持ちを務め、翌日に行われた淺瀬川健次の引退相撲にも出場した。
出場後直ちに虎の門病院へ入院して虫垂炎の緊急手術を受けたが、腹膜炎寸前の危険な状態だったという。その時点での手術後の経過は順調で、10月12日に退院する予定だった。なお、この時点で11月場所の出場に関しては未定だったこともあり、本人も「退院後すぐに(相撲)は取れないが、(巡業先では)土俵下から挨拶でもしよう」と親しい人たちには伝えていたという。
ところが、退院前日の10月11日早朝、起床して洗顔を終えて戻ったところ、突然「苦しい」と右胸部の激痛を訴えてその場に倒れた。その時、既にチアノーゼ反応が起きており、顔は真っ青だったという。意識不明の状態で医師団の懸命な治療が行われ、一時は快方しかけたものの、その甲斐もなく11時30分に死亡が確認された。27歳没。
その急逝後、玉の海の遺体を病理解剖した結果、直接の死因は虫垂炎手術後に併発した急性冠症候群及び右肺動脈幹血栓症(現在の言い方では術後の肺血栓)であることが判明し、特に右の主管肺動脈には約5cmの血の塊が詰まっていたという。玉の海のような力士体型(肥満体)の人間が、手術後に血栓症を発症しやすいのは現代では常識であるが、その当時はあまり知られておらず十分な予防策も取られていなかったものと考えられる。これから全盛期を迎えようとするのは確実だっただけに、誰もがその死を惜しんだ。
玉の海の死因は「エコノミークラス症候群」とも密接な関係!!
玉の海の死因は「心筋梗塞」と発表されたが、病理解剖により「肺塞栓症(肺血栓塞栓症ともいう)」とわかった。
肺塞栓症は、心臓から肺へ血液を送る血管(肺動脈)に血栓が詰まる病気だ。詰まる血栓は、心臓や肺でできるのではない。脚の静脈の中でできる。
安静時に脚の静脈にできた血栓が、立ち上がって歩いているとき、血管からはがれて血流に乗り、心臓へ飛び、肺動脈に流れ込む。大きな血栓だと、肺動脈に入ったとたん詰まってしまい、突然死(発症から24時間以内の死)を招く。玉の海のように─。小さな血栓でも、肺動脈は枝分かれしながらだんだん細くなっていくので、どこかで引っかかり、呼吸困難が生じる。
同じことは長時間、飛行機などの座席に座り続けたときにも起こる。「エコノミークラス症候群」がそれだが、この名称は実態にそぐわない。ロングフライト症候群とか、旅行者血栓症と言い換えるべきだという意見もある。ビジネスクラスや長距離バスの乗客などでも頻発しているからだ。
しかし、肺塞栓症が最も起こりやすいのは手術や出産のあとだ。予防策として、手術や出産前に脚の血行を促進する弾性ストッキングをはき、血液の凝固を防ぐ薬が投与される。手術の前に医師の説明を受けるときは肺塞栓症の対策も聞いておこう。
長時間旅行の機内、車内では水分(ただしアルコール以外!)の補給と、足の運動(脚の曲げ伸ばし、足首を動かす)をひんぱんに─。
医療用弾性ストッキング
玉の海の急死により、相撲界には”ディープ・インパクト”が襲う!!!
話しが逸れてしまったが、玉の海の急死は当時の相撲界にとって「関東大震災」クラスの大きな衝撃と波紋を与えたに違いない。玉の海は多少の病気や怪我をいとなわない性格で横綱の責任感で土俵を務め上げた。その証拠に入門以来、ただの一日も休場がない。その責任感が体に疲労を起こし、死に至ったという声も少なくない。現在、公傷制度というものがあるが、その設立のきっかけが玉の海の死が原因とも言われている。ライバル力士に与えた影響も大きく、特に北の富士は玉の海の死をきっかけに土俵への情熱が薄れ、以後好成績を残すことが少なく3年持たなかった。代わりに輪島・北の湖といった若手力士がスピード出世で横綱まで駆け上がったが玉の海が健在だったら状況は大きく変わった訳で、その意味で玉の海の死は相撲の歴史を大きく塗り替える衝撃的な出来事だったのである。