事件発覚後もY子は容疑を否定し、女性週刊誌や婦人誌などで反論を続けながら、江利チエミへの誹謗中傷や家庭内の暴露をやめませんでした。その挙句に失踪、自殺未遂騒動まで引き起こしました。不遇な境遇の自分と「大スターの妹」との差に嫉妬した計画的な犯行でした。
江利チエミは、断腸の思いで異父姉を告訴します。異父姉Y子には懲役3年の実刑判決が下りました。
波乱の45年間だった
歌手デビュー直前に実母が死去し、3人の兄もチエミの存命中に2人が亡くなっています。高倉健との間に授かった子供も重度の妊娠中毒症から中絶することとなり、甥は電車事故死しました。そして、異父姉とのトラブルに、離婚と家庭運に恵まれていたとはいえません。
1970年1月21日には当時世田谷区にあった邸宅を火災で焼失、1972年には日本航空351便ハイジャック事件に乗客として遭遇するなど、芸能生活の華やかな栄光の陰には何故か常に「不幸」もつきまとう、波瀾万丈の45年間の生涯でした。