Foreigner

フォリナー
フォリナーといえば産業ロックの代表的なバンドとして認知されているかと思います。彼らの全盛期がちょうど日本ではバブル期だったこともあり、よりその印象が強いのかもしれません。
1970年代後半から1980年代終盤にかけて、とにかくフォリナーは世界のロック市場に巨大な存在感を放ち大成功を収めていました。
MTVの全盛時でもありマイケルとフォリナーを見ない日はないという状況でしたから、フォリナーをアメリカのバンドだと思っている方も多いのではないでしょうか?
フォリナーつまり「外国人」と自ら名乗っているように、当時としてはまだ珍しかったイギリス人とアメリカ人が混在したメンバー構成でした。
オリジナルメンバーは、以下のとおりです。
・ルー・グラム - Vocal & Percussion
・ミック・ジョーンズ - Guitar, Piano, Keyboard & Backing Vocal
・エド・ガリアルディ - Bass & Backing Vocal
・イアン・マクドナルド - Guitar, Keyboard, Saxophone, Flute & Backing Vocal
・アル・グリーンウッド - Keyboard
・デニス・エリオット - Drums
現在でも残っているオリジナルのメンバーはミック・ジョーンズのみとなっています。

ミック・ジョーンズ
ミック・ジョーンズとイアン・マクドナルドが中心となってフォリナーを結成したのは1975年で、1977年には早くもデビュー・アルバム「栄光の旅立ち」が全米4位、300万枚を超えるヒットを記録しました。

栄光の旅立ち
短期間でデビューできたのはキャリアのあるメンバーが揃っており、デビュー前からスーパーグループ誕生と話題になっていたからです。
中心人物のミック・ジョーンズは、スプーキー・トゥースのメンバーでセッション・ミュージシャンとしてもジョージ・ハリスンのシングル「ディン・ドン」のレコーディングに参加したりしていました。また、後にはエリック・クラプトンのヒット曲「バッド・ラヴ」を共作しています。
因みにパンクバンドのザ・クラッシュのギタリストと同名ですが、別人物です。
イアン・マクドナルドは、元キング・クリムゾンですし、デニス・エリオットはブラスロック・バンドのイフのメンバーでした。
ファースト・アルバムからシングル・カットされた「つめたいお前」ですが、さすがに落ち着いていますね。並みの新人とはやはり一味違います。
ところで、メンバーチェンジを繰り返しながら現在でも活動している息の長いフォリナーですが、ピークはいつになるのでしょう?
サウンドの要だったイアン・マクドナルドが脱退した1980年、それともオリジナル・ボーカリストのルー・グラムが脱退した1990年でしょうか?
重要なメンバーが抜けてもサウンドを時代と共に上手に変化させてきているフォリナーです。プロ中のプロと言ってもいいでしょう。
そんなフォリナーの代表作「4」がリリースされるまでをまとめてみました。。
Double Vision
1978年にリリースした2枚目のアルバム「ダブル・ヴィジョン」には、全米2位の「ダブル・ヴィジョン」と同3位の「ホット・ブラッディッド」という2枚のヒット曲が収録されています。
また、収録曲「トラモンテイン」は、フォリナーの長いキャリアのなかでもスタジオアルバムでは唯一のインストゥルメンタルです。
本作はアメリカだけでも700万枚を売り上げている大ヒット・アルバムです。

ダブル・ヴィジョン
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Head Games
アルバム・タイトルナンバーが全米12位、アルバムも全米5位止まりと、この時期のフォリナーとしては物足りなさを感じさせる3枚目のアルバムです。
男子トイレに腰かけ何をしているのかよく訳がわからない女性がこちらを見ているという意味不明のジャケットが悪かったのかもしれません。
とは言え、本作も全米だけで500万枚も売り上げているのですからさすがです。
しかし、早くも本作を最後に、イアン・マクドナルドとアル・グリーンウッドが脱退しています。

ヘッド・ゲームス
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4
個人的な好き嫌いを抜きにすれば、本作をフォリナーの代表作とすることに異を唱える人は少ないのではないでしょうか?!
全世界で1500万枚を超える大ヒットとなった4枚目のアルバム「4」です。
本作からは「アージェント」、「ガール・ライク・ユー」、「ジューク・ボックス・ヒーロー」などの大ヒット・シングルも生まれています。
しかし、当初「サイレント・パートナーズ」というタイトルが予定されていて、有名なアートスタジオ、ヒプノシスにジャケット・デザインを依頼していたところ、アルバムタイトルは変更、ジャケット・デザインはボツとなります。
アルバムの制作は混迷を極め、大変な難産だったようです。
当時、隣のスタジオで「プライベート・アイズ」の録音をしていたホール&オーツのダリル・ホールが興味深い話をしています。

4
フォリナーにとって最大のヒット曲「ガール・ライク・ユー」。デビュー当時からの彼らのファンにとってはこの曲に違和感を感じた人が少なくなかったようです。
あのフォリナーがこのようなバラードを歌うなんてといった感じで。
しかし、時がたつとフォリナーといえば何といっても「ガール・ライク・ユー」ですね。本人たちもそこを自覚しているからこそ現役でいまもプレイ出来ているのだと思います。
時に産業ロックなどど蔑んで見られることのあるフォリナーですが、いえいえどうして、これぞミュージック・ビジネスに生きる男です。真のプロフェッショナルとは彼らのことをいうのではないでしょうか。これからも売れ線狙いで大ヒットをどんどん連発してほしいです。
フォリナーとはだからこそ面白いのです。
